イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

続く、名門大学生の不祥事事件

2016-12-28 18:05:01 | 社会・経済
 先日、千葉大学の医学部の学生と教師が、飲み会に同伴した女性をトイレに連れて行き猥褻な行為を繰り返し行ったと言う報道があった。
そして、これもご承知かと思われますが、その事件の前にも全く同様の事件がありました。
 即ち私立大学の名門・慶応大学のサークルの飲み会で同伴した女子大生を男子学生が集団で暴行した事件です。
事件を起こした輩は両者とも名門大学の学生や教師だったということです。
この両者には著しく共通するところがあります。
 まづ第一に挙げられることは大学入試に際しての、偏差値は両大学ともに非常に高いと言う事です。所謂、難関大と言う訳です。
入試に際して、高偏差値の大学は他にも多く上げることができます。
しかし二点目の共通点が重要な意味を持つのではないかと思われます。
即ち、二点目の共通点は両者とも学生の親が高収入家庭だと言うことです。
高偏差値と高収入家庭がセットになっていることが重要なポイントなのです。
 偏差値の高い大学への入試に際しては、高校に入ってから直ぐにその準備のために進学塾等に入らなければなりません。
塾に関しても明確な入学校目標を持った高校生を集めて合格率を高める努力を怠りませんから、そこでも「入塾試験」なるものを設定したりしています。
そして、「医学部」入学を希望とする生徒は実は高校からでは間に合わないとされ、中学生のころから、個人の家庭教師を雇い入れて特別なメニュウ仕立てで医学部入試に備えていくのです。
 中学生。子供から大人へ移行する時期で非常に多感な頃です。イワン・アサノヴィッチは困窮家庭であった為に「入試」なんてものは別世界のことで、下町の江戸川区界隈でガキ大将らと連れだって日没まで遊び回っていたころです。
 進学準備の子どもたちとの違いは、子ども同士がケンカを通して、「公平」とか「信頼」
を体得し、鞍馬天狗や鉄腕アトムの世界を共有し合っていたことでした。
そこには、男が酔った女性を集団で暴行する思考は生まれてきません。
子ども心にも正々堂々と生き、すでに「卑怯」を学んでいたと思われるからです。

住みやすく、死ぬまで住みたい街づくりとは

2016-12-11 01:07:33 | 社会・経済
  (FB投稿。S市議に返信。2016・07・12より抜粋しました。)
全国で弱小都市が消滅していく時代になりました。弱小なんて言うと何かネガテイブな感じのする言葉になってしまいます。
生産世代人口が減らない「街つくり」は必ずしも”特産品”や”イヴェント企画”が必要なわけではありませんよね。 誰もがフツーの生活を終の棲家として、死ぬまで暮らしていける街、主要な公共施設などが2kmと言う徒歩圏内に位置しているコンパクトな街でいいのだと思います。暮らしやすい街ってそういう事なんじゃないでしょうか?
果たして50年近くも経ってしまって、「列島改造」やバブル経済のさなかに練られたような行政の「都市計画」などは、どんな意味があるのでしょう?
当時は日本中の自治体が競うようにして「遠大」な都市計画なるものをつくり上げました。人口10万人にも満たない我が町の都市計画道路は実に26路線にも上りました。50年近く経ったいま完結している都市計画道路は、僅か6路線に過ぎません。従って残りの17路線を仕上げるには何と120年かかると言う計算になります。都合170年と言う気の遠くなるような計画なのです。
従って、この際にはきちんと当初計画に見直しを掛けて、街としての機能をハードだけではなく、Sさんも関与して、毎年恒例の「ソーラン」祭りサークル活動などが活発になるような街、そしてFさんが関与している「市民ミュージカル」活動が受け継がれていく街。そんな多様なソフトウェアが活発に動いていて、普段着の気軽な生きがいが身近に在る、そんな街づくりが必要なのではないかと思います。
「選択と集中」と言う言葉が、出回るようになって久しいのですが、国や財界の意図するところは兎も角としても、「切り捨て」が無く且つ丁寧な、これからの街づくりの骨格となるフレイズだと思います。