イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

メデイア其処彼処;大越健介氏の“能動的な愛”

2012-08-23 21:25:08 | 本と雑誌
  

  朝日新聞(20128月5日付け)の書評欄で、NHKの大物キャスター・大越健介氏の一文があった。タイトルは「思い出す本 忘れない本;どくとるマンボー青春期:北杜夫著」である。<o:p></o:p>

 

大越健介氏は東大の野球部でピッチャーをしていた筈で、六大学野球にも出場したと記憶している。TVで彼のキャスターぶりを見聞きしていても、「ひ弱なインテリ」という印象はなく、穏やかな中にも何処か野太いところが感じられ好感するところ大である。<o:p></o:p>

 

書評の中で、大越氏は北杜夫の「どくとるマンボーシリーズ」を幾度も読み返したと記している。実はイワン・アサノヴィッチも「どくとるマンボーシリーズ」を若いころ愛読していた。大越氏は50を越した今でも時に読み返すというから、スゴイ“お気に入り”の状態である。<o:p></o:p>

 

大越氏は、「青春記」の中で一番好きな一節をNHKの仕事の中で紹介したことがあったそうだ。<o:p></o:p>

 

〈自己を高めてくれるものはあくまでも能動的な愛だけである。たとえ、それが完璧な片思いであろうとも〉 という“非常に深くて、ごつごつして、ひっかかる”一節だったと言うので或る。<o:p></o:p>

 

大越氏の引用でイワン・アサノヴィッチも改めて気づかされたような気がする。<o:p></o:p>

 

初孫が出来て5年。寄る年波以上に涙もろくなったのである。思い起こしてみれば30数年前に初めての子を持った時にも現れた変化だった。独身時代には泣かなかった映画のシーンに、子持ちになってから、リバイバルで観た同じシーンにぼろぼろ涙してしまったことがある。砂の器という映画の中で、ライ病患者が偏見と差別に追われ、雪の海岸をさまよう父子のシーンであった。<o:p></o:p>

 

初孫が授かってからというものは、イワン・アサノヴィッチは涙する場面がやたらと多くなった。<o:p></o:p>

 

どこのジジババも孫に対して見返りを求めて愛情を注いで居るわけでは無い。孫が可愛いいだけである。そして孫も有償の愛をジジババに求めている訳ではない。見返りの愛を期待しない能動的な愛こそが、確かにジジババに言い様のない満足感をもたらしてくれている。だから北杜夫の言う崇高性が存在するのだろう。<o:p></o:p>

 

そして“能動的な愛”は子や孫にのみ発せられるものではなく、友人や同志、時に職場の同僚や部下、若い頃は片想いの異性に対して発せられることもある。<o:p></o:p>

 

高校時代に習った論語の一節を思い出した。「(前略)ひと知らずして 憤らず :孔子」。自己を高める能動的な愛には自問や自己検証が必然的に伴うものである。<o:p></o:p>

 

それは、ひとり孤独な精神的な作業でもある。だが、ロマンテイックでもある。<o:p></o:p>

 


メデイア其処彼処;いじめは大人の真似

2012-08-19 00:31:07 | 日記・エッセイ・コラム

 朝日新聞(2012813日付け)で経済学者の金子勝氏が、こどもたちのイジメについて一文を書いている。<o:p></o:p>

 

『子どもは大人の背中を見て育つと言いますが、君には大人のまねをしないでほしいと思っています。』 冒頭の切り出しである。<o:p></o:p>

 

金子氏は時事問題からも例を出して説明している。即ち、人気商売で反論など出来ない、芸能人の母親が生活保護をうけていると、国会で騒ぎ立てマスコミの餌食に仕立てている某自民党女性国会議員。もう一つは放射能の恐怖から避難している16万人の弱者をよそに、東電や保安院、イワン・アサノヴィッチに言わせれば経団連も悪しき仲間と思っているが、未だに16万人の逃げ場の無い境遇を顧慮もせず “埒のあかない安全性”とやらを議論している。<o:p></o:p>

 

そこにあるのは、『弱い人はいじめられ、追い込まれる。強い人は何をしても許され、平気でいられる。こんな社会を今の大人は作っているのです。』と金子氏は語り、続けて『おかしいですよね。』と結んでいる。<o:p></o:p>

  

イワン・アサノヴィッチは某県の公共事業職場の技術職員であり、幹部ではないが労働組合の役員だった。30年以上も前、イワン・アサノヴィッチは労働組合機関誌に県営公共事業を巡る自民党と県当局と県経済界(主としてゼネコン)の癒着を指弾する小論文を発表した。
 

今でこそ「政官財癒着」などという言葉は、TVのコメンテーターでも容易く使用しているが、当時は特に役所の中ではタブーに近い言葉だった。<o:p></o:p>

 

その小論文は自民党県議団や総務部人事当局の知るところとなり、その直後から見事に私に対する任用差別が始まり、定年まで間断なく続けられた。所属していた自治労某県職労は共産党系というレッテルも貼られていて、労組幹部の役員と同様に「いじめ=思想差別」も加えられた。30年間におよぶ任用差別・左遷は常軌を逸した陰湿且つ執拗なものだった。
 

今回の大津市の中学生のイジメ自殺問題に関して学校とPTA会長の不明朗な関係が明らかになった。我が某県の県当局と自民党という構図も感心するほど酷似していて、やっていることも同じイジメ=差別とその隠蔽だ。<o:p></o:p>

 

県政与党と結託した県当局という権力者が、一職員の思想や信条が気に入らないからと言って、陰湿・執拗な差別=イジメを行う「社会」があって、子どもたちのイジメも生まれてくるのである。イジメは子どもたち世界の固有の現象などでは有り得ない。<o:p></o:p>

 イワン・アサノヴィッチを差別した自民党県議団や取り巻き小役人連中が、果たして自分の子や孫に「イジメ=差別はダメだ。それは不正だ。」と胸を張って言えない所から、子ども達のイジメが芽生えて来るのである。


日・米・韓守旧勢力の裏協定?

2012-08-16 22:09:21 | 国際・政治
  

 10日、韓国の李明博(イミョンバク)大統領が島根県の竹島に、韓国の大統領として初めて上陸した。ロンドンオリンピック開催の最中の出来事であり驚かされた。<o:p></o:p>

 

友人のメルマガが飛び込んで来た。要旨紹介する。
 
日本海の無人島・竹島(韓国名・独島〈トクト〉)をめぐるNHKの報道が気になる。NHKと外務省が手を組んで、日韓対立を煽ろうとしているように聞こえるからだ。<o:p></o:p>

 11年前、天皇誕生日の記者会見で天皇が、「韓国との深いゆかりを感じています」と異例の発言を行ったことを、新聞各紙の論説委員は記憶に残しているだろうか。『私(=天皇)自身としては、桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されていることに韓国とのゆかりを感じています。(中略)しかし、残念なことに、韓国との交流は、このような交流ばかりではありませんでした。このことを、私どもは忘れてはならないと思います。』
 
韓国の主要紙は翌24日付朝刊でいっせいに、この天皇発言を大きな扱いで報じた。「天皇からの友好メッセージ」という好意的に受け止めたのだ。<o:p></o:p>

 憲法で「象徴」とされ、政治的な権能を有しないはずの天皇が、「発言」に踏み切られるなら、そのこと自体、政治と言論の敗北であろう。政治も言論も、隣国・韓国との緊張を高めないために何をしなければならないか? 真剣に考えなければならない。<o:p></o:p>

  (要旨の引用は以上まで)
 

明治維新、新政府と国家は狭い日本国内での争いを早期に終結して、統一的国家の下で欧米列強に対峙する方針を堅持した。維新後も勤王佐幕の対立や会津と薩長の確執など明治国家の中には枚挙に暇の無い感情的な痼り(しこり)もあった筈だ。しかし、当時の清・インド・朝鮮のように植民地化されるという最悪の国家の招来を防ぐために、日本は近代化を急ぎ欧米列強に対抗した。軍事力がモノを言う国際外交の舞台で、やがて日本も欧米列強の模倣をしでかしてしまった。東アジアの歴史にとって不幸な時代をつくってしまったのである。
 
 

 折しも日本国内では米軍のオスプレイ軍用機の配備を巡って、政府の対米弱腰外交が際だってきた。沖縄海兵隊が戦争抑止力にはとうていなり得ないという指摘が日本国内のアナリストからも出始めている昨今だ。 

 

  

 中国の海洋進出や北朝鮮の核保有をして、古典的な「反共」思考のまま停止しているのが日・米・韓の守旧派勢力ではなかろうか。中・朝は既に民主化軟着陸を目指す段階に来ていると言っても過言ではない。<o:p></o:p>

 イワン・アサノヴィッチは日・中・韓・台が東アジアで大同団結し、イーストアジアユニオン=EAUを結成すべきと期待している。
 ひょっとしたら、オスプレイやイミョンバクは東アジアの政治的緊張を必要以上に高めるための日・米・韓守旧勢力による裏協定の為せる業ではなかろう
か。


歌謡曲は畑の労働歌、“愛の旅路を”

2012-08-16 00:36:51 | 芸能ネタ
  

 

 イワン・アサノヴィッチは畑作が好きです。キャリアはもう20年以上になりますが、言いたくはないのですが腕の方は正直なところイマイチです。 

梅雨からさきは高温と降雨で雑草の伸びが激しく、今日などは腰が痛くなるほど草取りをしていました。 

そんな辛い労働のためにと考え、労働歌代わりにウオークマンを買い込み、昭和歌謡や演歌・オールデイーズ、青春歌謡などあたり構わずダウンロードしては畑で聴いています。最近にいたってはレンタル屋からシャンソンのCDを借りて来て聴いていますが、シャンソン愛好家からは顰蹙(ひんしゅく)を買いそうですが畑でも結構イケマスよ。(-_-;) 

イワン・アサノヴィッチは芸能界から引退した、女性歌手のちあきなおみが好きです。歌唱力は言うに及ばず、セクシーで愛嬌・庶民性に優れていました。むかしTV番組で司会の前田武彦氏が“ビックリ美人”と、ちあきなおみを紹介していたのですが、瞳に特徴のあるセクシーな美人でした。 

 

 ちあきなおみがクールファイブと前川清の「愛の旅路を」カバーして唄っています。畑のイワン・アサノヴィッチは何気なく聴いていましたが妙に心に残りました。翌日も同じ曲を選曲して聴きながら“畑労働”の開始です。 

 

 

 死ぬも生きるも あなた一人と 恋に掛けたい 命一筋♪<o:p></o:p>

 砂を噛むように 暮らした 哀しい過去を オツオツオー オーー♪<o:p></o:p>

 という具合に前川清の転がし節をいかんなく取り入れているところなど、ちあきなおみも流石です。意外と茶目っ気のある女性なのでしょうね。 

 

 原曲はいわゆるムード歌謡の雰囲気で、故・内山田洋と男性コーラスグループが例に因って前川清ブシを伴ってヒット(と言っても中級のヒット)させた曲です。夜の酒場世界を醸し出すサキソホーンが全面に出て伴奏で鳴いています。(1970年リリース:山口あかり作詞、藤本卓也作曲) 

 

 しかし、ちあきなおみのカバー曲は間奏にピアノを強くちりばめてスローな曲に仕上げて歌っています。ムード歌謡というよりもバラード風なタッチです。ピアノ伴奏が光っています。ちあきなおみの持つアンニュイな気だるい歌い方もマッチしています。カバー曲として成功しています。 

 改めて前川清節の原曲をダウンロードして聴いてみました。「元木に勝る枝木なし」とでも言うのでしょうか、名曲に感歎です。ひょっとしたら今この歳になったから、しみじみと古い曲の良さが分かるようになったのかも知れません。<o:p></o:p>

 

 歌謡曲に限らずかくの如く、若いということは色々と見落としをしてしまうものかも知れませんね。ま、それも可なりでしょう


猛暑!畑は掛け値無しの“熱暑”

2012-08-06 17:27:09 | 農業
  

 

先週来、猛暑熱帯夜が続いています。 

イワン・アサノヴィッチ農園も、梅雨明けからの時期は、恒例の草取りに主として時間が費やされます。大まかな話し農園に3時間いても、およそ8割から9割の時間は草取りに費やされます。 

梅雨の間に雑草の種や幼苗は十分な水分を吸収しています。だから梅雨明け夏本番の太陽光と高温は雑草にとっては“待っていました!”なのでしょう。 

勿論のこと野菜もこの時期になると勢いがついて成育しますが、雑草の比ではありません。 

気温は午前中だと言うのに軽く、日陰温度で39℃を差しています。 

雨らしい雨も10日以上降っていません。除草がてら潅水を必要とするナス・赤ジソ・キユウリなどの野菜に水掛もしてあげます。 

畑の七つ道具を揃えて、ウオークマンで歌謡曲を聴きながら熱暑地獄の草取りに掛かります。<o:p></o:p>

 

 

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先日、とある83歳の畑先輩とも言うべくお方と一杯やったときに、高齢で元気・現役の秘訣は何なんですか?とお聴きしたところ言下に『太陽光と土です。軍手はダメです。』と言われてしまいました。 

確かにイワン・アサノヴィッチも一年中、畑にでているので冬風邪はひかなくなりました。ときどき夏風邪をひきますので、妻からは『バカの証拠よね。』となじられます。 

弥生時代の古人のみならず、つい最近まで農民は素手で農作業をしていました。 

太陽と土・水・緑という自然に向かって、ひともナチュラルに素手で対応するのが本当の自然の中で働くことなのだろうと畑先輩の言葉で気付かされました。 

酒席の隣人は『素手では指の爪にドロが入る。』と柔なことを言っていました。 

実は私もその一人(笑い)だったのですが、“素早く“改めることにしました。<o:p></o:p>