イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

「日・中・韓・台」構想

2012-10-31 02:28:22 | 国際・政治
 

 イワン・アサノヴィッチにはひとつの大きな構想がある。それは「日・中・韓・台」連邦と言うかユニオンと言う構想である。即ち、日本と中国と韓国・台湾はモンゴロイド人種であり、言語は共通の漢字圏である。そして文化的には仏教圏(儒教圏)でもある。 

 

 これだけ共通の大きな要素を持っていながら、国が別れている方が不自然な感じがしているのである。ご存じのとおりEUは民族も宗教も大きく異なりながらもユニオンを形成し、従前の分権国家間の弊害を取り除き大きく連合しようとしている。ただ、ギリシャ問題のように必ずしも経済関係については旨く行っているとは言えず、ぎくしゃくしていることは事実である。 

 

 そう言う意味では「日・中・韓・台」間の経済的な問題については、所謂「ギリシャ」は存在しない。政治体制やイデオロギーの違いを心配する向きもあるが、それこそ「日・中・韓・台」の為政者と国民の叡智によって暫しの時間を掛けて解決して行く問題だと思っている。そして解決は可能だと思っている。 

 尖閣や竹島問題がこじれていると心配する向きもあるが、朝日新聞(2012/10/30付け)のジョン・ダウワー氏(米マサチューセッツ工科大学名誉教授)のインタヴィユー記事「なぜ、まだ領土問題なのか」は教訓的である。<o:p></o:p>

 

即ち、戦後の冷戦が「日・中・韓・台」に存在した領土問題の解決を阻み、日本は米国に全面依存(従属)し中韓に向き合わなかった、と指摘しているのである。 

 ドイツの、戦後間もない時期の対戦国への謝罪と融和政策に較べると、日本とは大きな隔たりがあり、そのことが被害国の中国や韓国からすれば今もって許しがたい記憶を持ち続けている、と言うのである。鋭い指摘だと思う。<o:p></o:p>

 

経済的にも軍事的にも対等あるいはそれ以上となった中韓は、アメリカべったりで中韓と融和することなく、経済的発展を遂げた日本に対しては“嫉妬“もあったであろう。

 

 そのことが国家・民族心理の深層にあり、いま「尖閣」や「竹島」となって現れているのである。朝日新聞記者は、加害者である日本が忘れ去りたい過去の記憶を放置したまま、領土問題に関して「断固」とか「決然」とか言う勇ましい言葉を使う場合ではないだろうと結んでいる。 

 

 その意味でも「日・中・韓・台」が大きく融和すれば、極論的な言い方になるが尖閣や竹島問題は“国内“少なくと”域内“問題のレベルを脱しない、その程度の問題でしかなくなる。中国の海洋進出も厳めしい空母や軍艦である必要はなくなるのである。”加害者“の日本がこの期に及んで”被害者“になりすましするようなことはすべきでない。 


?ミユ一家4人が揃って帰って行った

2012-10-21 21:44:58 | 日記・エッセイ・コラム
   

 

いまさっき、?ミユ一家4人が揃って帰って行った。 



 4日に新生の二人目の孫が母親と一緒に退院し、イワン・アサノヴィッチの実家暮らしが始まってから17日が経った。ママの実家はフクシマ原発の事故のまっただ中。戻ってお産なんて出来よう筈がありません。退院後は母子共ども余病や合併症など何の発病もなく、産後の肥立ちも順調に経過して来たので、さっき船橋の自家に戻って行ったのである。
 



 ”火が消えたような寂しさ”とはこんなことを言うのであろうか。17日間の楽しい喧噪のあと、孫たちが帰ってしまった途端に家の中は急に静けさが戻ってきた。加えて寂しさまでもが混ざり込んできた。秋の日の夕刻間近な気温の涼しさが身に染みる。?ミユは全く妖精の如しである。
 



 ママの出産入院の10日間を併せると概ね1ヶ月間、?ミユ家はドタバタと慌ただしい状態だったのである。ママの入院中はパパと親子二人の単身暮らしになったため、ジジババが夕方の保育所のお迎えをした。
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ジジババが何くれと無くカバーはしたものの、?ミユもきっと慌ただしく且つ淋しく我慢のひと月だったに違いない。ようやくこれで落ち着けるようになった。順調に普段の生活に戻れるようになったことは有難いことである。


 帰りしな?ミユがパパの運転する車窓から手を振りながら『ジジ!バイバイ』と元気良い言葉を投げかけて行った。?ミユの顔は正常な状態の暮らしが新家族4人で送れる事に対する満足感で一杯のようだ。実に楽しそうな幸せそうな笑顔であった。


そして、そんな?ミユの笑顔を見ることが出来るだけで、私もまた満足なのである。庭の縁台に腰掛け煙草をくゆらせた。コスモスが静かに咲いていた。


ミユの闘い  (/_;)

2012-10-13 22:26:46 | インポート
 

 先月の末、イワン・アサノヴィッチに二番目の孫ができました。母親の切迫性流産が原因で少し早めに生まれました。でも臨月に入っていたのでお陰様で大した心配は要りません。上の子がまだ五歳なので実家に戻って出産し、産後の肥立ちを過ごしたかったのですが、原発のフクシマが実家では戻るに戻れませんでした。<o:p></o:p>

 

 母親の入院中はパパが上の子を保育園に送り届けて、夕方にはママの病院見舞いがてらジジババが?ミユを保育園に迎えに行きます。ババが夕食をつくりジジババと三人で食べます。<o:p></o:p>

 

やがてパパが帰って来てからお風呂です。ジジババのお勤めはそこまでで?ミユの寝しなに、車で帰って来るのです。<o:p></o:p>

 

 帰って来るときはパパと?ミユにお見送りをして貰います。ジジと?ミユにはお別れするときの儀式があります。まずハイタッチをします、そして頬っぺにチューをし合います。これはこの数年間のジジと?ミユの二人の習慣です。<o:p></o:p>

 

 ところがママが入院して1週間ぐらい経った時のことでした。いつものようにイワン・アサノヴィッチが?ミユとお別れの儀式のハイタッチをしようとしたら、いきなりジジの手のひらを力一杯叩いたのです。いつもと違って今日はちょっと乱暴じゃないかと思いましたが、直ぐにその理由(ワケ)に気がつきました。<o:p></o:p>

 

 そうなのです、?ミユはパパと二人だけになってしまう夜が少し淋しくてイヤだったのです。だからジジババとお別れするためのハイタッチなんか…きっと素直にしたくなかったのです。<o:p></o:p>

 

 ママは出産入院中、パパは慣れない単身の子連れ暮らし、ジジババは毎日のように病院と保育園と?ミユ家の渋滞道路の往復。<o:p></o:p>

 でも、?ミユも?ミユなりに闘っていたのでした。泪です。