8月の21日と22日は恒例のわが町のふるさと祭りである。
市が音頭を取っての盛大な盆踊り大会も催される。8時を過ぎると15分という短い時間ではあるが恒例の花火大会が始まる。
多くの市民が、間近で観られる花火を楽しみにしている。「事業仕分け」だ「税金のムダ使い」だと言われているが、僅か15分の夏の夜空に咲く一瞬の花火にどれだけの市民が、無邪気に口を開け天空を見やり無心にかえり、そして心が洗われていることだろうか。
水入らずで花火を楽しんでいる夫婦も居るが、我が家はベランダと道路に別れての完全な”夫婦水入り”の花火観賞となった。(笑)
4月に逝去した江戸・深川育ちの母も存命中はこの花火をよく楽しんでいた。
決まって2階の和室に上がり、照明の電気を消し『やっぱり夏の夜は花火だね…』などと言いながら見入っていた。
東京の下町に育った母は江戸情緒に包まれた女ではあった。元気な頃は友人と連れ立ち歌舞伎を観に行ったり、花火大会や祭りの雰囲気を楽しんでいたりもしていた。
若い頃から歌舞伎役者に詳しくいろいろ講釈されても、亡き父ともども『フムフム』と聞いているだけだった。
また、独身時代には隅田川の花火大会で、若い男に声を掛けられ困っていたところに喧嘩っぱやい叔父がやって来て、その男を殴り飛ばした話しを楽しそうに懐かしそうに話したりしてくれたこともあった。
年老いた深川の女は何十年も前の、華やいだ下町の情緒を、咲いては一瞬で散る花火の中に見いだしていたのかも知れない。
イワン・アサノヴィッチはそんな母の後ろ姿を想い出し、つと目頭を熱くした。