イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

豊洲移転騒動 案の定、元部長が都に反論

2016-11-19 15:56:09 | 社会・経済
 拙ブログの11月8日付けで、「豊洲市場問題の責任は石原元都知事と建築ゼネコンに在る。」と記述した。
8日付けの東京新聞報道によれば、豊洲の元新市場整備部長の宮良(みやなが)真氏(63歳)が東京新聞の取材の中で『今回の地下コンクリート箱工事の報道がなされるまで、建物下に盛り土がないことを全く識らなかった。盛り土をしなくていいとの指示や意思決定をしたことはない。』と語った。
そして反論書を4日付けで都知事に提出した事も明らかにした。
イワン・アサノヴィッチは拙ブログ(8日付け)でも、地下コンクリート箱工事の責任は石原慎太郎元知事と建築ゼネコンに在ると述べた。
そして今回の処分された元部長の反論を聴いて、やはりこの地下コンクリート箱工事の真犯人は石原慎太郎元知事と建築ゼネコンだと言う事を確信するに至った。

即ち、ド素人の石原某元知事が「地下コンクリート箱」工事の案を記者会見で堂々と述べているのであるから、役人たちは業務命令に匹敵する指示だと言う思いにさせられてしまうのである。
イワン・アサノヴィッチも公共職場の元役人だったから、その辺の心理的変化は良く理解できる。そして、知事会見を見聞きした建築ゼネコンの攻勢は関を切ったように始まるのである。
「知事が薦める地下コンクリート箱工事ですから。」の言葉を強調しながら営業名刺を幾度も配り回って行くのである。
これでは都庁の建築局の役人の頭は、いつともなく、そしてだれ言うともなく「地下コンクリート箱工事」に洗脳されてしまうのである。
自身の37年間の某公共事業職務の経験でも、環境アセスメントの課題は苦手であった。少なからずの土木技術者も然りであった。苦手と言うよりも、この環境アセスがしばしば事業工事の進捗に支障をきたすことが在ったからである。
加えて、土壌2mの置換と2.5mの盛り土は近隣地盤との取り付け・すり合わせに細かな部分では多大な工事上の労苦を伴うものなのである。
若し、地下コンクリート箱工事でも、石原知事の言うように問題ないのであるならば、都建築部局も民間コンサルタントさへもが最良の工法となってしまうのである。
こうして、誰が決定することもなく、地下コンクリート箱工法が進められてしまうのだ。
小池が8人やそこらの役人を血祭に挙げても「見せしめ」にもならない。
石原慎太郎元知事のド素人発言が真犯人なのであるから・・・。

豊洲市場騒動 石原元知事とゼネコンの責任 

2016-11-08 00:42:42 | 社会・経済
 小池百合子都知事は11月1日、豊洲市場建設に伴う盛り土がなかった問題で、当時の市場長で現副知事の中西充氏ら八人を懲戒処分とする指示を下した。
都特別検証チームの調査結果を踏まえたものだ。
『元市場長ら8人は、盛り土がないことを知り得た職務であり、責任があると認定される。』ということだ。
しかし、盛り土をしないで地下コンクリート箱を作る発案者は特定出来なかったとのことだ。
これは一回目の内部調査結果の際にも言われた『地下コンクリート箱案は空気で決められた。』とする小池知事のコメントと奇妙に軌を一にする内容だ。
この八人の中には副知事など現職の者が4人居る。
報道TVの前に現れた三人は異口同音に『盛り土はされていると思っていた』とか『何でこんな風になってしまったのか分からない』などとコメントしている。
組織のトップに居た人間が不見識な事を言っている、と思いの向きもあろうがイワン・アサノヴィッチは、たぶん彼らのコメント内容は、責任転嫁を意図するものではなく心底思っている本音だろうと理解している。
石原都知事(当時)が『専門家に聞いたら、地下コンクリート箱工法でも問題はなく、且つ工期も短くなり工事費も安くなる。』と記者会見した事が、この騒動のそもそもの原因のルーツなのである。
公務員は知事からの業務命令で勤務に従事することが原則である。
しかし、大きな自治体ともなれば知事の記者会見や議会答弁の内容も含めて大きな意味での“業務命令”と理解することは自然なことである。
また石原知事の地下コンクリート箱案は電光石火のように、建築ゼネコン企業に走った事は想像に難くない。各社営業サイドは「しめた!」と手を叩いたことだろう。
ほどなく、建築ゼネコンの都建設局建築部への営業攻勢は始められたと思われる。
『知事も盛り土ナシの地下コンクリート箱工法を提案しているから・・・』と名刺を配りながらの営業あるいは社長クラスの「ご挨拶」攻勢が建築部長から幹部職員そして実務担当技術職員に幾度も幾度も掛けられるのである。
都に出入りする(入札応募)企業の全社が掛ける営業攻勢は絨毯爆撃の様に繰り返され、いつしか都建築部の職員は上から下まで地下コンクリート箱案に洗脳されてしまうのである。
たぶん、地下コンクリート箱案の概略図面なども建築ゼネコン側から都の関係部署に渡っていた筈だ。やがて“試案(数社以上)”の図面は勝手に都庁内を駆け巡ることになるのである。縦割り組織だからこの図面は土木部には出回らないのである。
盛り土なしの工法決定をした者は、石原元知事と建築ゼネコンであると言っても過言ではあるまい。発案者は居なく、空気の様に決められていったのである。