イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

懐かしの野川和一さんに携帯電話をする

2017-06-21 00:57:01 | 日記
大阪に転居された野川和一さんに携帯電話を掛けた。
突然の電話の為だったのであろうか、野川和一さんは直ぐには状況が把握できず暫し驚いていた様子であった。 しかし直ぐに気を取り直し、二人はいつもの調子で喋り合う仲になった。
私は母の腰痛を引き合いに出して足腰を大切にするように喚起した。野川和一さんも、承知をしていてそれがために、今は住居から近くの服部 緑地公園の散策を毎日30分以上しているとのことであった。介護施設に入居した野川和一さんは要支援度1と言うことなので、施設長の名刺を携帯すれば外出も自由とのことだった。
入所者全体90名の中で、そんな扱いは自分一人だと言っていた。それは決して自慢げに話をするわけでもなく、自分自身が至って健康な状態であることをしみじみ感謝しているのだと言っている風に聞こえた。
イワン・アサノウィッチと野川和一さんとの付き合いは、顔と名前は9年前ぐらいから承知していたものの、二人だけの対談とか酒を酌み交わしながらの会話をするようになったのは、つい3~4年前くらいからだった。
イワン・アサノヴィッチが60歳を超し、野川和一さんが80歳代に入ってからのことである。だから千葉でのお付き合いは決して長いものではなかったが、人生の出会いの素晴らしさを感じさせてくれる方であった。しいての共通点を上げれば、彼が農水省・イワン・アサノウィッチが県庁で、二人とも労働組合の役員経験者であったと言うところだろう。二人とも共産系の労組役員であったために人事では不当な任用差別を受けていたことも似ていた。しかし、そんなことは二人の仲を見渡しても些末なことである。電話の終了間際に、野川和一さんから突拍子もない言葉を頂いた。
『・・・イワン・アサノヴィッチ!あんたは “大物”だね。うん・・私はそう思うよ。』望外な誉め言葉を頂いてしまった。
突然の事態だったので、野川和一さんにはまともに返す言葉もなく 『あ、いやあ~そんなに褒められちゃうと弱りますよ・・・。』と返すのがやっと。
(この一言は実に嬉しく、いま思い出しても嬉しく々々々思い起こされます。)
総じて野川和一さんが相変わらず元気であることが覗えた。
89歳という高齢であるだけに、つくづく安堵した。そして野川和一さんの少し嗄れたアノ声・早口な喋りを久しぶりに聞くことが出来たことが、懐かしく思えてしまった。一方でもう二度と四街道の居酒屋で、野川和一さんの声を聞くコトが叶わないという言いしれぬ寂しさが込み上げて来た。

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