イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

フエースブック&「twitter」投稿集 (初回)

2016-08-28 15:47:13 | 社会・経済
フエースブック(2016年8月28日)
夕食もままならぬ子どもが6人に1人、経済大国・先進国と言われている日本に存在する。なまけた親の「自己責任」と小泉純一郎と竹中平蔵は言った。
過日のTVドキュメントでPCの変えない貧困家庭の高校生が1000円のキーボードを買って練習する姿が放映され、画面を捉えてマニアックなネット馬鹿によって炎上。
部屋に在る家財は贅沢なものが在るとか何とかで取るに足らない話だ。
またぞろ、片山さつき某が悪乗りして女子高生批判のコメント。事実を調べず予断・偏見・先入観で国会議員たる者が平気で喋る愚。

【フエースブック20160827】
ホンチャラ安倍がかくも軍事産業部門の幕開けに拘る訳は、中・朝の動向を利用して、今まで禁じられていた「軍事産業」の隆盛を狙っているからデショ。一般工業製品の分野では中・韓に追いつかれてしまったので、財界は新たな儲け口として軍事産業隆盛を志向している。当然、財界のご機嫌伺い・腰巾着のアベ晋の役目は「戦争だ!々々々!」と騒いで軍事産業を興すことになる。アベの言う「国民の安心・安全」は大嘘。

「twitter」【フエースブック20160825】―
@nhk_news河川敷殺人事件。 ニュースでは「少年が仲間とのトラブルに巻き込まれた」などと異常な殺人事件をいとも簡単に報道している。
TV各社は、ニュース報道だから其れでよしとしているのだろうが、事件の社会的な背景についてもコメントすべき。それはマスコミの使命の一つだ。「必要だったら後でニュース解説か何かでやるから・・」なんて言う「報道」の仕方はマスコミとして下の下。事実、解説めいたコメントは報道がない。
(「自己責任」時代なのだから「格差は在って当たり前」だとして、高校中退・無職少年たちの溜まり場で起きた殺人事件に教育関係者も社会学者も解説コメントをしていない。いつから、庶民国民の連帯感・同胞心を壊す世の中になってしまったのか?
この少年グループ達の家庭は概して貧困家庭。高校中退や無職で居ることは決して当たり前のことではない、と当の少年たち自身が「疎外感」として感じている筈だ。)

藤原弘達氏の先見性に驚く

2016-08-18 18:03:24 | 国際・政治
 佐高信の「自民党と創価学会(集英社新書)」を読んだ。
歯に衣着せぬ表現と切り込みが鋭く、読んだ甲斐があった。
文中に故・藤原弘達の名前が出て来た。
藤原弘達は昭和から平成に掛けて活躍した政治評論家で、豪放で闊達な物言いはつとに有名であった。
テレビ映りも良く、ジョークも上手かったので晩年は多くのTV番組に顔を出す、特異な政治評論家だった。

以下は38年前の藤原弘達の指摘である。(同書のpp172)
「公明党が自民党と連立政権を組んだ時、ちょうどナチス・ヒトラーが出た時の形と非常によく似ていて自民党と言う政党の中にある右翼フアッシズム的要素、公明党の中における宗教的フアナテイックな要素、この両者の間に奇妙な癒着関係ができ、保守独裁体制を安定化する機能を果たしながら、同時にこれを強力にフアッショ的傾向にもっていく起爆剤的役割として働く可能性も非常に多く持っている。」

ここまで読んでいただければ十分に認識して貰えると思うが、以下に続く文章も38年前の古びた戯言ではなく、まさに現代の状況を寸分の違いもなくズバリと指摘しているのである。そして、今後の政治的な課題も。

「そうなった時には、日本の議会政治、民主政治もまさにアウトになる。そうなってからでは遅い、ということを私(藤原弘達)は現在の段階において敢えて言う。」

イワン・アサノヴィッチは本当に驚いた。
氏の生前の活躍や発言は承知していた積りだったが、上記文章の如く現段階における自民党と公明党の癒着関係(ズバリ癒着と書かざるを得ない)を何と38年前に見事に言い当てているのである。

この間、左派系の評論家も居た筈だし、野党だって活動していた筈なのだが、今や藤原弘達の指摘したとおりの状況になってしまっている。
左派や野党の責任だとは言わないが、どうも眺望した政治家や評論家が藤原弘達に継いで左派・野党サイドに出てこなかった、というのも事実だった。
報道の自由度が世界で70番台になってしまった現下の日本が恨めしい。

 押しつけ憲法否定の新資料 

2016-08-13 15:46:33 | 国際・政治
 東京新聞(2016/08/12)の一面見出しは、戦争放棄の憲法9条は幣原喜重郎首相が提案したと報じた。
堀尾輝久東大名誉教授が新たな資料として発表したもので、それはマッカーサーGHQ最高司令官との書簡に明記されていた事が判明したのである。
この書簡は’57年当時の憲法調査会の高柳賢三会長とマッカーサーとのものであった。
マッカーサーの返信書簡である。
『戦争を禁止する条項を憲法に入れるようにという提案は、幣原首相が行ったのです。』 そして、『提案に驚きましたが、わたくしも心から賛成であると言うと、幣原首相は、明らかに安堵の表情を示され、わたくしを感動させました。』と結んでいるのである。

堀尾氏が見つけたマッカーサーから高柳に当てた別の手紙では。
『本条は世界に対して精神的な指導力を与えようと意図したものである。』とし、後生の世の我々が、このマッカーサーの書簡の一節を読んでも意義深く感じさせられる。

東京新聞の結びは以下の通りである。
「改憲を目指す安倍晋三首相は“今の憲法はきわめて短期間にGHQによって作られた”」などと強調してきた。堀尾氏は「この書簡で、幣原発案を否定する理由はなくなった」と話す。 全く同感の極みである。

作家の孫崎享氏(元外務省情報局長)はアベ首相をして「嘘と詭弁ばかりの人」と評しているが、昨今のアベに至っては「欺瞞」も付け加え無ければならなくなりつつある。
一国の首相たる者が、歴史的に判明していない事実を都合の良い解釈をしてあまつさえ、便乗するかの如く「政治」や「政策」をシャーシャーと語っている。
それは自身の保身とアメリカや財界の意向をとりいれようとするが余り、肝心の主権者在民と言う民主主義の根幹を忘れた亡者のそれである。

このことに依って、アベのみならず改憲右派・軍国保守の一派は「アメリカに押しつけられた憲法」だから、自主的な憲法を持つ、と言う根拠がなくなった筈。
さて、どうする!アベちゃん。
さて、どうする!軍国右翼&いい加減な保守。

絶賛!ライブ「東京大衆歌謡楽団」

2016-08-12 19:00:32 | 芸能ネタ
 8月9日、我が演劇鑑賞サークルの暑気払いである。
名幹事の計らいで、深川江戸資料館で行われた「東京大衆歌謡楽団」のライブを聴いて後、下町の居酒屋で一杯やる事になった。
幹事は30代の女性。まさかの企画にイワン・アサノヴィッチは喜び驚いた。
何と言っても「東京大衆歌謡楽団」のライブとは粋な計らいである。

そんなに有名なメジャーアーチストではないから、小ホールで入場料2500円程度なところも下町・庶民派のライブと言う気概を感じさせられる。

「東京大衆歌謡楽団」は江戸川区や江東区一帯の下町で路上ライブ、即ちストリートミュージシャンとして男性三兄弟が活動していたのである。
彼らは昭和歌謡に特化してライブを展開していたのであるが、それが功を奏して下町情緒にピッタリはまり、界隈ではかなりの人気を博していた。

一年前頃になろうか、そんなユニークな存在となった「東京大衆歌謡楽団」をNHK
テレビがピックアップして放映。人気は俄然、上昇した。
楽団と言っても三人だけでボーカルを除けば楽器は次男のベースと三男のアコーデオンだけである。
しかし、長男の高島孝太郎(32)の唄が昭和派にとっては絶品なのである。
孝太郎は細面で青白い顔、目は細く髪はケツ割れカットのドンチャン眼鏡。
どう観てもテレビ受けはしない。敢えてのメーキャップなのだろうが・・・
昭和の名歌手・東海林太郎の仕草を真似ているのだろうか、熱唱中は微かに腕を動かす程度で派手なパフオーマンスは一切なしだ。

♪江戸の柳は風まかせ~♪ オープニングは高田浩吉のヒット曲「大江戸出世小唄」で幕が切って落とされた。
およそ二時間(休憩含み)の間に20曲が紹介されたが、豊かな声量と質の良い声音にイワン・アサノヴィッチは堪能した。
心なしか、藤山一郎の「長崎の鐘」を歌ったとき、高島孝太郎は今日一番の気持ちを込めて歌い込んだのではないだろうか。
そんな気がした・・・。
今日8月9日は長崎被爆の日だったのである。

初孫のミユウは、心の永遠

2016-08-07 19:00:27 | 日記
 イワン・アサノヴィッチの初孫・ミユウは、早いもので小三になりました。
自身では事実上の年子、三人の父親としての育児を経験しています。
しかし、“初孫“と言うものは祖父・イワン・アサノヴィッチにとって、独特の存在であり今もそのとおりなのです。
「育児の責任が無いから孫ってカワイイのだ。」と人はいいます。
もひとつ付けくわえるならば、孫の代ともなれば祖父母の側にも心身ともに育児に対する余裕が生まれているからなのでしょう。
イワン・アサノヴィッチ自身が三人の乳幼児を育児したときは30代前半でした。
勤め人としては、駆け出しのころで、やたらと仕事が忙しい時期でした。
核家族共働きだったのでイワン・アサノヴィッチは家事も手伝い、三人の布オシメを洗ってベランダに干し終わるころは、いつも夜中の12時近くになっていました。
三人の年子を飲ませ食わせ寝かせするだけで精一杯だったのです。
だから乳幼児の可愛いらしさを味わう、余裕が余りなかった、と言うのが実情でしょう。
今ではお陰様で孫も四人となりました。
初孫のミユウは小三になったにも関わらず、相変わらずカワイイのです。
実弟は結婚が早かったせいもあり、初孫はもう高校生になっています。
しかし、初孫は幾つになってもカワイイものだと漏らしていました。
やはりそうか・・・とイワン・アサノヴィッチは変に納得しているのです。
学校も夏休みとなり、ミユウが一人で我が家に泊まり込みでやって来ますが、幼児の頃の面影は当然ですがもうありません。
ただ・・そこに今も存在するのは“無償の愛”とでも言うものなのでしょうか。
名前の呼び方は「ちゃん」付けから、敢えて呼び捨てに変えました。
しかし、ミユウは相変わらずイワン・アサノヴィッチを「ジイジ」と呼びます。
無償の愛なんて、中々この世の中にはあるものではない。とミユウも成長して行く過程で程なく気づかされるでしょう。
そうなって行くのが当然と思いつつ、そうなっては欲しくないと言う矛盾した考えがイワン・アサノヴィッチの心の中で葛藤・混在しています。
ミユウは身長のある子でクラスの中では、時にお姉さん的な役割をしなくてはなりません。・・・たぶん教師の目から見て、その点が不十分なのでしょう。
通信簿には、少し幼稚なところが在ります。と記載されていたそうです。
ジイジ的には、支障のない範囲で、少々幼稚でも構わないから、無償の愛は存在するのだといつまでも思っていて欲しいと心のどこかで願っているのです。