イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

”石原銀行”の愚

2008-03-20 23:43:44 | ニュース

 石原東京都知事が設立した新銀行東京が僅か3年で破綻寸前となった。

初年度から累積損失は300億円を超え、いまや1000億円に迫ろうとしている。

石原はこの2月都議会に400億の追加出資を提起し、紛糾している。

3年前の設立時に、自民党は『是非、実現すべし』と賛成し、民主党も『新銀行は夢とロマンが持てる』ともてはやし、公明党に至っては『東京発金融革命』と絶賛した。

そこには二大政党制とはほど遠い、自公民による大政翼賛政治の姿が浮かび上がる。我がまちの市議会のていたらくとうり二つである。

それはともかくとして、石原の”盗人猛々しい”的な都議会への主旨説明では『墜落寸前の飛行機に緊急に手を打つことだ』と脅迫・狂乱の言葉が飛び出す始末である。

既に各マスメデイアはこぞって「撤退・失敗・手を引け・幕を閉じよ・元凶は知事」と厳しい批判が続出している。週刊誌レベルでは「知事の傲慢経営・独断専横・トップダウンの愚」を指摘する論調が出ている。

ここに至って石原はなを、旧経営陣に裏切られたみたいな責任回避的発言をしているが、そもそも大塚副知事や津島局長らの側近を銀行に送り込み、”石原銀行”の異名を携え経営されてきたものである。

いまになって惚けたことを言うなと言いたい。おまけを言えば、息子の絵画を銀行に買わせたりしているから何ともセコイ限りである。

封建時代の世ならばいざ知らず、城主の一声で十分な算段(ノウハウ)もなく強行した銀行業である。民主主義の時代では、この種のことを「税金の無駄使い」と言うのである。

3年もしないうちに墜落しそうな飛行機をそもそも離陸させたのが間違いなのである。

石原銀行一族は私財を投げ打ってでも責任を執れと迫った共産党都議に、石原はこともあろうに答弁拒否をした。

改めて石原に言いたい。盗人猛々しいと。


生きてこそ生きる 映画「母べえ」

2008-03-16 21:14:20 | 空海の周辺

 お釈迦様は、『人のこの世は四苦八苦という苦難の連続だ』と説いている。しかし同時に、生きよ!と説いている。

大きな権力・地位や財産などは虚仮(コケ:本質的なものではなく、むしろ空しいものの意)だと説かれている。

知足(足るを知る:欲張らず、平凡な生活の幸福)で良いではないかと説かれている。

母(かあ)べえは、死の床で立派に成長した二人の娘にお別れの挨拶と感謝の気持ちを告げる。

娘たちは『天国の父(とう)べえに会えるからいいね』と明るく振る舞う。

しかし母べえは消え入りそうな声で『あの世でなんか父べえに会いたくない。生きているうちに父べえに会いたかった。』と言って息を引きとる。

人はみな”生きてこそ生きる”存在なのである。

父べえは若き学者で思想家である。

戦時色濃い生活物資もままならない時代に、母べえはそんな夫と思春期を迎えた二人の娘たちと共に、食卓の品は至って貧しいが、平凡な一家団欒の幸せの中で暮らしていた。

時の支配者・権力者と取り巻きの追随勢力(戦前の特高警察など)は、非戦平和を唱える平凡且つ善良な学者を投獄する。

母べえ一家の、ありふれたつましやかな生活は国家権力によって暗転させられる。

母べえと二人の娘の必死で毅然とした父べえへの支援、大学の教え子や義妹の慈愛に満ちた懸命の協力があったにも拘わらず、父べえは無惨にも獄死させられてしまう。

四苦八苦の苦難の永い人生という川の流れの底にキラリと光る砂金のような愛や感動や援助や感謝が見え隠れして存在する。

母べえはそんなごく普通の、ありふれた夫と家族の生活を希求していたに過ぎない。

『生きているうちに父べえと会いたかった』の母べえの言葉は、お釈迦様の『生きてこそ生きる』の教えと同質なものなのである。


映画「母べえ」を観て

2008-03-11 09:53:05 | 映画

 母(かあ)べえこと吉永さゆりは、死の床で女医と教師になった二人の娘に声も絶え絶えにお別れの挨拶と感謝の気持ちを告げる。

娘たちは『天国の父(とう)べえに会えるからいいね』と明るく振る舞う。

母べえは消え入りそうな声で『あの世でなんか父べえに会いたくない。生きているうちに会いたかった。』と言って息を引きとる。

不可避的な事故や病気で、愛する伴侶と死別することならばまだしも諦めることが出来るかも知れない。

しかし、空前の悪法「治安維持法」で、愛する伴侶がある日とつぜん逮捕され投獄の末に獄死させられたとあっては、まさに国家権力による殺人であり、遺族は諦めようにも諦め切れない。

父べえこと板東三津五郎は研究熱心な若き独文学者であり思想家。母べえの夫であり、思春期を迎えた娘たちの優しい父でもあった。

食卓は貧しくとも一家の団らんは家族愛に輝き溢れていた。

そんなごく普通の家庭を、おぞましい特高警察は蹂躙する。

転向を迫る国家権力は、大学の恩師という形で現れ『悪法も無法に勝る』と嘯く。そしてまた、検事として現れた大学の教え子は『あなたは国賊の身ですぞ!』と取り調べ室で怒鳴るのである。

権力による弾圧というものは巧妙で、かくの如く恩師や教え子を通して行われるのである。実父からも勘当される。

母べえは凛とせざるを得ない。しかし、教え子の山ちゃん(浅野忠信)や若き叔母(壇れい)の心温まる支えも一家にとって欠かせないものになった。

壇れいは宝塚出身で2回の中国公演では楊貴妃の再来とまで騒がれた女優。

とかく形式美のみの塚ガールと違って才色兼備で”動”のある女優だ。

去年の志布志町選挙違反事件で国家権力は平気で10人以上の善良な市民を投獄した。母べえの悲しみは今なを続いている。

吉永さゆりの老け役はまだまだ似合わないことに気付いて一安心。