イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

畑での時空に勤しむ・・畑は日本社会の批評家

2020-03-04 13:05:24 | 日記
 イワン・アサノウィッチは決して他人(ひと)とのコミュニュケーションが苦手ではないと思っている。
しかし、一人で過ごしながら孤独の遊びや仕事をする事も結構と好きである。例えば、10代のころから始まった映画鑑賞や、もう30年以上も続いている畑での園芸の趣味である。余談だが現役時代は某県庁の技術職で、一人担当の業務が多かった。
畑の趣味は今も続いており、否寧ろ今や生活に占める時間的な面ではメインとなっており、晴れれば午後から日没まで畑に滞在していることが多い。
30年前の当初の畑の面積は50坪以下から始めたものであるが、定年退職してからは、地主も変わり面積は120坪に増えている。
以前の本ブログでも書いた事なのであるが、「畑はまるで自分の終の棲家のように思える 」・・のである。
そこには煩わしい人間社会の付き合いの諸々が介在しないからである。定年以降は特に雑多な人付き合いには閉口していたので、自ら距離を執り避けたりしている。
イワン・アサノヴィッチは小学生時代、東京の下町の江戸川区・小岩で育った。終戦間もない昭和20年から30年代にかけてのことである。周囲は勿論のこと日本社会もまだ戦後から立ち直ってはおらず、貧しく経済も疲弊していた。
しかし、人間関係は明け透けそのもので、母が学校の参観日に着ていく着物も無いので、近所の方から借りて、すまし顔で出かけたりしていたものである。TVドラマにも登場するシーンであるが、醤油を湯飲み茶わん一杯の貸したり借りたりすることは、下町では真実であった。母に言われて実際に茶わんを持って零れないように返しに行ったことも覚えている。余談になるが、そんな昔に心を馳せると何かしらホンノリとした思い出として蘇る・・。
 人情も貧乏も明け透けの時空と同じものが・・不思議に畑にはあるようなのだ。
・・それだけ現代の時代があるいは日本社会が庶民国民が好むと好まざるに関係なく、虚飾に包まれ過ぎているのではなかろうか。
イワン・アサノヴィッチの周囲を見回して見ると、高校や大学受験の際に用いられる「偏差値」が生涯の価値評価であるが如くの現象が存在する。現今の企業や役所ではマヤカシの「成績主義・競争主義」が横行して、人を物差しで測るという忌まわしい事態が当たり前化している。
しかし、この一面的な思考方法は「計測不能」な人たちを排除・除外してしまう所に重大な欠陥が在る。「今だけカネだけ自分だけ」と言う近視眼的思考の重大な欠陥だ。
企業や役所の組織の中では「ボトムアップ」は言葉だけで実際にはあり得ない。上意下達・機械的な一律統一主義という官僚主義思考が重くのしかかっている。
そんな資本主義日本の思考方法には、とうとう馴染めず定年して今に至るのである。

32回 twitter&フエースブック投稿集

2019-12-08 13:49:33 | 日記
 Twitter イワン・アサノヴィッチ  2013年8月9日
@masaru_kaneko S20年6月生まれの私も、両親と共に上海から引き揚げ。家も土地も財産も没収。「土産」はアメリカ傀儡の蒋介石空軍の機銃掃射をかいくぐっての命辛々の帰国でした。母は敗戦前の上海生活の昔話しを時に話す事はあっても、父は一言もなし。そんな父の背中を見て育った私は、他国を軍事占領支配することの不正義を子供心にも何となく感じていました。
「孫崎享のつぶやき 2013-07-28「民主党に将来はない。終わった政党だ。」
に対するイワン・アサノヴィッチのコメント。
小沢は角栄の一番弟子。角栄が日本独自のウラン燃料を求めて米離反行為に出た途端、ロッキード疑獄で潰された。小沢も然りで国会議員の大デレゲーションで中国詣をしている途端に西松建設とのゼネコンマネーに拘わったかのような司直による弾圧が開始された。 日本は幕末のペリー来航然り、マッカーサー然り、今回のアメリカスタンダードのTPP然り。対米従属という歴史的な宿痾を持って居る。この基軸を見逃すと政治家浮沈論を見間違えると思う。
橋下大阪市長は、旧日本軍の「慰安婦問題」を沖縄米軍に利用・提案した。この問題は米国民の「良心」の琴線に触れた。こうなるうと、たぶん橋本龍太郎首相(当時)に明日は無いと考えた方が自然となる。米の隠然たる力を過小評価することは、日本の政治を展望する上で大きな間違いである。

保坂展人 @hosakanobuto  奇妙な反応こそ病根の表れですね。

イワン・アサノヴィッチ 私も新宿高校定時制出身です。夜の仕事を得て、大学は昼間の方に進みました。仰るとおり「学歴社会」の病根は今の日本に深く存在します。現役中に職場の同僚たちと出身校の話題になったりしたときに、大学は出たけれど高校は定時制だったと告げると周囲は奇妙な反応を示しました。
保坂展人 ‏@hosakanobuto 23時間
「本当に新宿高校定時制中退なのか」という私に対しての新聞社の取材の意図は、「実は他にも学歴があって実際より低く表示しているのではないか」というものだったようだ。ふだんは考えてもみない「学歴」にとらわれた社会の病根を、この取材記者自身が持っていることに気づいただろうか。

津島秀樹氏の通夜に思う

2019-11-24 19:40:51 | 日記
 昨夜、津島秀樹氏の通夜に参列して来たが、心筋梗塞とは言え、如何せん68歳の逝去は少し早すぎる。
娘さん3人と孫が4人ほど居る家族だったが、しんぶん赤旗の印刷局を8年前に定年退職して、地元の四街道市の市議選に二度目の挑戦で当選し、これからは市議会議員として本腰を入れて地元・四街道市で活動すると言う矢先のことだったのである。
私の妻が大日保育園に在職中、今は40代になる三人の娘さんたちが、当時の大日保育園を卒園していたので、告別式ではそんな思い出話を妻もしたとのこと。
式場には家族団らんの写真が数十枚まとめて張られていた。そこには津島秀樹氏と遺族がいかに楽しく、幸せに過ごしていたかの思い出の気持ちが強く映し出された写真が展示されていた。そこには、津島氏が幼少の頃の娘さんや、生まれてきたお孫さんを抱っこして微笑んでいるという普通の写真が幾枚も張られていた。きっと遺族にとっては、これ以上の幸せは無かったと言うことを確認、表現するかの如くの写真だったのだろう。・・・同情して泣けてしまう。
看護師をしていた奥さんの謝辞も実に良い文章で内容も抜群、知性があふれた文章だった。たとえば、三女の卒園記念に南紀に船の旅行をした時の叙述がある。
『旅や遊びに出る際には、夫は輪の中で嬉しそうに頬を緩めておりました。・・・潮風に包まれた思い出は、家族のそれぞれの胸の中に温かく刻まれています。』
いま改めて思ったことなのであるが、私が常々家族や付き合いの長い友人たちに言っていることが一つある。それは、まさに「普通で良い、健康であれば・・」という一句である。
私が中高年になって、即ち50歳台になって会得したと言っても良い思考を表した言葉である。それが、いま間違いのないことだったのだと再確認できたようなそんな気がするのである。
 いま、氏が亡くなる半月前に市役所でバッタリ会って立ち話をした事を思い出す。氏の活動上の事に話が及び、氏の悩みというより希望めいたことを・・・即ち『議員本来の活動をもっと専念してやりたい。』と言っていたのである。氏は議員と同時に四街道市の党組織の委員長をしていたのである。多忙だったのだろう。
私も自身の経験上から全く同感だったので、議員本来の仕事・活動だけでも大変だよねと相槌を打って励ました。 短い会話だったが印象的な内容だったので、私も自治労の役員として現役時代に同じような経験があった悩みだった事でもあり、氏の言葉を理解することが出来たし、従って氏を励ますことも出来たと思っている。
氏と別れるその時の言葉が、そしてまた氏のか弱い笑顔が今となっては、脳裏に焼き付くような強い印象として残っている。津島令夫人は“再会の日”まで、『お父さん!ありがとうという言葉を捧げてゆく積りです』と結んでいる。これまた泣けてしまう。(2019年11月10日:記)


29回 「twitter」&フエースブック投稿集

2019-10-31 12:42:58 | 日記
「twitter」&フエースブック(2017年10月2日)
孫崎享氏の言葉をリツイートしました。勇気をもって! 多くの国会議員には旧社会党や、社民党と同じように政党が衰退していく不安があるだろう。 だが重要政策の多くで、国民は自民党や「希望の党」の政策を支持しているわけでない。国民の意向の、真の受け皿になって欲しい。(孫崎亨氏)

「twitter」&フエースブック(2017年9月23日)
強姦摩の山口敬之が官邸絡みの人間にモミケシ依頼
警察も、強姦摩の山口敬之が官邸絡みの人間にモミケシを頼んで応じた事。これはまさに「政官財癒着ムラ」の生んだ第二の犯罪です。しかし、こうやってSNSを使って国民レベルのメデイアを有効利用しながら、選挙でモミケシ自民党を追い落として行きましょう。機会があればデンツー労組にも社員のため国民のために活動することを促しましょう。たぶん、警察もTBS局もデンツー社も電通労組も、このFBの中山さんや諸氏のコメントのやり取りをコッソリと観ている筈です。我々は正々堂々とコメントし返信し時に誤解を謝ったりしながら意思疎通を深め国民から共感を得て行く投稿をドシドシ続けて行きましょう!

「twitter」&フエースブック(2017年9月18日)
豊田真由子(自民党国会議員)が地元で涙の謝罪会見。
豊田真由子よ。お前の涙の前に何人もの庶民国民の涙が流されている。 オマエのような世間を知らない偏差値バカが、この事案で途中発見できただけでも、社会は明るくなる。アンタは偏差値に追われた半生。子供同士の喧嘩と仲直り、そんな人間成長の経験などはゼロ。 小学校からやり直して来い!議員の続投などあり得ない。

「twitter」&フエースブック(2017年9月16日) 
市民ミュージカルとソーラン踊りとのコラボは?
話は変わるのですが、二週間前に挙行された我が町の「市民ミュージカル」はご覧になりましたか?Fさんが相変わらず頑張っていますが、公明党のS子市議さんもメンバーの一人として出演しました。それと、「ソーラン踊り」とのコラボとかないものですかね・・・。私は歌や音楽を愛する者どうしの市内での共演を期待しているのです。

孫娘の美結は、ギャルに変身中?

2019-01-07 20:57:44 | 日記

                 
 早いもので孫娘の美結は、もう小学5年生となりました。
イワン・アサノヴィッチにとっては、美結は初孫であり、その為でしょうか幾つになっても愛おしさは一入(ひとしお)です。
さすがに幼児期を脱し、美結もボツボツ少女期に入って来ているな・・とは思うものの美結とジイジの距離が徐々に離れて行く寂しさの反証なのでしょう、ジイジに甘えて抱っこをせがんで来たあの頃の美結の印象・想いでを忘れられないでいるのです。
 先日、小間物の買い物に出かけた折、店頭でネコをデザインした小銭入れ(写真)を見つけました。 そうだ!美結にプレゼントしてあげようと思い購入しました。
数日後、美結一家が我が家にやって来ました。
ジイジは心待ちにしていました。猫の小銭入れをプレゼントして、笑みを浮かべながら喜ぶ美結の顔が観たくて仕方がなかったのです。
ところが何と! 
『要らない。』 の素気の無い一言だったのです。
ジイジが愕然としたことは言うに及びません。

『それじゃあ美結さんが、プレゼントして欲しい物って何なんだい?』
ジイジとしては、次回の参考のために訊いておこうと思った訳です。
すると間髪入れず声高に 『洋服かおカネ!』 と即答が返って来ました。
ゲエ~!それって何なんだい!!
手袋やリボン、身の回りの小物とか少し洒落た文房具・・そんな品物の名前が返って来るものとばかり思っていたイワン・アサノヴィッチは驚いてしまいました。
まるで、その辺のギャルではないか!!
女の子の変身・変化には追い付いていけないイワン・アサノヴィッチです。昔から。