演歌・歌謡曲の作詞家、星野哲朗氏が逝去された。11月15日、享年85歳とのことであった。
「歌は世に連れ、世は歌に連れ」と言う言葉があります。流行歌はその時代を生き、生活している多くの人々の心に親しまれてヒットするものです。その多くは何らかの意味でその時代をもまた反映しているものです。
かなり昔のことですが、歌謡曲界の大もの歌手、春日八郎が逝去した時に、なんとなく 自分の青春時代が終わったような気分になりました。
春日八郎が特に好きだった訳ではありませんが、気が付いてみれば小学生のころから成人するぐらいまで、自分の生活・精神史にヒタと寄り添うように春日八郎のヒット曲が擦り込まれていたのです。
春日八郎のヒット曲をつらつらと追いかけてみると小学生のころの自分や中学生の頃の自分を発見・再確認したりするのです。そんなとき歌は世に連れ…だったのだなあ~と感慨したりしてしまいます。
星野哲朗氏のヒット曲、兄弟仁義「♪一人ぐらいはこういうバカが 居なきゃ世間の目が覚めぬ♪」は当時の全共闘学生運動に少しシンパサイズして生まれた曲だそうです。「♪親の血を引く兄弟よりも 固い絆の義兄弟♪」なるほど、親の言うことよりも、バリケードの中の学生仲間の連帯を大事にしたわけです。
他に「女の港」と言う曲もあります。大月みやこが切々と謡いあげる曲です。
「♪わたしは港の通い妻♪」というくだりを聞いて、当初はマドロスが、みなと港で浮き名を流す、ちょっと浮いたお話かと言う程度の気持ちで聴いていました。
しかし、何処か切々としていて浮いた明るさなどないのです。それもその筈でした、星野哲朗氏が実際の商船の船員時代だったころに見聞きしたちょっぴり辛い夫婦の話だったのです。
夫婦の逢瀬もままならない長旅の途中に寄港した港で、ひとときの逢瀬を夫婦が楽しむ歌だったのです。
「♪たずねる舟は 青森にゃ 寄らずに佐渡へ 行くという つらい知らせは 慣れっこだから♪」人の心情がたっぷり盛り込まれた立派な演歌です。
イワン・アサノヴィッチの情操はたぶんに演歌・歌謡曲によって培われていると言っても過言ではないようです。