イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

映画・ラッキーを観て(3)  人生の終わりに・・・ 

2018-05-08 13:49:42 | 映画
終演まぢか、メキシコ人たちの細やかなパーテイーに招かれたラッキーは招待のお礼の意味で突然メキシカン・ソングを歌い出す。声質から本人が歌っていることに間違いないと映画鑑賞者は感心する。
実はハリー・デイーン・スタントンは過ってボブ・デユランとも共演しコンサートでも歌ったことの有る音楽家なのであった。

『君もお前もあんたも俺も、待ち構えている管理者など居ない宇宙の真理に向き合い受け入れることなのだ。』と哲学的な事を、バーのカウンター越しに呟くラッキーの姿は、取りも直さずハリー・デイーン・スタントン自身の正に最晩年に自覚した思想なのであろう。

『銀行強盗もしない、飛行機から飛び降りたりもしない、人助けもしない。人生の終わりにファンファーレは鳴り響かないーーー』
ラッキーは敢然として、砂漠の中の自宅アパートに帰る道の途中で吠えるが如くにひとり喋る。私流に(笑)英語を日本語に意訳すれば、『敢えての終活なんてしないぞ!』と宣わっているのである。

イワン・アサノヴィッチは70歳に突入して先ず考えたことは「終活」であった。しかし、若いころから好きなことや、やりたい事を大体こなして来た身だったので、いざ終活として改めて考えようとしてもコレといったものが、なかなか思いつかないものなのである。面倒な気も有って「終活」のことは暫し放っておいたのであるが・・
『そうか、敢えての終活なんて必要ない!今のままで精いっぱい生きて行けば良い。』と言う結論に至った。
 畑(工作面積120坪)をやって時にブログを書いて好きな映画もたまには観て、カミさんと温泉旅行に行っていれば・・後は時々やって来る子供一家・孫たちと興じたりして誕生祝のプレゼントを当てにされているだけで充分だ。
「人生の終わりにフアンフアーレは鳴り響かない!」のだ。

映画ラッキーを観て(2) まるで禅宗のよう

2018-04-28 00:28:24 | 映画
 ラッキーは夜ごと通いなれている「エレインの店」でブラッデイ・マリアを飲むのが習慣だ。店には一癖も二癖もある馴染の客も居て自由気ままに時間の経つのも忘れて話し合う事がある。

ラッキーの言葉はくどくどしていない。言い切り調で修飾語も少ない。しかし、それは一見すると虚無的に見えるが、イワン・アサノヴィッチには哲学的というより禅問答のような気がしていた。

スタントン自身は二次大戦では海軍に所属し沖縄戦を経験している。そして実際に戦勝して沖縄に上陸している。力の差は歴然としているのに最後まで戦う日本人の不思議を語る。そこへ同じく海兵隊員として沖縄に上陸した客は『激しい戦禍のあとに日本の女の子と出くわしたが、ニコリと優しい笑顔を見せてくれた。感動した。』と噎(むせ)んで居る。戦争というものの無意味性を語っているのだろう。

裕福そうな客としてD・リンチが登場する。スタントンとの個人的な友情出演である。リンチの役どころは、ペットの陸ガメが逃げてしまったが『カメはきっと大切な用事が有って出かけたのだ。今まで俺がそれを邪魔していたんだ。だから探すのを止めた。私はいつでも門を開けておくだけだ。執着は止めた。』 現代の人間社会の物欲・所有などへの執着の否定をD・リンチに語らせてもいる。

圧巻は、『誰もが真実を受け入れるべきだと思う。宇宙の真理が待っているから。それは俺たち全員にとっての真理だ。君も俺もあんたもお前も、タバコも何もかも真っ暗な空へ。管理者も居ない。そこに在るのは無だけ。空だよ。無あるのみ。』
――無ならどうする?
『微笑むのさ 』
先日、読んだ禅僧・南直哉氏も『人生を棒に振る、そんな生き方で良い』と断じていた。現代の人間社会の中で蠢(うごめ)く物質至上主義への批判なのである。

映画・ラッキーを観て(1)  切ない記憶。

2018-04-22 00:16:25 | 映画
  主演はハリー・デイーン・スタントン。一種のロードームービーである。
主人公のラッキーは高齢の独身男。目が覚めると直ぐに枕もとのタバコに火をつけ、吸い終われば灰皿でもみ消し直ぐには起きようともしない。
そしてヨレヨレの下着のままベッドの上でヨガを幾つかセットにして熟(こな)す。やがて立ち上がったラッキーの下着姿のヨレヨレ感が、そのまま腕や脚の筋肉の衰えと同化している。カメラはゆっくりとスタントンの老体をアップで写し出している。
映画の冒頭で観客は、この映画は派手な立ち回りやドラステイックな台詞のやり取りはなさそうだと印象操作される。そして移住して来たメキシコ人が住むこの町は、たぶんテキサス州あたりかと思われ、街の周りには名も知らぬ大きなサボテンが雑草の如く生えている変哲の無い風景だ。
古びたテンガロンハットを被り行きつけの店でミルクと砂糖をたっぷり入れたコーヒーを飲むのが毎朝の日課でもある。店主とは『ロクデナシめ!』とやれば『そっちこそ!』と交わすのが常で、これはスタントンのロスの友人との実際の生活の中から採られたシーンとのこと。

ラッキーは『独り(alone)の語源は、みんな一人(all one)なんだ。』 と変な悟りにも似た言葉を時に放つ。
そして、ふとした拍子に子供時代に撃ってしまったマネシツグミのことを思い出し、胸がはりさけるような気持ちになるという。・・実はイワン・アサノヴィッチも中学生時代に友人の空気銃で、屋根の雀を撃ってしまったことがある。まさか中る訳がないと軽い気持ちで引いた引き金だった。屋根の上で簡単に絶命してしまった雀、60年近く経った今もフト思い出すと切なくなる。
ラッキーは通いなれた行きつけのバー「エイレン」では、いつものブラッデイ・マリアを飲んでいる。女店主のエレインに『だれにも言わないでくれ、怖いんだ。(死が)』と告白する。エイレンは『ええ、わかっているは 』と優しい笑顔で応える。
イワン・アサノヴィッチも70歳代に突入した。・・内心そろそろ自分も終活の歳頃になってきたなと漠然と考えるようになった。

 (映画監督のD・リンチが出演。ペットの陸亀に逃げられた事を告げる。左側)

映画、フォックスキャッチャーを観て

2015-04-15 23:56:14 | 映画
 久しぶりに、映画館で映画を観ました。
題名は「フォックスキャッチャー」。主演はステイーブ・カーライル。
広告では「アメリカ・レスリングの金メダリストが大企業の社長に射殺された」事実に基づいた作品とネタバレ気味の宣伝文句が大きくでています。
だから、イワン・アサノヴィッチもネタバレ気味のブログを書いてしまうかも知れません。

映画には射殺に至るまでの様々な伏線が張られている。
アメリカの大財閥デユポン社の御曹司はレスリングというスポーツを愛していた。
自身もシニアの大会ではそこそこの成績を収める熱心さだ。
スポンサーとなり、練習所・宿舎舎を備えたチーム・フォックスキャッチャーを結成する。
金メダリストの兄弟二人もチームに招かれ、コーチと現役選手としてそれぞれ活躍する。
デユポンには矍鑠(かくしゃく)たる母親が居る。
その母親はレスリングは下品なスポーツだと言って、デユポンを罵る。そして、高貴な人間は馬を駆使してフォックスキャッチャー(狐刈り)に勤(いそ)しむべきだと眼光鋭くデユポンに迫る。

母親から認められていない、愛されていないデユポンの孤独が心をさいなむ。

レスリングはアメリカではマイナーなスポーツで金メダルだけでは喰っていけない。兄のコーチは家族と移住してまで、スポンサーのついたコーチ業に熱心に勤しむ。デユポンのそれはと言えば、所詮は御曹司の思いつきだったり一過性の「熱意」でしかなかった。
そのズレは射殺という悲劇で幕を閉じる。
ステイーブ・カーライルのシャクリ顎、半開きのまぶた、語尾の曖昧な会話の全てが精神異常としての役作りに成功している。

思い出の名画 「アパートの鍵貸します」

2014-10-01 21:44:34 | 映画
  

 今回の思い出の名画は「アパートの鍵、貸します」です。 

1960年製作の白黒(この言葉自体が古いか(笑い))映画です。私がハイテイーンの頃に観た映画です。

今なら差し詰め「パワハラ」と「セクハラ」がてんこ盛りの、都会派のコメデイー・ラブストーリーと言うところでしょう。

主人公(ジャック・レモン)は、しがないサラリーマン。出世の足がかりにと思い、上司の部長(フレッド・マクマレー)の不倫のために自分のアパートの鍵を時間貸ししています。

部長の不倫の相手(シャーリー・マクレーン)は会社のエレベーターガール、上司からすればもちろん愛情のないセクハラ相手の付き合いでしかない。

 そんな不倫関係に失望したシャーリー・マクレーンは上司が帰った後に、ジャック・レモンの部屋とは識らずに睡眠薬自殺を図る。

 仕事を終えてアパートに帰って来たジャック・レモンは、横たわるシャーリー・マクレーンと睡眠薬の空ビンを見つけ、懸命にシャーリー・マクレーンの一命をとりとめる。

このことが縁となり、ジャック・レモンは、以前から密かに思いを寄せていたシャーリー・マクレーンとの恋を深めて行く。

50年ぐらい前に観た映画なので定かではありませんが、たしか、それから二人は共闘して上司のフレッド・マクマレーにこっぴどい仕返しをして最後は結ばれると言うハッピーエンドものでした。

 コメデイータッチで爽やかに描かれた作品だったことと、大都会の片隅でつましく生きる庶民同士の意気の触れあいが印象に残る映画でした。

 ジャック・レモンはイケメンではなく、またシャーリー・マクレーンも可愛いけれど決して美人ではないキャステイングが、これまた却って良かったのですね。

 この映画を観て私は、素っ気ないけれど放ってはおけない愛らしさを持った、シャーリー・マクレーンという女優が好きになりました。

 男三人兄弟で育った私は若い女性の気心など知るよしも無く、きっとその分だけ映画の中で共演する女優をしっかり観察していたのでしょうね。

 そして、共演する女優が好きになる作品が私にとっての名画になる傾向も多いのです。

 もちろん、イタリア映画「鉄道員」の如く、主演男優のピエトロ・ジェルミの男臭さに感動する例もありますが。