イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

浅野家、一堂に会した夕食

2014-08-28 16:34:02 | 日記・エッセイ・コラム

 次男一家が嫁の実家・福岡で盆休みを過ごし、成田空港からの帰り道に我が家に寄り一泊していった。 

孫娘のシポ(志穂)の人見知りは徐々になくなりつつあるが、まだ完全ではない。 

私が手を差し伸べて抱っこしようとしても、顔を背けママの胸にすがりつく動作は明確な意志のある証拠で、拒否されたにせよそれなりに可愛いものである。
 

東京に帰りしな、次男一家は、船橋の?ミユ家を訪問することになって居る。
娘を含めて我々、本家三人も同行することになった。 

この日の夕食は?ミユ家で、まさに浅野家一家大集合ということになった。 

 

一家大集合で、広くはない?ミユ家の居間兼食堂はおお人数でごった返していた。

しかし、?ミユと弟のヒナが終始、大喜びの賑わいの中で夕食会を終えた。

後日、船橋の嫁から電話があった。

?ミユがみんなと一緒に会えて喜んで居ました。』と。?ミユはそんな子である。 

浅野家三家族、三世代の総勢十人が揃ったことなど久しくなかったのである。 

多忙やらスレ違いやらで困難になってしまった「一堂に会する」ことの、そんな意味合いを?ミユは、きっと理解出来るようになったのかも知れない。 

否々、むしろ我々以上に孫娘の?ミユが、鮮明に感じ取っていたのではあるまいか。
 

?ミユは“ひと好き”なのである。 

ネコや犬も好きなのであるが、なんと言っても“ひと”がすきなのである。 

猫や犬もすきだが“ひと”がいちばん好きということは大事なことだと思っている。 


猫や犬よりも“ひと”は何と言っても愛情豊かである。
 

そして当たり前のことだが“ひと”は“ひと”の中で暮らしていくのである。 

?ミユは“ひと”としての理屈抜きの愛情が豊かなのである。 


イワン・アサノヴィッチはそんな?ミユが好きである。
 

浅野家一家大集合の夕食会!これ以上の満足はない。これで良い。これこそが”平和”なのだろうと思った。

 


小一ギャップに爺ショック

2014-08-14 16:02:30 | 日記・エッセイ・コラム
 

 近年、「中一ギャップ」という言葉が使われ始めている。 

イワン・アサノヴィッチも今年になって初めて耳にした言葉である。 

即ち、小学校から中学校にあがった際、授業のシステムやスタイルの変化に戸惑い、イジメに遭ったりして不登校になったりする現象を言うらしい。

 大分むかしのコトになるが、たしかに自分自身の過去を振り返っても、さもありなんと思える。

 たとえば教科ごとに教師が変わり、小学校時代と較べるとクラス担任との日常的な接触が極端に減って、いわゆる学校と生徒との関係に希薄感が生じる。

 はるか何十年も前のことだったが、中学入学当初はそんな満たされない空白感を抱いて居たことを思い出す。

 イワン・アサノヴィッチの初孫・?ミユはこの春に小学校に上がった。

 保育園から小学校という変化もそれなりに大きな環境の変化であろう。

 ふとイワン・アサノヴィッチは「中一ギャップ」が在れば「小一ギャップ」だって在るのではないかと言う不安に駆られた。

 まだ社会現象という大規模な現れ方はしていないのであろうが、少なからずの実態は存在するのではないかと危惧している。

 ?ミユは入学直前、『ジイジ、抱っこして』とイワン・アサノヴィッチに甘えてきた。 『?ミユちゃん、大きくて重たくなったからチョットだけね』と抱き上げた。 ?ミユは『チョットだけじゃダメ!いっぱい抱っこして。』となお甘えてきた。

 あれから数ヶ月。

 夏休みに遊びにきた?ミユをみて、イワン・アサノヴィッチは『?ミユちゃん、はい抱っこしてあげる。』と言って手を差し伸べた。
?ミユからは『抱っこは、もう飽きた。』と言下のひとこと。

差し伸べたイワン・アサノヴィッチの両手は淋しく虚空を切った。
イワン・アサノヴィッチにとっては、衝撃的なまさかの返事であった。

「小一ギャップ」にショックを受けたのはイワン・アサノヴィッチならぬジイジであった。 
(/_;)

 


恥ずかしながら、ラッキョウの収穫

2014-08-14 14:29:08 | 農業

 恥ずかしながらの告白ですが…。

ラッキョウの収穫が先週やっと終わりました。

 経験者はきっと、余りの時期遅れのことに驚かれることでしょう。

 弁解がましいことを言うのですが、今年は畑の面積を50%拡げたものですから収穫作業もまた大変なことになりました。

 ラッキョウ・ジャガイモ・タマネギなどは収穫時期が同じなので一挙に忙しくなります。

 そして何よりキツイのは、この種の作物は、他の作物と違って、きっと中腰の作業でやらねばならないからなのです。

 作況指数は「やや不良」でした。

 初めての圃区だったものですから、土壌の状態が不明だったのです。

 というよりも、ハッキリ言うと有機肥料が極端に不足していたからです。

 この圃区の前耕作者は、たぶん出費を抑えて化成肥料しか施していなかったのです。それも6年間もの間。

 引き継いだ時は、もはや畑ではなく「フツーの野原」同然だったのです。

土はパサパサで水っ気や粘り気が殆ど在りませんでした。

 あれこれの用事が挟まって、ラッキョウの収穫を始めてから終了するまで一ヶ月かかってしまったのです。

 その間に畑土はドンドン固くなってしまいます。

 下の写真はタマネギ・じゃがいも・ラッキョウの根土の中に居たネキリ虫です。

 作物の中に食い込んでしまう害虫です。

       Photo