イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

O・サンコン氏の怒顔

2011-11-30 12:54:41 | 日記・エッセイ・コラム

 11月22日、わが町の市制施行の記念講演にテレビタレントのオスマン・サンコン氏が来た。「明るく生きていいですか」と題する、面白おかしい講演だった。

彼はTV番組の「笑っていいとも」に出演して人気を博し、いまに至るそうだ。この番組で進行役のタモリが『サンコンさんは、実はギニア共和国の外交官なのです。』という意外な経歴を紹介するにおよび人気は上がっていったそうだ。

事実、ギニアの大学を卒業してのち、パリの名門ソルボンヌ大学も卒業した国家公務員のいわばキャリア外交官だったのである。

彼は高校時代にサッカー競技で脚を怪我した障害者であった。3級障害者だそうである。そして本国の母は多妻が認められているので、3人いるそうだ。

『サンコンは3級障害者だしお母さんも3人いるし、なんでもサンなんだよ。』とおどけて笑いをとっていた。何事もいま在る現実から歩いて行こうじゃないかと言うメッセージなのだ。実践しているだけに迫力が伝わってくる。

サンコン氏は会場の皆さんと直接に話し合いたいと言って後半は会場に降りてきた。それもまた面白い会話の交流があって、書ききれないほどである。すると一人の年配の女性が『御国の国家を少し紹介してください。』と物静かにリクエストした。

『日本の好きな演歌は歌ったことがあるけど、母国の国家は歌ったことないよ!』と言いながら”自由”という題名を紹介した。

フランス植民地からの独立の際に、貧乏でも良い”ギニア人の自由”が欲しいという由来だそうだ。フランスのドゴール大統領はシブシブと独立を認めたが、引き上げの際にギニアの国内資産の全てをフランスに持ち去ったそうである。

銀行にはビタ一文のカネも残っていなかったとのことだった。ギニアは独立したけれど、世界一貧しい国からの出発を強いられたと、お笑いタレントとは思えない強い口調になっていた。

ニッと白い歯を見せる笑顔は消えていた。そして欧米列強の植民地政策の非道を、短い会話の中で訴えていた。すでに怒顔になっていたが、しかし実に真摯な顔つきでもあった。

サンコン氏は直ぐに気を取り直し、まったく無名のギニア国家”自由”のワンコーラスを斉唱してくれた。

大阪の市長は条例で国家斉唱を強要しようとしている。国歌の尊厳は国民の心にのみ存在するからこそ他国人の心にも沁みて行くものではないだろうか。


共産党異変 大阪市長選

2011-11-19 18:25:47 | 国際・政治

 13日、大阪市長選挙が告示された。

当初の立候補予定者は現職の平松邦夫現市長と知事から鞍替え立候補した橋下徹大阪府知事、共産党の渡司孝一大阪市議らであった。しかし、告示直前になって共産党の渡司孝一大阪市議が立候補を辞退した。

共産党の説明に依れば、『平松邦夫氏とは政策的に違う部分もあるが、橋下大阪府知事が自ら公言している独裁もやると言っていることや、憲法違反の教育基本条例を掲げていることを阻止するために、独裁反対を表明している平松邦夫氏を自主的に支援する。』ためとのことであった。

イワン・アサノヴィッチが知る限り、共産党が告示直前に立候補者を取り下げて、且つ他の立候補者を自主的に支援するなどと言う事は前代未聞のことであり、まさに異変である。

こんなことをすれば、共産党は民主党や自民党と手を組むのか!と言う批判を恐れて以前は決断しなかったのであった。尤も共産党は選挙民に選択肢を保証する責任が公党としての役目としてあるのだと言って、今までは負けると承知の上でも必ず立候補者を擁立してきたのである。

どんな選挙にも費用経費は掛かるのであり、共産党は資金の余裕の無い小党であるから、それなりに立派なことではある。

イワン・アサノヴィッチは橋下大阪府知事の「大阪都」構想に必ずしも反対ではない。否むしろ賛成である。今回の大震災では東北に拠点工場や部品工場を持っていた企業は大きな打撃を受けた。従って各企業はスペアー工場やバックアップ工場を分散して持つように変わって来ている。

同様に直下型地震のリスクが高まっている首都・東京のスペアーは危機管理として考えなくてはならないと思う。しかし橋下大阪府知事の言う大阪都構想は、大震災の際のスペアーとしての首都機能を持たなくては意味がない。そもそも東京の一極集中状態はひどい。イワン・アサノヴィッチに言わせれば「政官財の本社機能の集中癒着」状態である。 

それはともかくとして、橋下大阪府前事の「教育基本条例」制定の狙いは共産党ならずも反対である。いつの世も、時の政府は国民支配のために必ず教育「改革」を行うあるいは行おうとするのが常である。

1969年に自民党は’70年安保改訂を前に、大学生の政治活動抑圧を狙って「大管法=大学管理法」を「中教審」に答申させている。教育と言う世界は、教育の専門家集団やそれに関わる生徒・学生・父兄らに任せれば良いのであって、政府や知事が学校・学園の諸々に権限を以て口を挟む事は慎まねばならない。

橋本の個人としての主張はまだ構わないが、首長という権限を持って、主張の実現を狙うのは危険であり、掛かる人物には歴史が独裁者という証明をくだしている。