「 暖簾の歌詞」 (歌:五木ひろし 作詞:永井龍雲 作曲:永井龍雲)
(1番の歌詞)
心にポツンと 寂しさの明りが灯る
やさしい人に逢いたい こんな夜には 温かな言葉に ふれたい
暖簾を潜って 立ち上る湯気の行方にも
ささやかな人生謳うものがある 明日を信じて生きたい
馬鹿な 生き方しか どうせできないけれど
お前らしくていいさと 今夜も 酒が笑う
この歌は最近、youtubeで、坂本冬美の歌唱で聞いた。坂本冬美の新曲だと思った。
暖簾を潜る・・などの行(くだり)は、まるで昭和の裏町酒場の風情である。
何で今頃になって昭和を歌うのかと少し疑問を持ったが、曲の魅力に魅かれて聞いていた。
その後、この歌のオリジナル歌手は五木ひろしであることを知った。そして発表された時期も平成に入って直ぐのことだったのである。まさに、昭和が終わった直後の時期だったのである。
波線の部分の歌詞に興味が轢かれた。
それは、私自身が某県庁職員時代に、共産系と言われた労働組合の役員経験を20年に亘ってしていたころに味わった悲哀と自嘲の気持ちが歌われている様な気持ちからだった。
しかし、職場の少なからずの同僚たちは、口に出しては言わないが『イワン・アサノヴィッチは間違ったことをしていない!むしろ人事当局の思想による任用差別が問題だ。』と言って、目と心で私を励ましてくれていたのである。
当局による任用差別に伴う在職中の給与差別と退職金ならびに年金への跳ね返り分の金額をトータルすると、その差額は概ね2千万円になる。しがないサラリーマンにとっては、2千万円は大きい! まさに「馬鹿な生き方」だったのかも知れない。
しかし、それに依って得たものは金額に代えがたいものが在った。
それは、信念と正義に生きた自分に対する肯定であった。
子どもの頃、今でいうアニメで好きなキャラは鉄腕アトムだった。そして鞍馬天狗だった。この二人はたんなる正義漢ではなく、人類愛に生きた主人公だった。
馬鹿な生き方かも知れないが、斯くありたい!と思い私は生きてきたのである。