イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

myみー 「愛別離苦」

2010-03-30 12:03:49 | 空海の周辺

  イワン・アサノヴィッチには2歳半になる孫娘がいる。家族はみーとかみーたんとか呼んでいる。

ブログを読んでくれている、イワン・アサノヴィッチの昔を知るひとは「好々爺もほどほどに…」と言うほどにイワン・アサノヴィッチはみーにイカレてしまっているのである。

みーもまた『じィじ!じィじ!』とイワン・アサノヴィッチを慕ってくれている。嫁曰く『じィじとみーは相思相愛だから、もう仕様がない』と言う状態なのである。

 みーが熱を出した過日、保育所には連れていけないので預かることになった。嫁と二人で我が家に来たのであるが、みーはいつものとおりじィじの家に遊びに来たと思いこんでいる。

しかし、嫁が『ごめんね、みーたん!ママこれからお仕事に行くからじィじと待っててね。』と少し深刻なニュアンスで語りかけた。

ムリもない、遊びに来たと思っている我が子の気持ちを慮れば母親の気持ちにも忍びがたい思いが入り込んでしまうものであろう。

じィじの家に来てハッピーな気持ちで一杯のみーは、じっとママの言葉を聞いていたが見る見る眉はゆがみ悲しげな表情に変わった。

イワン・アサノヴィッチは直ぐさまみーを抱き上げ『ママお仕事だね、じィじとお留守番してようね。』と優しく告げた。

みーは泣きはしなかったものの黙ってイワン・アサノヴィッチに抱かれていた。『じゃあ!みーたんママにイッテラッシャイしようね!』と玄関に出た。

車は動きだし嫁は車窓越しに手を振っていた。

『みーたん、ママがバイバイしているよ』とイワン・アサノヴィッチ。みーは健気にもしかし淋しそうに手を振っている。

人には人生の中で愛する人と別れなくてはならない苦しみがある。恰も「愛別離苦」と言う釈迦の教えを悟っているかの如くである。

みーはイワン・アサノヴィッチの観音様なのである。


獲らぬ狸 ジャガイモ植え付け

2010-03-20 02:13:58 | 農業

 ジャガイモの植え付けをした。男爵を3kgとメークインを3kgだが、イワン・アサノヴィッチの経験では最大規模の植え付けである。

大きな種芋は二つに切り分けて植えるが、細長い長辺方向に切り分けねばならない。輪切りにしてしまうと芽がついていない部分が生じるからである。

元肥は堆肥と鶏糞を鋤混んでいる。化成肥料は追肥に回そうと思っている。施肥の量が妥当なものであるか否かは覚束ないのであるが、一作獲ってみての経験則で行うことにしている。

マニュアルでは有機肥料と化成肥料を同時に鋤混んでも構わないような書き方がされているが、取り敢えず自分の判断・感覚・経験でやってみたいと思っている。

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計画どおりの収穫となればかなりの量となり、ご近所へのお裾分けも大盤振る舞いができそうだ。イワン・アサノヴィッチは幸せに出来ている人間なのであろうか、豊作になるという根拠は殆どないにも拘わらず心の中では大漁豊作を描き切っている。

芽が出て脇芽を抜き取り土寄せをする。地味で可憐な花が咲くころ二度目の土寄せをして花は養分を集中させるために切り捨てる。

季節は梅雨の真っ盛りであろうか、あとは収穫を待つのみとなる。畝の黒い土の中では丸顔の男爵と面長のメークインがあと一歩の成長を目指して元気に過ごしている。そんな姿を想像するのが好きである。

やはりイワン・アサノヴィッチは幸せな人種なのであろう。ご近所へのお裾分けも少し増やそうだとか、畑の名士だと悟ってもらうためには、さり気ない顔付きで配らなければならないなどと既に顔作りまで考え始めているのである。


『沖縄に申しわけない』と自裁した若泉氏

2010-03-12 02:34:18 | 国際・政治

 3月9日、外務省は「米国との核密約」があったことを公式に認め発表した。

長らく自民党政権下で明らかにされなかった事柄であった。

そして歴代首相や外相は国会で即ち国民の前で「核密約」を否定し続けて来たのであるが、その言葉を信ずる国民は殆どいなかった。その分、自民党の言う安保・国防論は国民からの信頼もまた失っていたのである。

気付かなかったのは悪慣れと惰性に堕していた自民党ひとりと言っても過言ではない。

11日付け朝日新聞で1967年当時、佐藤栄作首相のもとでキッシンジャー大統領補佐官と「核密約」に関する交渉をすすめ、非核三原則に反する内容の「合意議事録」を作り上げたのは若泉敬氏(京都産業大学教授)だったと報道している。

自民党の対米従属外交の下では『秘密交渉もやむを得なかった、しかし本当にそれで良かったのか』と若泉敬氏は自責する。

米軍基地の重圧に戦後一貫して苦しめられていた沖縄の人びとに申し訳ないと何度も口にしたとのことである。

若泉敬氏は1994年「他策」を出版し「核密約」を公表した。本土の経済復興の片方で同胞沖縄の悲劇が押しやられて行く姿を見かねて敢えて出版したのである。

そして1996年沖縄県知事に宛てた手紙に『日米首脳会談以来、歴史にに対して負っている結果責任を執り武士道精神に則り自裁します。』と書いた言葉どおり、「他策」の英訳本の打ち合わせを終えた直後、思い残すことはないと言って知人らの前で毒薬を煽り自決した。

何とも壮絶な生き様ではある。ここにも武士が居たのだと感銘し記事を読んで行くうちに目頭があつくなってきた。いまは亡き若泉敬氏に改めて敬意を表したい。

安倍元首相のコメントは『核密約の事実をもとに今後の日本の安全保障に資する議論・行動になって行くことを希望する』と、ややまともなことを述べている。

しかし他の歴代首相や外相はTVカメラの前では相変わらずシラを切り、「核密約」の問題から半ば逃げ隠れしている。

まさに「武士の風上にもおけない」体たらくであり、憤りを通り越して情けなくなる。


”大日小力”ひき逃げ!

2010-03-04 23:45:16 | 農業

 ”大日小力”とは、我が農園のイワン・アサノヴィッチの相棒の名前である。

3馬力足らずの耕耘機のことである。3年前に福島の姻戚から頂いてきた中古の耕耘機であるが文句ひとつ言わない働き者である。

エンジンは2サイクルである。手動チョークの具合を調整してエンジン始動ロープを思いっきり引くときの醍醐味は格別である。

年配のドライバーの方は手動チョーク付の車を運転した筈だからご存知だろうが、真冬の朝など一発でエンジンが掛かったときの達成感の味は格別で『よし!今日も良い一日が始まりそうだ!』などと思ったりしたに違いない。

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農園は5ブロックに区画されている。作物の連作障害を防ぐには3年間おなじ圃区の使用を控えねばならない。

ローテーションしながら作付けしていたのであるが、1圃区だけ花卉類を植えていたのでローテーションから外していたが今回は全面的に耕起をして、花卉類も植え替えをすることにした。

冬場の耕起は大事なことで、掘り起こした土に寒気を触れさせ土の消毒やら殺菌をするのである。良い土壌を作るための条件でもある。

”大日小力”は今日も文句を言わず、小さな身体で使命感に燃えながら懸命に働いている。2サイクルのコミカルなエンジン音をたてて軽快である。

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土壌消毒のため消石灰を鋤混みながらの耕耘だ。圃区の縦方向と横方向との2度の耕耘を行う。3年ぶりに耕起された土がこんもりと盛り上がってくる様子を確認しながらイワン・アサノヴィッチはご満悦である。

すると黒い土の中から白いものが見えて来た。15cmはあろうかトカゲの白い腹である。冬眠中のトカゲを”大日小力”は轢き殺してしまったのである。

イワン・アサノヴィッチは懇(ねんご)ろにトカゲを葬った。また”大日小力”の警察からの事情聴取はいまだにない。(笑)