イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

28回 「twitter」&フエースブック投稿集

2019-09-30 23:33:12 | 社会・経済
 「twitter」&フエースブック(2017年9月16日)
およそ馬鹿々々しい話だ。ヘイトする輩は「ヘイト材料」を探し回り、それを非難したりすると、「反日」だとまた騒ぐ。この地球は肌の色・言葉の違い・宗教の違いの在る人間が何処に住んでも良いと言うことになっている。それが嫌ならネトウヨや偏狭右翼は地球から出ていけ!ネトウヨのIPアドレスを調べれば、メール数の150分の1が実態です。

「twitter」&フエースブック(2017年9月14日)
加計学園問題、大学レベルには程遠いらしいです。やはりボロが出てきましたね。先に「政官財癒着ムラ」の互助会事業ありきだからなのです。教育効果なんて付けたしでアベ晋も加計氏も佐川財務局長も癒着ムラの住民ですから、「今だけカネだけ自分だけ」思考ですから日本国民なんて平気でコケにします。

「twitter」&フエースブック(2017年9月14日)
 スイスでさへ、国民皆兵だ!と喜ぶ偏狂な右翼と無知な保守。その防衛費は対GDP比で僅か0.8%。常備の軍隊は4千人。翻って日本の防衛費は5兆円を遥かに超し、装備はアメリカからの押し売りで交戦国しか持たないようなデラックス武装。

「twitter」&フエースブック(2017年9月12日)
絶対得票率が僅か18%の自民党が選挙制度の欠陥で「一強」という昨今。アベ晋はスッカリ好い気になって暴走の数々。しかし、都議選で観るように自民指示は急落。菅も開き直りの記者会見対応。今度は河野元議長から痛烈な安倍批判。暴走族、バカは死ななきゃ治らない。

「twitter」&フエースブック(2017年9月9日)
 安倍首相の周辺では、総理の側近中の側近である今井尚哉首相秘書官も、記者とのオフレコ懇談で<(安倍首相に)驕りが出てきたのは、総裁の任期が3期に延長が決まったところからだ>などと、安倍首相を批判している。さらに「日本版NSC」の谷内正太郎局長も辞任を願い出たという話が伝わっている。
 ここまで周囲の人物が次々に離れていくのは異常だ。政権末期の様相である。 (日刊ゲンダイ)より
「twitter」&フエースブック(2017年9月8日)
官僚は無能だと言うけれど、「今だけカネだけ自分だけ」の思考は強く自民党の有力者などにおもねり、出世して、庁内では閥をつくってまともな役人を抑え込んでいるから質が悪い。自民党や与党の連中はそこまでの認識はないから、直ぐにエサを与えてしまう。国民の期待を共同で裏切っている。【元・某県公共事業職場役人OB】

京アニ放火殺人事件 お門違いな犯人の逆恨み

2019-09-02 11:12:49 | 社会・経済
 7月28日、京都のアニメーション会社に41歳の男が侵入し、持参したガソリンを屋内と社員たちに振りかけ着火した。何と死者は35人に上った。
犯人自身も火傷を負い拘留されたが治療のため病院へ直行という事態になった。
犯人は警察官に拘留される際に「自分の小説が京アニにパクられた」と騒いでいたらしい。恰もその仕返しで放火したと言わんばかりである。
 亡くなられた35人の方々の殆どが20代から30代の若者だった。ご冥福をお祈りいたします。
イワン・アサノウィッチは知らなかったが、京アニ社の作品は優秀で多くのフアンが居て人気も高かったとの事である。
 社会学者の水無田 気流(みなした きりう:以下、水無田)氏が東京新聞(2019年8月27日)に「所属できない逆恨みか」と題する関連記事を投稿していたので読んでみた。
 水無田は「日本はいつの間にか無差別大量殺人が珍しくない国になってしまった」と指摘。そして、この5月に起きた川崎・登戸の殺傷事件、2008年の秋葉原通り魔事件、2016年の相模原障害者施設殺傷事件などの犯人に共通しているのは“所属のなさとそこから派生した孤立感である”と喝破している。
 そして水無田は推測の域を出ないが、犯人は京アニが織りなす世界観や、そのコミュニティの一員になりたかったのではないか。そしてそれが叶わなかったゆえの壮絶な「逆恨み」のように見えると結論している。
イワン・アサノヴィッチも同感・同意見だが、もひとつ犯人の置かれていた社会的状況への考察が抜けているように思えるのである。
即ち、「新自由主義」とかいう言葉が「自己責任」とタイアップして企業や役所世界に浸透してきた20年ぐらい前からの時期、様々な企業・役所・地域から庶民・勤労者の任意の横組織である「労働組合」「親睦会」「同窓会」「町内会」が落日のごとくに消え行ってしまったのである。
「格差はあって当たり前!」などと言う言葉も、時の首相が声高に喧伝し始めた頃である。男女差・学歴差・学閥差・地域差・etc  が蔓延している日本の企業や役所に尚一層の格差を持ち込まんとしたのである。
 人種種や言語・宗教・食べ物に至るまで異なる多人種・民族国家のアメリカにおいては、良し悪しは別として「格差はあって当たり前」なのであろう。
しかし日本においては、その言葉は当てはまらない。日本においては99%がモンゴロイド民族でコメを食い、言葉も漢字圏で宗教と言えばお釈迦様を何となくリスペクトしているのが殆どで、無論のこと宗教対立や宗教戦争など存在しない。
過剰な格差が国民の間の疎外感に繋がっている弊害を、真剣に考える時期に来たと思える。