イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

南北両首脳の聡明と暗愚なアベ晋

2018-04-30 21:22:43 | 日記
 金正恩はミサイルの米本土到達と核技術の成功を以て一息ついた。これでアフガンやイラクの如くアメリカの軍事攻撃で政権・体制が一晩でひっくり返される心配は無くなった。金正恩はアベ晋などよりも数段レベルの高い為政者だと気が付いたのはその後だ。
いきなり半島の平和確立を提案して来たのである。そして、矢継ぎ早に米朝トップ会談の提起。それに先だって南北の首脳会談への実現だ。二人で休戦ラインを手を取り合って徒歩で超えたこと。直後の会談で「板門店平和宣言」の署名と続く。
金正恩が一転して和平外交路線を打ち出した、もう一つの理由は、韓国の文在寅大統領の存在だと思っている。
即ち、文在寅が大統領選挙の時の公約に「北朝鮮との平和外交交渉」を掲げたことにあると思う。これは当然に北朝鮮も意識した課題だったのだ。まだ、アメリカが北朝鮮にたいして軍事行動も辞さないなどと盛んに言っている頃だった。
金正恩はミサイルと核装備の達成を果たした後は、平和路線の文在寅と実質的な交渉に入りたいと考えていたに違いない。
文在寅もそんな金正恩の構想を読んでいたのではなかろうか?
一方、軍産国家のアメリカは半島で軍事的な緊張が続くことを秘かに狙い、トランポリン大統領は軍事的な行動も選択肢に有るなどと言って、バカなアベ晋を同調させていたりしてたのだ。トランポリン大統領の尻馬に乗っかっているアベ晋は調子に乗って騒いでいた。其れは、日本の財界・工業界が国内の軍需産業の振興を狙っているからである。アベ晋の北朝鮮に対する声明はいつも、「政官財癒着ムラ」の要求を踏まえたもので不純な動機から発せられている。だから、いつも北朝鮮には軍事的な不安定要素が存在するかの如くの論調だ。それに引き換え韓国の文在寅大統領の対応・声明はいつも冷静で、平和的な解決の方法を模索している。金正恩はアベ晋の不純な動機を見抜いている。また、トランポリン大統領に対しても、半島における非核化問題の協議如何によっては米朝会談が失敗に終わっても構わないというスタンスを既に持っていると思われる。
即ち、核の最終的なレベルの技術・施設等の凍結や破棄には賛同し、次いでアメリカの北朝鮮に対する軍事的圧力の減少に合わせて、北朝鮮も段階的な縮小~破棄~完全消滅へと進むロードマップを持っていると思われる。
北朝鮮にしても莫大な軍事費を民生費に切り替えたいとする気持ちはある筈だ。そして、経済的な圧力が解除され、平和な下での国家再構築をしたいと思っている筈だ。在寅はそのことも認識しており、遠い将来には南北統一の為に経済支援をして行く腹積りなのであろう。文在寅大統領の思想は、暗愚で不純なアベ晋とは比べものにならない。

映画ラッキーを観て(2) まるで禅宗のよう

2018-04-28 00:28:24 | 映画
 ラッキーは夜ごと通いなれている「エレインの店」でブラッデイ・マリアを飲むのが習慣だ。店には一癖も二癖もある馴染の客も居て自由気ままに時間の経つのも忘れて話し合う事がある。

ラッキーの言葉はくどくどしていない。言い切り調で修飾語も少ない。しかし、それは一見すると虚無的に見えるが、イワン・アサノヴィッチには哲学的というより禅問答のような気がしていた。

スタントン自身は二次大戦では海軍に所属し沖縄戦を経験している。そして実際に戦勝して沖縄に上陸している。力の差は歴然としているのに最後まで戦う日本人の不思議を語る。そこへ同じく海兵隊員として沖縄に上陸した客は『激しい戦禍のあとに日本の女の子と出くわしたが、ニコリと優しい笑顔を見せてくれた。感動した。』と噎(むせ)んで居る。戦争というものの無意味性を語っているのだろう。

裕福そうな客としてD・リンチが登場する。スタントンとの個人的な友情出演である。リンチの役どころは、ペットの陸ガメが逃げてしまったが『カメはきっと大切な用事が有って出かけたのだ。今まで俺がそれを邪魔していたんだ。だから探すのを止めた。私はいつでも門を開けておくだけだ。執着は止めた。』 現代の人間社会の物欲・所有などへの執着の否定をD・リンチに語らせてもいる。

圧巻は、『誰もが真実を受け入れるべきだと思う。宇宙の真理が待っているから。それは俺たち全員にとっての真理だ。君も俺もあんたもお前も、タバコも何もかも真っ暗な空へ。管理者も居ない。そこに在るのは無だけ。空だよ。無あるのみ。』
――無ならどうする?
『微笑むのさ 』
先日、読んだ禅僧・南直哉氏も『人生を棒に振る、そんな生き方で良い』と断じていた。現代の人間社会の中で蠢(うごめ)く物質至上主義への批判なのである。

映画・ラッキーを観て(1)  切ない記憶。

2018-04-22 00:16:25 | 映画
  主演はハリー・デイーン・スタントン。一種のロードームービーである。
主人公のラッキーは高齢の独身男。目が覚めると直ぐに枕もとのタバコに火をつけ、吸い終われば灰皿でもみ消し直ぐには起きようともしない。
そしてヨレヨレの下着のままベッドの上でヨガを幾つかセットにして熟(こな)す。やがて立ち上がったラッキーの下着姿のヨレヨレ感が、そのまま腕や脚の筋肉の衰えと同化している。カメラはゆっくりとスタントンの老体をアップで写し出している。
映画の冒頭で観客は、この映画は派手な立ち回りやドラステイックな台詞のやり取りはなさそうだと印象操作される。そして移住して来たメキシコ人が住むこの町は、たぶんテキサス州あたりかと思われ、街の周りには名も知らぬ大きなサボテンが雑草の如く生えている変哲の無い風景だ。
古びたテンガロンハットを被り行きつけの店でミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲むのが毎朝の日課でもある。店主とは『ロクデナシめ!』とやれば『そっちこそ!』と交わすのが常で、これはスタントンのロスの友人との実際の生活の中から採られたシーンとのこと。

ラッキーは『独り(alone)の語源は、みんな一人(all one)なんだ。』 と変な悟りにも似た言葉を時に放つ。
そして、ふとした拍子に子供時代に撃ってしまったマネシツグミのことを思い出し、胸がはりさけるような気持ちになるという。・・実はイワン・アサノヴィッチも中学生時代に友人の空気銃で、屋根の雀を撃ってしまったことがある。まさか中る訳がないと軽い気持ちで引いた引き金だった。屋根の上で簡単に絶命してしまった雀、60年近く経った今もフト思い出すと切なくなる。
ラッキーは通いなれた行きつけのバー「エイレン」では、いつものブラッデイ・マリアを飲んでいる。女店主のエレインに『だれにも言わないでくれ、怖いんだ。(死が)』と告白する。エイレンは『ええ、わかっているは 』と優しい笑顔で応える。
イワン・アサノヴィッチも70歳代に突入した。・・内心そろそろ自分も終活の歳頃になってきたなと漠然と考えるようになった。

 (映画監督のD・リンチが出演。ペットの陸亀に逃げられた事を告げる。左側)

15回 「twitter」&フエースブック投稿集

2018-04-11 22:09:05 | うんちく・小ネタ
 「twitter」2017年5月24日
学生時代は偏差値に追われ、会社では成績主義・成果主義に追われ、竹中平蔵ではないが、他人(ひと)は他人(ひと)あとは自己責任と言うバラバラにされてしまった現代の労働者。 彼ら為政者(政官財癒着ムラの連中)は労働者国民が団結・連帯することを壊した。その結果が無関心。彼らの狙い通りになって来た。

「twitter」2017年5月24日
日本総督安倍晋三は平和憲法に悖る、関連法案を強行採決で何本も通した。 今の日本人には必要のない法律が幾つも国会を通過してしまった。しかし、アメリカにとっては自衛隊を下請けで使うには必要な法律。国会でニタニタしている自民党席の輩は日本人を観ずにアメリカの意向ばかりを気にしている売国奴的な連中である。

フエースブック(2017年5月14日)
孫崎亨氏がアベ晋の話を評して「嘘と詭弁」ばかりと言いましたが、武田さんの引例もまさにアベ晋のそれを言い当てていますね。

「twitter」&フエースブック(2017年5月14日)
中国は世界の中のアジアを睨んで一帯一路を眺望しているのに、アベ晋はアメリカの意向を脇目に、目先しか観ておらず、およそ世界を眺望する能力はない。

「twitter」&フエースブック(2017年5月14日)
「維新」とは名ばかり政党のことですね。 恥も外聞もない、公明党と同じ権力迎合・権力欲だけの政党。橋下徹はオープニングだけは派手だが、後の持続力が全くない。 そもそも持っている信念やスタンスが無く、お笑い芸人のように意表を突いたシャベクリ能力だけ。恐らく本人は差別に苦しんだ筈なのに、そこから何も学んでいない現実逃避型の人物。やがて化けの皮が剥がれて来ますね。

フエースブック(2017年5月12日)
お間違いなく。経済力が国家の品位だと言っていません。経済状況が政治状況を支配するのだろうと言っているのです。政治の状況によってはやがては報道・教育・外交・etc 即ち「国格」の高低に大きく連なり影響を与えるのだろうと言っているのです。    

こいつの性教育は、どうしたもんだろう・・?

2018-04-01 16:18:26 | 日記・エッセイ・コラム
 イワン・アサノヴィッチの二番目の孫は男の子で、ヒナタと言い5歳になります。
ヒナタには5歳年上の姉が居ます。よく兄弟喧嘩をしますが、まだ年の差は大きいものですからよく泣かされたりしています。でも親は共働きなので朝は忙しく保育所に預けられて、お姐ちゃんとは夕方にしか会えないものですから直ぐに抱き着いたり甘えたりしています。
 ヒナタには一歳年下の従姉妹がいます。このブログでも紹介の有った志穂です。志穂の傑作ぶりは既にお読みの方もあろうかと思いますが、最近は、またまたジイジがガツンとやられたお話をしたいと思っています。
そんな傑出(?)したいわば女傑ですから、ヒナタがまともに掛かったのでは太刀打ちできません。
そうこうしているうちに、ヒナタには二人目の従弟が出来ました。名はユウトと言う、おとなしい男の子です。1歳になりヨチヨチと歩きまわるようになりました。姉の志穂とは違っておとなしく一人遊びをする手の掛からない男の子なのです。
ヒナタは俄然そんなユウトを気に入りました。考えてもみれば、上には5歳年上の姉、下には女傑の志穂・・では、以前から女にはつくづく辟易としていたのでしょう。
或る日、ヒナタはママに『ユウトみたいな男の子が欲しい』とせがんだのです。ママは『赤ちゃんはね、大きなキャベツの中に居て、フツーのスーパーでは売っていないんだよ、そしてね男の子の赤ちゃんは女の子より少ないんだあ、だからなかなか売っていないんだよ。』と応えたのです。
 その日の夕方、保育所から帰って来るなりヒナタはママの買い物カゴに駆け寄り盛んに物色しています。
『なに探しているの、ヒナタ!』 とママ。
『うう~んとね、男の赤ちゃんだよ。』とヒナタ。
そんなものは直ぐに買ってこれないよとママは説明したのですが、シクシクとヒナタは泣き始めたのです。ヒナタはてっきり、弟が手に入ると思って一日中、期待していたのでしょう。イワン・アサノヴィッチは、こんなヒナタに一体いつ頃になったら性教育をしたら良いものかと少し暗澹たる気持ちになりました。