イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

東北関東大震災点描(カンパ)

2011-03-31 00:46:37 | 日記・エッセイ・コラム

 3月20日、市の社会福祉協議会の要請を受けて、東北関東大震災義援金カンパ活動に参加しました。近所のスーパーマーケット・ヤオコーの店頭で買い物客や道行くひと達に訴えました。

以前、イワン・アサノヴィッチは労働組合の役員をしていたことがありました。他労組や平和団体などと共闘することも多く、そんな関係で街頭署名や 駅頭でカンパを集めたことも幾度かありました。

でも、今回の大震災義援金カンパ活動には今までに経験したことがない特別なものがありました。まずカンパをしてくれる人の数が非常に多かったことです。そしてその額も小銭中心の通常のカンパと較べると大きく、千円札など珍しくない状況でした。一緒にカンパ活動をした仲間には五千円札を寄付して貰った人もいました。

また、若いお母さんが二人の子どもに小銭を渡してカンパをしてくれたりすることもありました。小さな二人の子どもにとっては、まだ義援金カンパの意義なんかは分かりようもありませんが、人としての成長に決してマイナスになることはない刺激だったと思いました。

そして一番の特徴は中高生が多かったことでした。中学生と思しき男子が一 旦は私の前を通り過ぎようとしたのですが『そうだ!心の広いところを見せなければいけない。』と言いながら戻って来て100円玉を寄付してくれました。

制服を着た女子高生と思しき3人組はチラと私の姿を見て、素通りして行きました。きっと気持ちが無かった訳ではないのでしょう。型にはまったステレオタイプの人間には思いも寄らない未経験なことには臨機応変に対応する能力・気概がないのだろうと推慮しました。

一方ではたぶん中学生だと思うのですが、ジャージを不良っぽく着こなしている女子生徒がぬっと現れて300円を寄付してくれました。町なかで行き違っても普段であれば気にもせずスレ違ってしまうような感じの女の子でした。

こんな子までが寄付してくれるんだと失礼ながら思ってしまいました。お礼の言葉を言わなくてはならないのですが感動していたものですからスッと出ません。そのかわりお礼の言葉とは言い難い『お小遣い、大丈夫か?』などと思わず言ってしまいました。

『大丈夫だよ!』とニコッと笑って去って行きました。

制服なんか着ていませんし、一見して品行方正な生徒とは思えないような生徒でしたが意外と心根は優しいんだな…と図らずも認識させられました。 (/_;)


東北関東大震災発生

2011-03-25 12:28:03 | 社会・経済

 3月11日、午後2:46宮城県沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。

巨大な津波が東北から関東一円の海岸集落を襲うヘリコプター上空撮影の中継には目を見張ってしまいました。間もなく福島県・大熊町に設置されていた東京電力・福島第1原子力発電所が地震と津波によって破壊されたことを知らされました。

大熊町には長男の嫁方姻戚一家が住んでいました。13日深夜、その家族6人全員が長男宅(船橋市)に避難してきました。

嫁の両親と長兄一家(4人)がいち早く地元大熊町を離れた理由は一通の携帯電話のメールによるものでした。

長兄と同郷の親友は東電関連会社の社員でした。会社から急遽に招集された原発事故現場内から配信して来たものでした。

『東電が発表している、3KM以内は屋内待避という話しはウソ、もっと拡がるから早くみんな逃げろ!』という悲壮的なものでした。

東電のウソはそれだけではありませんでした。長兄の親友は会社の上司から緊急の招集電話を受けてマイカーで出社しましたが、直ぐに車のキーを取り上げられました。取り上げられた理由も直ぐに分かりました。緊急電話連絡をしてきた上司の二人は出社することなく既に逃亡していたのです。

米倉経団連会長は『原発は津波に耐えている素晴らしい。原子力行政は胸を張れ。』(北海道新聞:17日付け)といち早く「原発批判・東電批判」に釘を刺してきました。

呼応するかのように「こんな時には(東電)批判は控えろ」という見出しが踊る週刊誌が発売されたりしています。また、タレント学者(木場弘子:千葉大)や同タレントアナウンサー(古舘伊知郎:テレ朝)が「東電の社員は現地で命を張って働いていることを理解してあげなくてはならない。」と迎合的な発言をしています。

国民の良心はそんな体制迎合型みたいな人たちに言われるまでもなく、事故原発の中で国民的使命を持って働く580人の方々が無事に任務を終えて一人残らず生還されることを日夜、切望しているはずです。


パラダイス海兵隊

2011-03-01 13:27:43 | 国際・政治

 2月16日、メデイアは一斉に鳩山元首相の「抑止力方便発言」を報じました。即ち、政権公約をした沖縄の普天間基地の県外・国外移設政策を就任後まもなく撤回して、「沖縄海兵隊の抑止力効果」を認めて県内移設案に戻すとした後退発言でした。

当時は沖縄県民はもとより日本国民の期待や独立国国民としての矜持を裏切った発言でした。

2月13日付けの沖縄タイムスの一問一答によりますと「外務・防衛省官僚の数十年来の凝り固まった頭中には新しい発想はなかった。」ことが事実で、改めて沖縄海兵隊の抑止力を認識させられ、県外移設はしない方が良いと判断したのは、実はそれは方便だったと言うのでした。

じつはイワン・アサノヴィッチは最初からそんなものだろうと思っていました。そしてアメリカが沖縄に拘る訳は「沖縄がパラダイスのような所で居心地が良いと思っているからだろう。」と鳩山元首相元首相は喝破しました。

イワン・アサノヴィッチはそのことにも気が付いていました。
40年前にベトナム戦争に負けた米軍はその時点でそもそも沖縄に居る必用はなくなったのです。しかし沖縄海兵隊のパラダイス駐留は漫然と続行されたのです。

湾岸戦争以降、沖縄米軍は明らかに中近東のイスラム圏地域へと軍事的展開をシフトして来た筈なのです。

拙ブログ(2010/6/16付け「キャンベル米国務次官補は沖縄に行け」)で述べましたが、海兵隊の上陸揚州艇基地は沖縄から3日間もかかる佐世保にあるのです。であれば6時間しかかからないグアムに移設してもなんら支障がありません。当時の自民党の防衛族議員のデタラメとメデイアの情報遮断の罪は重いものがあります。

もっと言えば、中近東への軍事的展開を考慮するならば、パキスタン辺りに移設するのが当然なはずです。しかし、わざわざ遙か遠方の沖縄にアメリカは拘った訳ですが不思議ではありませんか?

去年の6月、イワン・アサノヴィッチはサークル仲間と一杯やりました。話題には当時の「沖縄海兵隊の抑止力効果」のことなども飛び出しました。イワン・アサノヴィッチは『沖縄には”性病”もないし、海兵隊にとって住み心地が良いからでしょう。』と決して酔っていたからではなく発言しました。

鳩山元首相の『沖縄は海兵隊にとってはパラダイス。』発言は事実であり、メデイアは「方便発言」などで騒ぐべきではありません。「沖縄の抑止力効果」の真偽について騒ぐべきです。