イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

「歌謡曲は畑の労働歌:暖簾・五木ひろし」

2022-09-17 00:45:27 | 日記・エッセイ・コラム


「 暖簾の歌詞」  (歌:五木ひろし 作詞:永井龍雲 作曲:永井龍雲)
(1番の歌詞)
心にポツンと 寂しさの明りが灯る
やさしい人に逢いたい こんな夜には 温かな言葉に ふれたい
暖簾を潜って 立ち上る湯気の行方にも
ささやかな人生謳うものがある 明日を信じて生きたい
馬鹿な 生き方しか どうせできないけれど
お前らしくていいさと 今夜も 酒が笑う
 
この歌は最近、youtubeで、坂本冬美の歌唱で聞いた。坂本冬美の新曲だと思った。
暖簾を潜る・・などの行(くだり)は、まるで昭和の裏町酒場の風情である。
何で今頃になって昭和を歌うのかと少し疑問を持ったが、曲の魅力に魅かれて聞いていた。
その後、この歌のオリジナル歌手は五木ひろしであることを知った。そして発表された時期も平成に入って直ぐのことだったのである。まさに、昭和が終わった直後の時期だったのである。
波線の部分の歌詞に興味が轢かれた。
それは、私自身が某県庁職員時代に、共産系と言われた労働組合の役員経験を20年に亘ってしていたころに味わった悲哀と自嘲の気持ちが歌われている様な気持ちからだった。
 しかし、職場の少なからずの同僚たちは、口に出しては言わないが『イワン・アサノヴィッチは間違ったことをしていない!むしろ人事当局の思想による任用差別が問題だ。』と言って、目と心で私を励ましてくれていたのである。
 当局による任用差別に伴う在職中の給与差別と退職金ならびに年金への跳ね返り分の金額をトータルすると、その差額は概ね2千万円になる。しがないサラリーマンにとっては、2千万円は大きい! まさに「馬鹿な生き方」だったのかも知れない。
しかし、それに依って得たものは金額に代えがたいものが在った。
 それは、信念と正義に生きた自分に対する肯定であった。
子どもの頃、今でいうアニメで好きなキャラは鉄腕アトムだった。そして鞍馬天狗だった。この二人はたんなる正義漢ではなく、人類愛に生きた主人公だった。
馬鹿な生き方かも知れないが、斯くありたい!と思い私は生きてきたのである。

ドナルド・キーンの東京下町日記:日本兵の日記」を読んで

2021-01-17 12:30:13 | 日記・エッセイ・コラム
「ドナルド・キーンの東京下町日記」(東京新聞発行)を読んでいる。
氏はアメリカのコロンビア大学で日本文学を専攻し、嵩じて2012年に日本に帰化している。2019年に97歳で逝去。
 作中の小見出し「日本兵の日記」の項を読んでいるうちに、イワン・アサノウィッチは言い知れぬ・・嗚咽するような気分に襲われた。
氏は米国海軍の語学士官として、太平洋戦争における日米の激戦地を、任務で渡り歩いていた。日本兵の2万人が戦死したガタルカナルでは日本兵の遺体のポケットから日記帳を取り出し読んだことが記述されている。

その幾人かの日記の内容が下記のとおり書かれていたと言う。
 「今なにをしている事か、父母よ兄妹よ 永遠に幸あれ」
 「昨晩は楽しい故郷の夢を見マスタ 皆んな元気で暮ラシテイルトコロデスタヨ」
 「腹が空いてなんだか さっぱり分からぬ・・」
 「顔が青くなり やせるばかり・・」
 「妻よ子供よ!いつ迄も 父帰る日を待っていてくれ」

上記の日記の叙述は、仮にイワン・アサノウィッチが当事者であったとしても、間違いなく同じ記述をしたに違いない。
氏は、あの日記を読まなければ、『私は日本の日記文学に深い関心を持たなかったかも知れない』と言っている。そして日記を書いた日本兵には会えるはずもなかったが、彼らは私に心を開いて語ってくれた初めての日本人であったと言い、加えて掛け替えのない親友だったのであるとまで言っている。
 
 人種差別の無い、氏の人類愛とも言うべき精神性に深く敬愛の念を抱かずにはいられない。かかる人格の持ち主であるからこそ、アメリカ人で大学教授という上流階級の身でありながら、氏は敢えて国籍を日本に変更したものと推慮できる。
関連して、もひとつイワン・アサノウィッチの心に或る信念が生まれた。
戦前の軍国主義が覆い尽くした日本の世の中で、それも激戦地のただなかで、日本兵の心の奥底にはまごう事なく「平和で懐かしい故郷の家族や兄弟・妻や子に対する思慕の念」が書かれており、軍国主義者らが宣う「忠君愛国」だとか「鬼畜米英」「一億玉砕」などと言う欺瞞的で且つ非人道的な言葉は見当たらない。
翻って平成・令和の世、血迷った輩が未だに戦前回帰を画策し憲法改悪を企んでいることには、怯むことなく強い警戒と打破をもって臨まねばならない。


寂寞を感じる日々・・、それが幸せ?

2020-10-11 13:28:53 | 日記・エッセイ・コラム
 (原稿は2020年01月28日のもの)
 昨秋10月下旬には夏日・真夏日が登場して本格的な秋の登場が遅れた。
しかし、暖冬気味とは言え、12月に入るや否や急に涼しくなり一気に冬入りとなった。
夏の開放的な雰囲気から寒さに身構えるような雰囲気に、急ぎ足で変わってしまったのである。
そんな季節の変化に戸惑いを感じながらの日々から、一種の寂寞感が生まれて来るのかも知れない。 この冬は例年になく、精神的あるいは心理的な寂寞を感じる日々が多い。「歳のせいなのかな?」と脈絡なく思ったりもしている。
大きな悩み事が一方で存在する時などに、目の前の出来事には関係なく心の奥底に蟠(わだかま)る不安感みたような心理が持続的に私の心を離れないのである。
結婚直後は核家族で共働きの家庭環境であった。若いそのころは、勤務と子育てと労組の役員活動に365日休みなく翻弄されながらの生活だった。当然ながら勤務に忙殺されつつ労組運動の活動上の様々な課題やもめ事、あるいは子育ての悩み事etcを常に心に宿していた。従ってその頃は安堵感にドップリと浸る生活の日々などは殆どあり得なかったのである。否むしろ常に何かしらの不安を持ちながら、あるいは感じながらの生活だったと言っても過言ではなかったのである。思い起こせばそれが当たり前の365日だったのである。
3年前に娘のK子の結婚で我が家には、夫婦以外の家族が日々に出入りするようなことは終ぞ無くなってしまった。 すでに男二人の子供は結婚して独立生計を営んでいる。加えて可愛い孫たちも授かっている。
結婚して3人の子を出産、家族が5人に増えて40年余。我が家には夫婦以外の家族が当然ながら常に出入りしていたし、それが当たり前で日常のことだったが、K子の結婚に伴って40年余続いた当たり前の事が突然に消失してしまったのである。とうとう三人の子供たち全員が、結婚独立して我が家を離れてしまったのである。その日から・・40年余り続いた夫婦以外の家族の出入りが当然ながら完全に消失してしまったのである。
やはり、親としては子供たちの独立が原因で、今は寂寞感・寂寥感と言うものを抱かされる身となってしまったのかも知れない。そして親としては甚だ寂しいことではあるが、世代交代という意味からすれば、この事態をむしろ喜んで迎えなければならない事なのであろうとも思う。我々夫婦の両親も既に他界し、尚そして、やっと手に入れた夫婦二人だけの、贅沢は出来ないが「何の不安も無い生活」という日々こそ歓迎しなければならない・・。それが人生の晩年に突入した人間の宿命なのであろうと考える。
・・そう考えれば、この寂寞感の日々の生活も当然ながら甘受しなければならないのである。そして今は、そのことが”幸せ者”の証なのだと言う自覚をする必要が在るの
かも知れない。

第35回 「twitter」&フエースブック投稿集

2020-09-19 10:34:24 | 日記・エッセイ・コラム
「twitter」&フエースブック(2017年10月31日)
リツイートしました。
やっぱりか!さすが、「福祉と平和の党」の公明党の昔の立派な姿を見せてくれました。今回の総選挙で公明党は議席を減らしました。少数でしょうけれど、こういう聡明な創価学会員戦士が居るのですね。Good!です。

「twitter」&フエースブック(2017年11月3日)
「政官財癒着ムラ」の連中は、いつも「今だけカネだけ自分だけ」と言う思想で動く。 性欲摩の山口敬之の犯罪を許さず、国民みんなで巨悪を成敗しましょう!

「twitter」&フエースブック(2017年10月31日)
アベ晋は北朝鮮の金正恩より質が悪い。警察が逮捕しようとしたレイプ摩のオトモダチ・山口敬之を無罪放免にしてしまった。 遠山の金さんが、あの世で嘆いている。アベ晋は行政のトップであり、司法・立法の長なんかではない筈だ。アベ晋の暴走を観ていると、ほんとに日本が壊れていくようだ。


ファシズムの初期症候 ローレンスブリット   (2017年 10月23日)
強情なナショナリズム
人権の軽視
団結のための敵国づくり
軍事の優先
性差別の横行
マスメデイアのコントロール
国家の治安に対する執着
宗教と政治の癒着
企業の保護
労働者の抑圧
学問と芸術の軽視
犯罪の厳罰化への執着
みびいきの横行と不敗
不正な選挙

同調せず違って良い 玄侑宗久師

2019-10-09 22:19:19 | 日記・エッセイ・コラム
 東京新聞(2019年10月5日)の記事、「令和 多様性の時代に」を読んだ。芥川賞作家で僧侶の玄侑宗久師の一文だが感慨深く読んだ。
現役時代に、この言葉に似た反意語とでも言うべき「協調性」なる言葉が、軽々に職場の管理職者たちに寄って口にされていたからである。
 玄侑宗久師は『会社ではノルマの達成が至上命題で同調圧力に逆らえない。上からこれが正しいのだと与えられ、何も考えずに真似をするのは楽だ。そして全体主義がどんどん進む。そしてモノカルチャー(単一)化している。コミニュケーションは違うものに出会うことなのに、同調することだと思われている。』
40年前に入庁した公共事業の元職では、大げさな表現になるが政官業癒着が当たり前の状況であった。イワン・アサノウィッチは技術職で、担当業務は土地改良事業の工事を設計・積算をして発注し且つ工事現場の施工管理を行い竣工させて地元の土地改良区や農家に引き渡しをすることが業務内容だった。
今でも大して変わらないと言われそうだが、当時は政官業癒着ムラの存在は某県庁内の公共事業職場では当たり前のことであり、例えば発注工事の設計額は入札前から完全にゼネコン業者に漏れていて、談合も100%行われていたから入札通知をすると程なく業者の社長ないしは営業関係者が名刺を持って挨拶にくるのである。
『この度の工事は手前の方で頂くことになりましたので宜しくお願いいたします。』
入札も済んでいないのに、まるで契約者然とした態度であった。
その後の現場説明会や入札執行日は文字通りの儀式に過ぎず、また発注者側も当然視していた。当然ながら落札額は予定価格に対して殆どが99%以上であった。
それで「地元の経済が回って行くのであれば、それも有りか・・・」
 そこまではイワン・アサノウィッチも我慢できたのであるが、付随した話が続くのである。すなわち官と業の担当者レベルの癒着である。工事現場では厚い・寒いと言えば工事担当者と業者側の担当者は終業前から早々に料亭に引きこもり、業者持ちの一杯会が始まるのである。午前中の現場立ち合いであれば、昼食は業者持ちとなる。
盆暮の送り届けは度を越した金額の品物が一流デパートから送られて来る。
 イワン・アサノウィッチは、そんな悪習が嫌でたまらなかった。労組と相談して一切の悪弊を絶とうとして有志と共に立ち上がったが、ある管理職は業者との付き合いは「神聖なものである」と気色ばっていた。また好き者は隠れて業者との付き合いを続けていたりした。只酒・盆暮れの付け届け・歓楽街のトルコ代・etc。
そして、そんな時に「イワン・アサノウィッチは協調性が無い」と非難された。即ち皆ながやっていることなんだから「同調しろ」という圧力を掛けてくるのであった。
其のころから、県政与党の幹部にイワン・アサノウィッチは睨まれ、定年まで人事差別を受けるようになった。