イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

こころ秘かな”悲劇ドラマ”

2009-10-21 01:24:51 | 日記・エッセイ・コラム

 イワン・アサノヴィッチには2歳になる孫がいる。初孫の女の子で家族はミイとかミイタンと愛称で呼んでいる。

休日には家族中でよくやって来る。家に着くとパパ・ママの手を振り切らんばかりにして『じィじ!』と言いながら飛びついてくる。イワン・アサノヴィッチも『みーたん、イラッチャイ』などと言いながら破顔で抱き上げる。

そんな二人を冷ややかに眺めている嫁は『あ~あ、じィじとミイは相思相愛だから仕様がない。』と苦笑する。

たまにイワン・アサノヴィッチが外出中だと大変で、ミイは家族に『じィじは?じィじは?』と訊ねまくるのである。そんな話しを後で聞いたりするとますます孫が可愛くなる。

イワン・アサノヴィッチは脳外科手術で明日は入院である。今までに外科手術は6回ほど受けており、3回は入院を伴うものであった。内科の入院も手術も全くないのであるが外科手術はやたらと多いので慣れてしまっている。

今回の入院も手術後1週間で退院できるという比較的簡単な手術であり全く心配はしていない。しかし万が一、手術が成功せずに死ぬようなことがあったら…想像するだに悲しくなることが一つだけある。

2歳のミイである。我が家にやって来ても祖父は他界していない。『じィじは?じィじは?』と家族に訊きまくる姿が目に浮かび目頭が熱くなってしまうのである。そんなことは失笑を買いそうなので誰にも言えない、まして妻にはとうてい言えないのである。

『よくって、イワン・アサノヴィッチ!手術で死ぬかも知れない、すると残されたミイが不憫になるなんて、イワン・アサノヴィッチが悲劇ドラマを勝手に考えるのは自由ですけれど、そんなことは万が一にもなくってヨ。』と一蹴されそうである。

祖父母の家で休日の団らんを終えて帰る段、ミイはイワン・アサノヴィッチに抱きついてなかなか離れようとしない。そんな様子を眺めていた嫁は『ミイちゃん!そんなに甘えたらじィじは入院出来ないヨ。』と苦笑しながら含蓄のあるひと言。

嫁はイワン・アサノヴィッチのこころ秘かな”悲劇ドラマ”を知っているのかも知れない。


人非人ゆえに生きる ヴイヨンの妻

2009-10-20 13:24:36 | 映画

 『人でもいいじゃないの、私たちは生きていさえいればそれでいいのよ』

映画「ヴイヨンの妻」のラストシーンで大西(=浅野忠信)の妻(佐知=松たか子)が放蕩・不埒な夫の手を取りながら静かに投げかける言葉である。

ヴイヨンとは15世紀のフランスの詩人で放蕩・不埒で殺人まで犯した人間。太宰治原作の「ヴイヨンの妻」の主人公は放蕩で不埒な作家であり、太宰自身のヴィヨンへの傾倒・共振が色濃く投影されている。

大西は売れ始めた新進の作家であるが、生活費は殆ど家に入れず飲み明かしてしまう。おまけに行く先々で女と関係を結んでしまうようなだらしのない男である。

大西は佐知が、マフラーの万引きをして警察官に捕まり『私は22年間まじめに生きて来た。好きな男性にマフラーを上げたいと思っただけです。』と抗弁している場に偶然居合わせたのである。たった1回の万引きをしたからと言って大袈裟に悪人扱いしないでくれと言う訳である。

そんな佐知を見て痛く共感した大西はその場でカネを払い身元引受人となり結婚する。

釈迦は100人斬りの罪を犯した男を弟子として迎えている。罪の大小はあるにせよ人間はおよそ罪深い存在であると釈迦は規定している。

イエスも売女を非難する群衆に「罪なき者、もって石を打て」と言っている。人とまでは言わないまでも、およそ罪のない人間は居ないと説いているのである。否むしろ人間である以上は誰もが必ず罪を持っている存在なのだと断言している。

行く先々で女性関係をつくってしまう大西ではあるが、佐知を慕っている男を飲んだ勢いで家に泊めてしまう。

深夜、縁側ですれ違う佐知とその男はフト抱き合う。

ガタン!という音と共に眠っていた筈の大西が外に駆けだして行く。佐知は暗闇の中でその後ろ姿を認め『見られてしまった。』と言いながら泣き崩れる。

大谷を愛して、外での不貞を愛するが故に飲み込み続けてきた佐知が、今は逆にその苦しみ・哀しみを大西に与えてしまったのである。

自分の不貞を大西に見られたことが悲しいのではない。

知らなければ味わう必要のない苦しみ・哀しみを不用意に他人に与えてしまった後悔と、深夜に逃げ出す大西が佐知をいまだに愛すればこその逃避だと気付かされての涙なのである。

「ドロドロの愛」などとは思わない、それでも愛し合うという「やるせない愛」のように思える。


オンブバッタがキャベツを…

2009-10-16 00:54:19 | 農業

 キャベツが順調に生育していると思っていたら、とんでもない被害が出てきた。

緑の大きな葉っぱが筋を残してオンブバッタに食べられてしまっているのである。トホホ(泣)。

捕っても捕ってもオンブバッタはやって来る。キャベツの葉はまるで網のようになってしまった。

幸いなことに結球部分はまだやられていない。慌てて防虫網を張りトンネル仕立てにした。

 (茶色のおんぶバッタ)   Photo

(網の目キャベツ)      Photo_2

(ラブラブおんぶバッタ)   Photo_3

しかし、オンブバッタは不思議な昆虫で何故おんぶをしているのか調べてみた。

おんぶされている小さめのバッタは恰も子どものようである。昆虫だったら一杯タマゴを生むだろうに何故一匹だけおんぶしているのか不思議だったが、おんぶされている小さなバッタは子どもではなくてオスとのこと。

大きさが随分と違うので人間社会の目線で見ると、マセタ男の子のように見える。

最初は親子だと思っていたから食事中に捕まえてしまうことに忍びがたい気持ちを抱いていたのであるが、ラブラブのカップルと知ってからは遠慮会釈なく捕まえては雑草畑の方に放り投げるようにした。


お門違いの「トップダウン」発言

2009-10-14 12:07:38 | 国際・政治

 前原国交相が羽田空港のハブ化(国際航空の拠点空港)を明言した。整備途中の成田や関空を差し置いての突然の発言であった。

千葉県知事や成田市長は地元に事前の相談もなかったと怒っている。言葉尻を捉えて言うようだが、事前の相談があれば理解なり賛成なりしたのかと言えば否であろう。

余談だが知事の森田は『冗談じゃない!』と大声を張り上げていたが、まるで下手なダイコン役者の台詞である。あれではTVドラマの出演がなくなろうと言うものである。

同じく成田市長は『地元無視のトップダウンだ。』と怒っているがお門違いの発言である。誰のため・何のためと言う言葉の意味を噛みしめない「トップダウン」批判は当たらない。

そもそも国の事業は公共の福祉のために施行されるものである。空港とかダムは一地域の利便性を図るために実施されるものではないはずである。

ひろく国民全体の公共の福祉に資するために多額の税金の投入が了解されているものなのである。イワン・アサノヴィッチは成田空港から数十分の地に居住しており過去5回ほど海外旅行をしている。イワン・アサノヴィッチにとって成田は実に利便性の高い空港である。

しかし、ハブ空港としての機能は素人が見ても羽田の方が断然と上である。

トップダウンと騒ぐが納税者が理解できても知事や市長や議会が納得しないからと言ってこの言葉を使用するのはお門違いである。

納税者が理解・納得していないことを知事や首長・議会で勝手に決めて強行することが”トップダウン”なのである。現に神奈川県知事や東京の大田区長は前原国交相発言を好意的にうけとめており「トップダウン」などという誤用発言などしていない。

そもそも成田空港にせよ八ツ場ダムせよ事業開始から50年~60年を経過している。この二つの事業こそひょっとしたら「トップダウン」で始められた事業ではなかろうか?


ああ…、阪神タイガース(/_;)

2009-10-12 23:58:31 | スポーツ

 10月9日、対ヤクルト戦で阪神タイガースの3位確定の夢が破れた。 

ヤクルトも自身の3位確定が掛かった試合だから懸命であった。

セ・リーグでクライマックスシリーズ制が取り入れられてから、阪神タイガースは毎回出場の常連チームであった。

ペナント・シリーズ の前半では横浜ベイスターズと最下位争いをしていたのであるが、後半になって俄然と勢い付き3位のヤクルトとの13.5ゲームの差を見事に縮め且つ逆転までしたのである。

さすが阪神タイガースは常連チームだけのことはあると思い、今年もやっぱりクライマックスシリーズには何とか出場できると一人合点していたのである。

しかしこともあろうに最終戦の土壇場で4位である。

この落胆たるや如何ともするなきのみである。

本当の阪神タイガースファンはこういう時にこそ辛抱するのが本領だと言われている。

しかしイワン・アサノヴィッチは本当の阪神タイガースファンではないと言われても構わないから大いに落胆し腹癒せに罵声を浴びせ八つ当たりをしたい気持ちで一杯である。

『だらしねーぞ!タイガース』『何やってんだよ!タイガース』『顔も見たくねーや!タイガース』『グランド10周してこい!タイガース』…

しかし、何とも空しい、この気持ち、クシュン(泣き)。