イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

生き方に合う支援して 東京新聞を読んで

2021-02-21 21:41:10 | 国際・政治
 漫画家の都内の男性(内田かずひろ氏)が、コロナ不況も相まって収入が断絶し、生活保護を申請したら、福祉事務所から『創作の仕事をやめて日雇い労働をすべきだ』と言われ却下されたとのこと。
以降、ホームレスとなってしまったが『行政は人それぞれの生き方に合った支援をして欲しい』と内田氏は訴えている。
イワン・アサノウィッチは元某県庁OBだが、確かに“怠け根性”で実態がないにも関わらず“漫画家”だと言って収入減を理由に生活保護を申請して来たと思われる場合、無制限に許可するという訳にはいかないとする役所の言い分も理解できる。
しかし、行政の最前線で真面目に勤務している労働者であれば、申請者との協議打ち合わせの中で、困窮の実態は十分に把握できるものである。そして又しかしであるが、事実はたいてい不許可となってしまうのである。
理由は“官僚主義“思考に依るものである。即ち、根底に在る”住民不信“からくる否定思考が上意下達且つ横並びで、役所にとって無難な前例踏襲という処理をしてしまうのである。
普段は「県民奉仕」とか口幅ったい事を言って居る輩が、いとも簡単にまるで使命の放棄と言ってもいいような事をしでかすのである。
アベ前首相が『国民に寄り添って・・』などといつも言っておきながら、税金で自分の後援会員に飲ませ食わせ(=桜をみる会)をしていた構図なのである。即ち行政の私物化ないしは独善的な決めつけなのである。従って余談になるが、イワン・アサノウィッチはアベ前首相の言葉を“チャラ弁”と称していた。一国の重厚であるべき筈のトップの脳とスタンスを疑ってしまうのであった。
昨今は“多様性”という言葉が盛んにいわれている。この言葉が文字通り人間社会の中で十分に陽の目を見るような世の中がつくられるべきであるし、創っていきたいものである。
過日、菅首相が『これからは“自助・共助・公助”でやっていきたい』とくだをまいていた。アメリカ被れの竹中が小泉政権時に「新自由主義」たる日本社会には不向きなシステムを“輸入”した。
以降、日本社会に既に存在していた「格差」は過剰に拡大されるようになった。いま7人に一人の子供が貧困なるが故に、夕食が食べられないでいるという事態になっている。
今夏、5人目の孫が生まれることになったのだが、大人は兎も角として何の罪もないこれからの日本を生きて行く子どもにまで,貧困を強いる必要が何処にあるのか!
まるでイワン・アサノヴィッチの孫が飢えを強いれられているような気持になる。
「一億総中流」と言われていた数十年前の日本。富裕層も困窮層も要らない!「一億総中流」で良い。そして、若し支援を必要とする人が存在すれば、それに似合った支援をすれば良い、否すべきであろう。

北山修が物語・夕鶴を語る。誰もが夕鶴。

2021-02-10 19:00:39 | うんちく・小ネタ
フオークソングが全盛だった50年前に、「あの素晴らしい愛をもう一度」と言う曲が大ヒットした。
歌手はフオークルセダーズで作詞家はグループ仲間の北山修だった。私の世代の人間ならば誰もが覚えている一曲だ。
東京新聞(2021年2月8日付け)が二面を使って、50年を記念してであろうか、作詞家の北山修のインタビュー記事が載っていた。見出しの一文が目に留まり読みたくなった。即ち、目に留まったタイトルの一文とは「横の連帯感失われた高度成長期」と「孤独は“私”を考える絶好の機会」だ。
 新自由主義なる政官財癒着ムラによる、いかさま思考が日本に「輸入」されて以来、国内には過剰な格差が蔓延するようになった。7人に一人の子どもが今晩の夕食にありつけないという事態が、「経済大国である筈の日本」で生まれるようになった。
そして、それは単に経済的な格差に留まらず、今や精神的な格差にまで拡大されて来ている事態が、この日本国内で生まれているのである。
 新聞記事は連日のように、乳幼児虐待死事件や高齢者強盗殺害事件、高齢者をターゲットの詐欺・詐称・・児童生徒へのセクハラ、労組の無くなった企業・役所でのパワハラとそれに伴う自死の増加。数え上げれば枚挙に暇がない。心肝を寒からしめる事態・段階になっている。
即ち、これらの事件や犯罪の本質は何かと問えば‥、それは間違いなく「弱いものイジメ」そのものなのである。
 過っての小泉・竹中政権時に「輸入」された“新自由主義”は成果主義だ競争主義だと言って過剰労働を企業や役所の勤労者に課し促した。
12年前に定年退職したイワン・アサノウィッチの役所でも、瞬く間に親睦会や旅行会などの職員相互の融和・親交を高める自主組織は壊滅させられて行った。
 過日、安倍首相辞職に伴い出発した自民党・菅政権では、此れからは「自助・共助・公助」の時代を迎えると声明した。
コロナ禍の最中に何をヌカスのかと思いきや、菅にはズル賢い計算がこの声明には織り込まれていたのである。即ち自己責任を強調し公助=公的扶助は当てにするなと言う事なのであった。
既に日本企業の内部留保は600兆円になんなんとしている一方での話しなのである。菅が何処を向いて政治を行おうとしているかが垣間見られるというものである。
 高度経済成長期を経て失われた庶民国民の横の連帯を、いま取り戻さねば孫子の世代には今にも増した過酷な格差拡大が待ち受けている。自民党支持者の皆さんにも掛値なく訴えたい。