イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

作詞家・星野哲朗氏、逝く

2010-11-30 20:01:08 | 芸能ネタ

                                               

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  演歌・歌謡曲の作詞家、星野哲朗氏が逝去された。11月15日、享年85歳とのことであった。

「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言う言葉があります。流行歌はその時代を生き、生活している多くの人々の心に親しまれてヒットするものです。その多くは何らかの意味でその時代をもまた反映しているものです。

かなり昔のことですが、歌謡曲界の大もの歌手、春日八郎が逝去した時に、なんとなく 自分の青春時代が終わったような気分になりました。

春日八郎が特に好きだった訳ではありませんが、気が付いてみれば小学生のころから成人するぐらいまで、自分の生活・精神史にヒタと寄り添うように春日八郎のヒット曲が擦り込まれていたのです。

春日八郎のヒット曲をつらつらと追いかけてみると小学生のころの自分や中学生の頃の自分を発見・再確認したりするのです。そんなとき歌は世に連れ…だったのだなあ~と感慨したりしてしまいます。

星野哲朗氏のヒット曲、兄弟仁義「♪一人ぐらいはこういうバカが 居なきゃ世間の目が覚めぬ♪」は当時の全共闘学生運動に少しシンパサイズして生まれた曲だそうです。「♪親の血を引く兄弟よりも 固い絆の義兄弟♪」なるほど、親の言うことよりも、バリケードの中の学生仲間の連帯を大事にしたわけです。

他に「女の港」と言う曲もあります。大月みやこが切々と謡いあげる曲です。

「♪わたしは港の通い妻♪」というくだりを聞いて、当初はマドロスが、みなと港で浮き名を流す、ちょっと浮いたお話かと言う程度の気持ちで聴いていました。

しかし、何処か切々としていて浮いた明るさなどないのです。それもその筈でした、星野哲朗氏が実際の商船の船員時代だったころに見聞きしたちょっぴり辛い夫婦の話だったのです。

夫婦の逢瀬もままならない長旅の途中に寄港した港で、ひとときの逢瀬を夫婦が楽しむ歌だったのです。

「♪たずねる舟は 青森にゃ 寄らずに佐渡へ 行くという つらい知らせは 慣れっこだから♪」人の心情がたっぷり盛り込まれた立派な演歌です。

イワン・アサノヴィッチの情操はたぶんに演歌・歌謡曲によって培われていると言っても過言ではないようです。


myミイ、ヤオコーカート

2010-11-28 18:50:20 | 日記・エッセイ・コラム

  ママの検診があって、今日は朝から孫娘を預かりました。イワン・アサノヴィッチは3歳4ヶ月の孫娘をミイとかみーたんとか呼んでいます。

1歳半を過ぎたころからミイを預かることが多くななり、今ではミイもイワン・アサノヴィッチの家に来てじィじと一緒に一日を過ごすことを楽しみにしている様子です。

ミイは活発な子で外遊びや散歩に出かけることが大好きです。『じィじ!お外に行こう。』と今日も散歩に出かける事をせがみます。

               Photo                         最近は靴や靴下も自分で履き、イワン・アサノヴィッチの手間も省けて随分とらくになりました。

ミイとの散歩には定番のコースがあります。先ず最初は近所のスーパーマケットのヤオコービルに出かけることなのです。買い物ごっこをするのです。

店内には買い物用のカートが用意されていますが、ミイのお気に入りは小さな「お手伝いカート」を牽くことです。

ママとの買い物で覚えたことですが、何と言っても自分で牽きたいのです。陳列台の間を”主婦”よろしく上手にカートを牽いて回ります。

肉やさんの陳列台ではカートを止めて肉のパックを手に取り恰も品定めをするかの仕草をしてやおら戻します。そっくりママの真似をしているのです。

脇で観ていてプッと吹き出しそうになります。

今まではこの辺で買い物を終えてコースの次の順番へと移動するのですが、最近は少し変わってきました。ジュースの陳列台に来ると歩を止め、ブドウジュースの小箱を実際に買いたがったりします。

許可をすると喜んでカートに入れたりするのです。ミイの目的はまだあります。お金を払ってレジを通過することです。レジ担当の従業員に『ありがとうございました。』と言われてお買い物が完結です。

満足げな顔をイワン・アサノヴィッチに向け、何とも言えない可愛い笑顔を見せてくれます。まるで観音様のようです。


ジャガイモ、その後

2010-11-23 18:23:17 | 農業

            

             006  (巨大ジャガ) 

 実は…少し言いにくい話しです。今春のジャガイモの収穫は「並み」以上であったし、去年みたいに保存中に腐りはじめたと言うこともなく順調です。

ですが…肥大ジャガが少なからず存在したと言う事実を書いていませんでした。

最近のホームセンターでは野菜の苗や種、ならびに肥料も販売していますが同時に特殊な肥料も販売しております。例えば「ジャガイモ・サツマイモ用肥料」なるものが販売されております。

普通は油かすとか腐葉土・堆肥、牛糞・鶏糞の類で十分です。しかし昨今の園芸ブームで商機を狙った商品が目まぐるしく出回るようになってきました。はじめはそんな商品を無視していたのですが、幾度かホームセンターに出入りしているとやはり、何となく気になり始めます。

「そうだよ、試しに使ってみようか」てな具合で今年はとうとう買ってしまいました。「施肥」と言うものは結構難しく、ただ肥料を撒けば良いと言うものではありません。時期と量と鋤込みが大事です。

ふつうの肥料ですら最近(園芸は20年前から始めました。)になってようやくコツみたいなものが分かってきました。案の定、この「ジャガイモ・サツマイモ用肥料」を蒔き過ぎたようでした。

豊作だ豊作だという言葉の影には施肥量の過大によって巨大ジャガの誕生が隠されていたのです。
 

15年前の現役のころ事業の同意を取り纏めるために、地元改良区の役員さんと富里町で仕事をしたことがありました。名前は忘れましたが陽に灼けた健康そうな70代の温厚な人で如何にも農民という風な方でした。

二人ペアーで朝から一軒々々、農家を訪ね、説明し同意の判子を押して貰う仕事でした。打ち解け合った二人の話題は施肥の問題でした。

理事さんは永年稲作をやっていましたが、『去年は収量を上げようと思って、窒素分を多めに施肥をしたんだが茎が弱いから台風で実った稲が倒れてしまい大苦労してしまった。』と恥話しをしてくれました。

『失礼ですが、そんな初歩的なミスを今でもするんですか?』とイワン・アサノヴィッチ。『幾つになっても人間には欲と言うものがあるんだよ。』との返事でした。

フト横顔を覗くと、赤銅色の顔が一層穏和になり目は優しく細く笑顔が一面でした。まるで、百八の煩悩を持つ人間のどうしようもない存在を諭しているお釈迦様のようでした。                        


映画「大奥」のパラドクス

2010-11-18 18:25:46 | 映画

 なにか様子がおかしいと思いました。間もなく映画が上映されようとしている座席でのことです。平日の夕方ですが出勤帰りのサラリーマンが入場するには少し早過ぎる時間帯でした。

イワン・アサノヴィッチは入場した映画館を間違えたのかと何度も切符を見て確認しました。

20人ぐらい入場していたでしょうか、イワン・アサノヴィッチを除いては、全員が若い女性客ばかりなのです。あまつさへ女子高校生のグループも居たりするのです。

不安になりもう1回切符を見直しましたが間違いなく映画の題名は「大奥」でした。
 

千葉市内に朝の9時から午後4時半まで資格更新のための講義をただただ聞くだけの用事がありました。

思っていたより早めに終わったので、たまには好きな映画でもと思い映画館の集合店に来たのですが、今すぐ観られる作品をとだけ考えて切符を買ったのです。

今年はNHKの大河ドラマは坂本龍馬を扱った作品になっています。また、最近の邦画では桜田門外の変を扱った江戸物作品などが目立ちます。

イワン・アサノヴィッチはちょうど待ち時間のない映画と思い、「大奥」がこの一連の江戸物作品の一角だと誤解して入場したのです。シリアスな江戸物作品だとばかり思っていたのです。

主演の俳優の名前も知りませんでした。でも映画が始まってすぐに、テレビでよく見かける若いタレント男優を見て女子高校生たちが映画を観に来た訳が分かりました。タレントグループ「嵐」の二宮和也が主演だったのです。

当ては外れてしまいましたが、入ってしまった映画館ですので最後まで観ました。

ストーリーは江戸幕府将軍・吉宗公から大奥の御女中に至るまでの男女がすべて逆転した姿で、大奥社会の人間関係のトリビアを興味深く描いており結構おもしろいものでした。

そして、現代にも通ずる人間社会の悲喜こもごものパロデイーも作品の横糸としてしっかり描かれていました。脇役の佐々木蔵之助が清純イメージを逆転させた汚れ役を見事に演じていました。

それよりもテレビで見かける、如何にも頼りなさそうな二宮和也くんが武士社会のどんな渦中にあってもイナセな役をムリなくこなしていたことが意外の収穫でした。 

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