イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

「風雪ながれ旅のミステリー」

2012-01-22 18:28:54 | 芸能ネタ
 

    少し前の話になるが、12月30日に年末恒例の「日本レコード大賞」が発表された。<o:p></o:p>

 大賞を誰が獲ったのか定かではないが、イワン・アサノヴィッチの関心は演歌・歌謡曲にあった。このイヴェント賞から、演歌・歌謡曲部門が主流から外れるようになって久しい。

今年も演歌歌手のヴェテランは小さな部門賞に入っただけであった。因みに坂本冬美(最優秀歌唱賞)・天童よしみ(作曲賞:ふたりの船唄)、そして歌謡界の大御所と言われている北島三郎が「大衆歌謡文化賞」と言う“祭り上げられたような“賞を獲ったに過ぎない。

北島は会場で「風雪ながれ旅:星野哲郎詩・船村徹曲」を歌った。<o:p></o:p>

  この曲は昭和55年(1980年)にリリースされたヒット曲であった。ご存じの方も多いと思われるが、詩・曲のイメ-ジは暗く寒く陰に籠もるようなものがあり、誰もが気軽に飛びつくような歌ではなかった。

 ♪破れ単衣に 三味線抱けば よされ よされと 雪が降る♪

曲の一番の出だしであるが、いかにも寒く暗そうである。

 ♪泣きの十六 短い指に 息を吹きかけ 越えてきた♪

と続き、雪の北国を彷徨する旅芸人の辛酸を歌った曲であろうことが推理される。<o:p></o:p>

 曲の二番になると、詩の趣(おもむき)はガラっと変わってくる。

 ♪三味が折れたら 両手を叩け バチが無ければ 櫛でひけ♪

 ♪音の出るもの なんでも好きで かもめ鳴く声 聴きながら♪<o:p></o:p>

 はて、「音の出るもの何でも好きで…」などと言うフレーズは、ついぞ演歌の歌詞の中では聴いたことのない一節である。

長い間、ミステリアスな曲ではあったが、これは音や音楽に執念を持った音楽学校の生徒とか何処かの音楽教室の弟子の経歴・育ちを表現したものではなかろうかと推理が行き着いた。

そして曲の三番がドラマチックに展開される。<o:p></o:p>

 ♪鍋のコゲ飯 袂に隠し 抜けて来たのか 親の目を♪

すなわち、音楽学校か教室かは不明であるが、先生と生徒の禁断の恋が歌われているのである。コゲ飯を隠して運んで来たのだから、きっと貧乏家庭教師と女生徒の、親が認めない恋だったのであろう。

♪通い妻だと 笑った女(ひと)の 髪の匂いも なつかしい アイヤ~♪

と曲は結ばれ、若かりし頃の美しくも哀しい悲恋に終わった歌だったのである。<o:p></o:p>

  と、勝手にミステリーを想像・推理したのであるが如何であろうか?

(そんな事いちいち考えないで、カラオケで歌っていたよ、 ですって?ごもっとも…。)<o:p> </o:p>

 

 【書き終わった後で、ネットのWikipediaで調べたところ、作詞家・星野哲郎氏が津軽三味線奏者の高橋竹山氏の生涯を元にしてつくった作品であることが分かった。

曲のヒットは生前中のこと、自分をモデルにした曲の仔細を幅広く受け入れる、竹山氏の奥行きの深さと人間性の豊かさが忍ばれる。】<o:p></o:p>

 


梅原猛氏、「原発」紙上対談

2012-01-08 21:58:13 | 社会・経済

 哲学者の長老・梅原猛氏が経団連の米倉弘昌会長と〈再考 エネルギー〉というテーマで紙上対談している(朝日新聞:1月1日付け)。

『17世紀のフランスの哲学者・デカルトは科学が発展すれば人間は自然を奴隷のように支配できるとして、その後はデカルトの哲学が人類の根幹的な思想となった。』と解明し、『今回の原発事故をみて、文明災という言葉が浮かんだ』とのことだ。

氏は『これからは文明が変わらなければならないし、文明を基礎づける哲学も変わらなければならない。』と結んでいる。

また『脱原発は歴史の必然であり、核融合という「地球に太陽をつくるという研究」そのものが思い上がりだ。』とも指摘している。『核融合研究に費やした莫大な予算を今度は自然エネルギー研究に政府は予算をだすべきだ。』と実践的な方向を打ち出している。

さすがに東大の“奥の院”に鎮座まして居られる、原発推進・擁護をして来たその辺の御用学者とは格が違うことを言う。

『中国が原発推進をしているから、日本だけが止めても意味がないという論議は、歴史から学ぶという態度がないからだ。中国だっていったん原発事故がおきれば、国が潰れてしまうかも知れない。』という指摘も、全地球的な歴史の視野で物事を思索している哲学者なればこその発言であろう。

 この記事は紙上対談の中のものであるが、当然に相手の発言もある。相手は経団連の米倉弘昌会長であった。彼は『福島原発は千年に一度の震災によく耐えた。』と豪語している人物である。

なを言えば、明治年間に岩手県で38m超の同規模の津波が三陸海岸を襲っているのであるから「千年」というのは、政・財・マスコミ界の責任回避のレトリックである。それはともかくとして。

米倉弘昌会長が渋々としてではあるが、将来はともかくも、当面の20年間ぐらいは原発によるエネルギー政策継続の必要性をうったえている。

面白いことに、梅原猛氏も同対談の中で『原発を今すぐに止めることは無理でも、20年後ぐらいには…』と同様主旨のことを述べているのである。

『将来は自然エネルギーを利用して、もったいない精神で生活する、日本の伝統的な生活。自然の恩恵を受け・感謝して生きる。そういう文明によって、新しい日本をつくるべきですね。』と氏は続けている。

 米倉経団連・長谷川同友会の“あとは野となれ“的な儲け主義は、日本のみならず世界の歴史の、進歩に逆行しているのではないか。大量生産・大量消費で安ければ、質は問わないという時代の終焉が始まっている。

財界の中心人物が財界の尺度だけで物事を決めて来た時代は終わろうとしている。

日本の財界が世界に誇れる、真にグローバルな財界となるよう、賢明なる道の選択を誤ることのないよう念じてやまない。