イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

民主政権の功罪の”功”

2011-02-17 19:56:26 | 国際・政治

 先日(2月8日)の夜、わが街のJR駅で警察官が逮捕されました。警察官は酔って、乗客の若い女性の前で下半身を露出したのです。

翌日のテレビのニュースで報道されていましたから県警本部も随分と迅速な情報開示をしたものだと些か感心しました。

過日は自民党の国会議員・石原伸晃のSP(警護警察官)が”覗き”の現行犯で逮捕されました。また、佐賀県警察本部が交通事故の件数のサバ読み報告をしたことがバレたりしています。

以前は極端に少なかった警察の不祥事事件が近年は連日の如く報道されて今や珍しくもない記事になろうとしています。

最近のTVのワイドショー番組などでは民主党政権になってからの功罪をコメンテーターがアレコレ頓着することが多くなりました。取り分け功罪の”罪”を異口同音に姦しく喋るものですから今や「世論化」してしまいました。

だからと言って自民党復帰という訳でもなく、「第三局」期待論でみんなの党や公明党が脚光を浴びると言う論調でもないのが不思議です。

イワン・アサノヴィッチは新政権功罪の”功”を少し感じ取っています。それは権力の中枢・要と言われている「司法・検察・警察・自衛隊・海上保安庁」などの自民党政権時代には政官癒着による伏魔殿的存在であった部分の風通しが良くなったことです。

大阪地検特捜部のFD改ざん事件や自衛隊員自殺の裁判問題、海上保安庁ヘリ墜落隠蔽問題・尖閣衝突の情報漏洩問題などなどが次々と明るみになっています。こんなことは自民党政権時代には殆どなかったことです。

事件は多々あったはずなのに公僕の使命をかなぐり捨てた、国民不在の「自己組織防衛」や「威厳・体裁づくり」のために闇から闇に葬られていたのです。

政官癒着という政治態勢の体質・気質が改められようとしている訳です。

自民党が政権復帰したいと言うのであれば、民主党政権が頓挫している政治主導を「政官癒着の自民党」こそが縁切りする姿勢を示し、徹底しない限りは不可能でしょう。


演歌「風雪ながれ旅」の純愛

2011-02-10 01:02:33 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年、亡くなられた作詞家の星野哲朗氏の代表的な演歌に「風雪ながれ旅」があります。歌手は北島三郎ですが、北島にとってもこの曲は代表作になるだろうと思われます。
 

30年も前のヒット曲でイワン・アサノヴィッチもまだ30代半ばのころでした。カラオケでは少し謡いにくい曲で、イワン・アサノヴィッチは謡わなかったけれど良く聴いて知っているという曲でした。

従って詩の意味も朧気(おぼろげ)な理解で、雪国の中をさまよう年端もいかない、それだけに強烈な男女の恋唄だという程度の理解でした。「♪ 泣きの十六 短い指で 息を吹きかけ 超えて来た ♪」と厳冬の中の恋路を謡っています。

イワン・アサノヴィッチが中学生の時、国語の教師が古今和歌集の一句を紹介しました。「五月まつ 花橘(たちばな)の 香を嗅げば 昔の人の 袖の香ぞする : 読み人知らず」という句でした。

中学の教科には古典はありませんでしたから、授業の合間に教師自身の「五月」と「初恋」の想い出に関連した話しをしてくれたものだと思います。大柄なゲジゲジ眉でだみ声の教師には、恋の想い出などとうてい似つかわしくない話しだったので、反対に良く覚えていたのかも知れません。

「風雪流れ旅」は続けて「♪ 三味が折れたら 両手を叩け バチが無ければ 櫛でひけ ♪」と謡いますが、星野哲朗氏は壮絶な恋の逃避行の中に強烈な音楽への執着・情熱を一組の男女に見いだしていたのかも知れません。

「♪ 通い妻だと 笑った女(ひと)の 髪の匂いも なつかしい アイヤー アイヤー ♪」と何故かは分かりませんが、はかなく散った若き男女の恋の結末が謡われ、男がそれを偲びます。

♪ 髪の匂いも なつかしい ♪ の一節には古今和歌集の「 昔の女(ひと)の 袖の香ぞする 」が重なります。

演歌「風雪ながれ旅」に見る若き男女の恋路は星野哲朗氏の純愛のメッセージだったのかも知れません。


”八百長議会”

2011-02-07 23:01:04 | 国際・政治

 連日の新聞・テレビは大相撲の「八百長メール」問題がトップニュースになっています。

そんな折に片山善博(総務大臣)の近著「日本を診る:岩波書店」を読みました。 片山善博は決してタイミングを合わせた訳ではないでしょうが、いきなり日本の議会は「八百長議会」だと喝破しています。

曰く、幕府高官の村垣淡路守が咸臨丸で米国議会を視察したとき、村垣の感想は「まるで魚河岸のセリのようだ」と言ったそうです。

片山善博は村垣淡路守の感想は本質的なことを述べているとしています。即ちセリも議会も本来は公開の場で怒号と喧騒の中で価格(政策)を競い合うものだろうと述べています。

そして優れた価格(政策)を提示した者が勝者になる筈なのに、日本の議会は事前に「議員説明」と称して役人側から根回しをしてしまう。だから事前に概ね了解してしまった与党は議案に瑕疵があっても当局を責めずに賛成をする。従って少数野党がどんなに優れた議案を提示しても否決されてしまう。

議会開催前に議案の採否が決まっているという不可解をなんと言うべきか。八百長とは「真剣に争って居るように見せながら、事前に示し合わせたとおりに勝負をつけること。」である。

咸臨丸時代の日本はまだ民主化されていませんでしたので、結局は御上主導の議会からスタートした訳です。

140年も前から日本の議会は欧米議会とは違う道、即ち”魚河岸のセリ議会”ではなく、「八百長議会」の道を歩んで来ていると述べています。
 

イワン・アサノヴィッチは盟友・我が町のS10市議にメールを送りました。

議会と行政側があるいは議員同士が恰も魚河岸のセリのように怒号と喧騒を以て、政策の良し悪しを公開の場で競い合うと言う状況、そして優れた議案・政策が勝者となる至極当然の議会制度を探求すべきではないかと。そして、それが市民目線で言う本当の議会制民主主義なのではないでしょうかと。

我が町の議会は丁度いま、議会基本条例の策定に関する調査・審議をしている最中です。悪意ではありませんが、「八百長議会」とはキツイことを言ったものだと反省しています。


スパンコールの似合う女、桂銀淑

2011-02-03 19:55:41 | 芸能ネタ

 過日(2010年月)テレ朝のワイドショー番組が韓国在住の歌手、桂銀淑(ケ・ウンスク;49歳)を取材放映しました。

桂銀淑は韓国のモデル・アイドル歌手としてデヴィユーし、1984年に来日して「すずめの涙」などのヒット曲を出したりしました。
 

ハスキーな声で ♪たかが人生 なりゆきまかせ 綺麗にあばよ ♪  のフレーズは何やら彼女の人生を予見するかのようでした。

離婚・企画の失敗での借金・所属事務所との金銭トラブルで裁判沙汰など苦難の道が続いたようでした。そんな中で体調不良となり、ウツ病をも患うようになりました。

♪ たかが人生 綺麗なときは 花よりもっと みじかい筈ね ♪  往年の美貌にもやや翳(かげ)りが出てきました。やがて覚醒剤を使用するようになり逮捕、とうとう2008年に国外退去処分となりました。
 

              Photo

テレビ朝日の取材・放映の意図は不明ですが、久しぶりにテレビに映し出された桂銀淑のノーメイクの顔は以前よりもきれいでした。澄んだ瞳には哀調とイワン・アサノヴィッチの思い過ごしかも知れませんが悔悟を感じさせられました。

2010年3月から韓国国内で歌手活動を再開したそうです。しかし日本に帰りたいと言っていました。

♪ もし今度 生まれてくるなら 色づいた夢を見るよりも ささやかでもいいの あたしだけ飛べる青空を ♪ と「すずめの涙」は謳っています。

スパンコールのドレスが似合う桂銀淑をもういちど観たいものです。


民意で選ばれた小澤は、民意に従え

2011-02-02 18:15:46 | 国際・政治

 昨日(1日)のテレ朝「スーパーモーニング」でコメンテーター出演していた大澤孝征弁護士が、強制起訴された小澤民主党元代表に対して『有罪無罪は裁判の結果になるが、民意で選ばれた国会議員は民意で起訴されたのだから素直に従うべきだ。』と述べました。

そのとおりです。 イワン・アサノヴィッチの知人のジャーナリストはメルマガで『そもそも強制起訴と言う言葉がオカシイ、検察というプロが起訴しないから市民が代わって起訴したのであり、市民起訴とでも言うべきだ。』と述べています。
 

 朝日新聞(H23年2月1日付け、社説)も久しぶりに硬質な論評を述べています。即ちこの起訴は市民の判断に意義があるとしています。俄に”市民起訴”の意義が脚光を浴びてきたと言う良い感じがしてきました。
 

 朝日新聞が久々の硬質記事を掲載したことを歓迎しますが、いま流行りの言葉で言わせて貰うならば”ブレない”で欲しいものです。 以下に「硬質記事」を紹介しましょう。

①検察の起訴権限が強大なるがゆえに独善的になった。 ②検察の「起訴基準」と国民の正義感の齟齬を問い直す機会だ。 ③国民の抱いた疑問をうやむやにするな。 ④政治資金の収支報告書に政治家の署名を義務付けろ。 ⑤小澤は検察の起訴と市民の起訴の違いを強調して倫理的な責任を執ろうとせず国民に正面から向き合おうとしていない。 

以上ですが、考えてみれば決して「硬質記事」などではなく、マスコミの使命から書かされたであろう「当然の記事」ですよね。

 国民は、政治にせよ検察にせよ官庁にせよ”プロ”の方々にはほどほど呆れています。いずれは官房機密費の甘い汁を吸った評論家やジャーナリスト・マスコミ記者諸君にも退場願いたいと思っているところです。