学生ら15人が亡くなった1月15日の軽井沢スキーバス転落事故から1カ月が経ちました。31年前にも学生ら25人が死亡した同様の悲劇がありました。
日本福祉大学(愛知県美浜町)スキーバス転落事故です。この事故で、長女結可(ゆか)さん=当時(19)=を亡くした山形弘喜さん(75)、孝子さん(75)夫妻は「今度こそ規制緩和を抜本的に改めてほしい」と力を込めます。
以下、しんぶん赤旗(2016年2月16日)からの記事を基にしました。
「同じ年代の子たちがまたか!」―軽井沢バス事故の一報に接した孝子さんの頭を真っ先に、この思いがよぎりました。「思い出したくないと思っても、同じような事故が何度も起きるんだよね」 「遺族には重い苦しみや悲しみが一生つきまとう。その親のつらい気持ちを思うと…。 しばらくは立ち上がれないでしょう。気の毒だ。許せないね」と声を落とします。
31年前、知らせを受け、弘喜さんたちは現場に向かいました。棺に入った遺体はお寺の本堂に安置されていました。「遺体はみんな凍っていたね。泣き崩れるほかなかったですよ」と弘喜さん。孝子さんは憤ります。『悪いのは2000年の規制緩和でしょう。安かろう悪かろうで、どんどん(バス会社が)参入してくる。国はまったく教訓をいかしていない』
2000年、自民、公明、保守政権と民主党の賛成により道路運送法が改悪され、貸し切りバス事業への参入規制が、免許制から「許可制」に緩和。貸し切りバス事業者は2倍に増え、激しい価格競争に突入しました。
弘喜さんは「運転手が悪い、会社が悪いといったって一番悪いのは規制緩和をやった自公政権だ。60歳を過ぎた人を雇って安くあげようなんてとんでもない。遺族の親たちは40代でしょう。これから重い一生を背負うことになる」と訴えます。
同日の東京新聞には「東北震災復興道路工事でゼネコンが談合」の記事が踊っていました。規制緩和をしても大企業には”競争原理”が働かず、莫大な税金が財界・資本に唯々諾々と流れて行くシステムは今も何ら変わらないのです。自民・公明政権の巧妙な「政策」ではなく「策略」なのでしょうか。
日本福祉大学(愛知県美浜町)スキーバス転落事故です。この事故で、長女結可(ゆか)さん=当時(19)=を亡くした山形弘喜さん(75)、孝子さん(75)夫妻は「今度こそ規制緩和を抜本的に改めてほしい」と力を込めます。
以下、しんぶん赤旗(2016年2月16日)からの記事を基にしました。
「同じ年代の子たちがまたか!」―軽井沢バス事故の一報に接した孝子さんの頭を真っ先に、この思いがよぎりました。「思い出したくないと思っても、同じような事故が何度も起きるんだよね」 「遺族には重い苦しみや悲しみが一生つきまとう。その親のつらい気持ちを思うと…。 しばらくは立ち上がれないでしょう。気の毒だ。許せないね」と声を落とします。
31年前、知らせを受け、弘喜さんたちは現場に向かいました。棺に入った遺体はお寺の本堂に安置されていました。「遺体はみんな凍っていたね。泣き崩れるほかなかったですよ」と弘喜さん。孝子さんは憤ります。『悪いのは2000年の規制緩和でしょう。安かろう悪かろうで、どんどん(バス会社が)参入してくる。国はまったく教訓をいかしていない』
2000年、自民、公明、保守政権と民主党の賛成により道路運送法が改悪され、貸し切りバス事業への参入規制が、免許制から「許可制」に緩和。貸し切りバス事業者は2倍に増え、激しい価格競争に突入しました。
弘喜さんは「運転手が悪い、会社が悪いといったって一番悪いのは規制緩和をやった自公政権だ。60歳を過ぎた人を雇って安くあげようなんてとんでもない。遺族の親たちは40代でしょう。これから重い一生を背負うことになる」と訴えます。
同日の東京新聞には「東北震災復興道路工事でゼネコンが談合」の記事が踊っていました。規制緩和をしても大企業には”競争原理”が働かず、莫大な税金が財界・資本に唯々諾々と流れて行くシステムは今も何ら変わらないのです。自民・公明政権の巧妙な「政策」ではなく「策略」なのでしょうか。