去年の秋、突然に、A氏は亡くなった。前夕、庭で植木を手入れしていた作業服姿が今でもイワン・アサノヴィッチの目には焼き付いている。
おとなしい人で寡黙さの中に穏やかな笑顔で対応する態度には好感が持てた。
A氏には子どもが居なかった。従って遺族は奥さん1人だけだ。年齢は丁度、我々イワン・アサノヴィッチ夫婦と同じぐらいである。
私たち夫婦は子どもが三人と孫が4人を授かっている。 それに比べて、察するに一人だけ残された奥さんにとってはさぞかし寂しいことだろうと思われる。
Aさん夫婦は仲が良かった。毎週の土曜日の午前中に、Aさん夫婦は仲良く車に乗って市のスポーツ教室に通っていた。その行き帰りであろう、縁側で喫煙する私の目には家の前を通過する車と共に何度ともなく目撃した。いまとなってはイワン・アサノヴィッチにとっても懐かしい良い光景だったのである。
Aさんが亡くなってから早3か月が経とうとしている。
殆どお付き合いもなかったが、同じ町内会だったこともあり、葬儀にはカミさんが出かけた。チョッピリ寂しい席具合だったそうである。当たり前のことで、我々夫婦も現役を離れて10年以上が経ったのである。きっと家族葬みたいな形で子ども達は我々の葬儀を簡潔に済ますことだろうと思われる。
先日、犬の散歩でAさんの御宅の前を通ったときに「アレ!」と思った。
毎週土曜日に夫婦で出かけていた時に使っていた、あの自動車が未だに庭の一角の駐車場に止めてあるのである。
たぶん、亡くなる直前にAさんが運転した後、庭の一角にいつもどおり駐車させた、そのままの姿・光景なのだろう。
Aさんの奥さんは確か車の運転ができないのだから使用している訳がない・・・。しかし、3か月も経ったと言うのに、未だに廃車処理していないと言うことは、どういう事なのだろう・・・と、少し訝(いぶか)しく思ったのである。
イワン・アサノヴィッチは3か月前以前、この車を使って市のスポーツ教室に仲良く通っていたAさんご夫婦の姿を想い出した。
ひょっとしたら、いや!きっとそうだろうと言う考えに行き着いた。
子どもも居ない、当然のことながら孫も居ない。そんな老夫婦に突然おとずれた別れ。
たった一人残された身に、Aさんの遺品となるようなものは少なからずある筈だが・・・。
別れる直前まで、夫婦ともに楽しく使っていた自家用車は、スポーツ教室は止めても直ぐには処理する気持ちになれない。
「敢えて廃車しないでいるのだ。」ということに気がついた。
おとなしい人で寡黙さの中に穏やかな笑顔で対応する態度には好感が持てた。
A氏には子どもが居なかった。従って遺族は奥さん1人だけだ。年齢は丁度、我々イワン・アサノヴィッチ夫婦と同じぐらいである。
私たち夫婦は子どもが三人と孫が4人を授かっている。 それに比べて、察するに一人だけ残された奥さんにとってはさぞかし寂しいことだろうと思われる。
Aさん夫婦は仲が良かった。毎週の土曜日の午前中に、Aさん夫婦は仲良く車に乗って市のスポーツ教室に通っていた。その行き帰りであろう、縁側で喫煙する私の目には家の前を通過する車と共に何度ともなく目撃した。いまとなってはイワン・アサノヴィッチにとっても懐かしい良い光景だったのである。
Aさんが亡くなってから早3か月が経とうとしている。
殆どお付き合いもなかったが、同じ町内会だったこともあり、葬儀にはカミさんが出かけた。チョッピリ寂しい席具合だったそうである。当たり前のことで、我々夫婦も現役を離れて10年以上が経ったのである。きっと家族葬みたいな形で子ども達は我々の葬儀を簡潔に済ますことだろうと思われる。
先日、犬の散歩でAさんの御宅の前を通ったときに「アレ!」と思った。
毎週土曜日に夫婦で出かけていた時に使っていた、あの自動車が未だに庭の一角の駐車場に止めてあるのである。
たぶん、亡くなる直前にAさんが運転した後、庭の一角にいつもどおり駐車させた、そのままの姿・光景なのだろう。
Aさんの奥さんは確か車の運転ができないのだから使用している訳がない・・・。しかし、3か月も経ったと言うのに、未だに廃車処理していないと言うことは、どういう事なのだろう・・・と、少し訝(いぶか)しく思ったのである。
イワン・アサノヴィッチは3か月前以前、この車を使って市のスポーツ教室に仲良く通っていたAさんご夫婦の姿を想い出した。
ひょっとしたら、いや!きっとそうだろうと言う考えに行き着いた。
子どもも居ない、当然のことながら孫も居ない。そんな老夫婦に突然おとずれた別れ。
たった一人残された身に、Aさんの遺品となるようなものは少なからずある筈だが・・・。
別れる直前まで、夫婦ともに楽しく使っていた自家用車は、スポーツ教室は止めても直ぐには処理する気持ちになれない。
「敢えて廃車しないでいるのだ。」ということに気がついた。