イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

財務省官僚・佐川局長のはぐらかし答弁

2017-05-11 00:48:58 | 国際・政治
 国会は森友学園問題が中途半端な状況で残されたままになっている。
理由は、些末な事案がいろいろと絡んでいる状態で、本問題に集中できないことが挙げられているが、事実はアベ政権の崩壊を庇護するためではないかと思われる諸々が現出し、森友学園問題が意図的に脇に置かれてしまっていると思われる。

問題解決の焦点は、阿部昭恵総理夫人の国会による証人喚問しかないだろうと言う状況にあるにも拘わらず、阿部晋三筋が応じていないところにある。
国民の多くは与野党支持の別なく、この問題の本質的な解明を望んでいると思われるが、政権筋が、たぶん恐れているのだろう、知らんふりを決め込んでいる。
世論の動向を真面(まとも)に見ようとしない事はきっと後悔するのではなかろうか。

忖度(そんたく)と言う言葉がこの問題に絡んでマスコミ界隈で話題になっているが、まさに「政官財癒着ムラ」の住民である官界(佐川財務省局長)から、政権擁護と思しき稚拙な国会答弁が続けられている。
具体的には、森友学園用地が時価で8億円以上すると言うのに、実際は1億3千万で籠池氏側に売却されていることである。当該用地には有害なゴミが埋め込まれていて掘削撤去等の工事費が掛かるので差し引いたと財務省は答弁している。

これは、阿部首相が『この問題に安倍夫婦が関与して居れば議員辞職する。』と答弁した事への首相擁護を目的とした、官側の「全面否定」作戦で強行突破するしかなくなったことの現れである。交渉記録は破棄した電子データ資料も削除し復元も出来ないと応えるなど、とうてい信じられないような暴走答弁が連なった。
イワン・アサノウィッチも某県庁の公共事業職場の役人OBであるが、通常業務の資料でも5年~永久保存が決められており、森友学園用地売却資料みたいな大きな事案は別途のフアイルを作り、絶対に破棄などしない。ましてや今回は10年後売却の借地契約なのであるから、業務が完結したわけではなく、経過途中の事案である。
繰り返すが掛かる資料みたいな重要案件は絶対に破棄・削除などしないものである。

財務省の意図は明確である。「全体の奉仕者」と言うミッションを忘れ、政官財癒着の「悪しき共済関係」に陥って現政権を擁護し、後々の自分たちの天下りや組織内利益の向上実現など利己的な欲求を満たさんがための「助っ人」をしているのである。
だから「ヤバイ資料」は無い方が返って身のためにもなるのである。

江戸時代に「格差」と言う名の与えられた地図

2017-05-02 14:13:16 | 社会・経済
以下は、孫崎亨氏のメルマガ「(孫崎亨のつぶやき 年月日」を読んでの感想
・コメントを送信したものである。

 過って、「格差は在って当たり前」と声高に喧伝した首相が居た。私はそんな当たり前のことをワザワザ首相が言う事ではないだろうと訝しく思っていた。それは「新自由主義」の到来を告げる意味だった。競争主義・成果主義が役所世界にも取り入れられるようになった。職場や地域の団結・連帯感がドンドン崩れて行った。同僚が競争相手だから課や係の飲み会も減って行き、労組や親睦会加入者も減って行った。
話を戻すと、私は【元・某県公共事業職場役人OB】だが、組織は緻密なほどまでに当時も格差で分類・差別化されていた。男女差・学歴差・大学差・地域差(地元優先)etc。即ち、無いとされていた公務員世界でもきちんと「地図による規定」がされていたのである。誰も異を唱えることなく全職員が己の持つ与えられた地図を大事にしながら職務に従事していたからである。
某首相の喧伝はほどなく日本全土に浸透し、勤労者の3割が非正規化されていった。働く20代の半分がワーキングプアーだと言う。アメリカと違って、人種・言語・肌の色が違わない国民の中に強固な差別の柵(地図)が存在するようになった。
今や差別化された国民は不本意な柵(地図)を自ら変える意思も力もない。果たしてこの先、国民は与えられた地図に従って黙々と生きていくだけなのだろうか?

筆者(孫崎亨氏)は、この「地図」と言うものが実は遥か昔の江戸時代に為政者・徳川幕府によってつくられ、士・農・工・商の全国民にくまなく「与えられた」ものである。と分析したR・ベネデイクト(菊と刀の著者)の言葉として引用している。
そして、その地図が今もなお途絶えることなく現存し日本人の精神・思考に大きな影響を与えていると分析しているのである。
イワン・アサノヴィッチも全く同感の境地で読後の感想・コメントとして孫崎亨氏に返信したものである。
江戸時代に造られ全国民に与えられた、「地図」は卒業した役所経験の中にイヤと言うほど見せつけられたものである。イワン・アサノヴィッチは労組の役員となり、この地図を打破すべく「公平」「平等」を叫びながら県庁生活を送ったと言っても過言ではなかった。
ありがたいことに少なからずの県庁職員が私の周囲に結集してくれた。しかし、地図の出版保有者は思想差別の下、任用差別を私の地図にムリヤリ書き込んできた。