イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

柳橋物語(前進座公演)を観て、フクイチに・・

2019-02-18 00:03:13 | 演劇
 山本周五郎原作の柳橋物語(前進座公演)を観た。
考えてみたら、まともに山本周五郎原作の出し物に触れた事は、私にとっては初めてになる。
演劇鑑賞サークルに入って間もなく30年が経とうとしているが、“時代”なのかも知れない、いつしか芝居と言えばドタバタ劇・・・だとする感覚が私の頭を支配していた。
柳橋物語は3時間近い長い芝居である。実は途中の休憩時間の時は妙な疲労感が在って、「後半を観ないで帰ろうかな・・」などと考えていたりもしていたのである。
 劇中のヒロインおせんは、江戸の大火で、たった一人の家族である祖父を亡くす。おせんはそして逃げ惑う街なかで泣き叫ぶ赤ん坊を拾い、それからはお締めの代え方の一つも知らないのに、我が子のように育て始める。
 柳橋界隈の住民におせんが、「おじさん・おばさん」と呼んで親しむ夫婦が居た。日常生活の諸々に、恰も実の叔父・叔母のように、おせんの面倒を見てくれた二人であったが、大雨の洪水でその二人を亡くしてしまう。
それでもおせんは独り身で、慣れない赤ん坊の面倒を見ながら健気に生きて行く。しかし、それでも不幸はおせんを未だ逃しはしなかった。夫婦になることを誓いあった庄吉は上方での修業から戻り、おせんが抱く赤ん坊を見て驚き、別の男がいるものと勘違いをして「おいらを待っていてくれなかったのか!」と怒り涙しておせんの下(モト)を去って行く。
過って、おせんが仄かに好意を寄せていた幸太も既に事故で他界してしまっている。天涯孤独のおせんは腕の中の赤ん坊・幸太郎と共に明日を生きていくのである。

 山本周五郎の作風はどれも、歴史上の英雄やヒーロー・ヒロインに焦点を当てた人物を主人公にして、なお且つ高らかに描くということをしていない。
世の中の片隅で不運や悲劇に遭いながらもひた向きに健気に生きて行く、あるいは生きて行こうとする人間を淡々と描いているものが多い。
 今回、前進座がそんな「柳橋物語」の公演を続けているのは、きっとフクイチ原発事故に見舞われた人々の心に寄り添い、そんな過酷な事故の後でも生きて行こうとする人々へのエールと共感の意を表したかったからであろうと、イワン・アサノヴィッチは勝手ながらだが推測した。
 
 イワン・アサノヴィッチは上海で生まれ、敗戦と同時に両親と共に引き上げてきた。家も土地も家具も服も現金も通帳も一切取り上げられての帰国だった。しかし、戦後の混乱期に三人の子を無事に育て上げた両親の姿と、おせんの健気に々々に生きる姿がダブった事は言うまでもない。

芝居の「集金旅行 (井伏鱒二作)」 を観て

2016-07-24 16:19:08 | 演劇
 演劇鑑賞サークル例会の「集金旅行(劇団民芸)」を観ました。
この作品は井伏鱒二の原作だったので必ず観ると以前から狙っていました。
思い通りの観劇( 感激 (-_-;) )でした。

永くゆるい時間の流れの中に、我々にもよくあるような心理をヒョイと垣間見せてくれるそんな作品でした。
フツーの会話や仕草・出来事が心の奥にスッと溶け込んでくるものが旨く散りばめられていた芝居でもありました。

日常生活でとかく忙しく暮らしていると、私たちの会話も実務的な趣になりがちです。
はるか昔、何気なく通り過ぎてしまったけれど、あの時の友人との会話の真の意味合いが、「ああ!そうだったのか・・」と数十年経ってから理解出来たりする事があります。
子どもの頃に父親から指摘された一言が当時は大した事ではないように思えたのですが、いま自分が父親の歳になってみた時に全く同じ言葉を息子たちに無意識のうちに言っている自分に気づきハッとさせられたりするのです。

集金人が着ていた古い背広は家賃をためて払わずに出て行った男が忘れていったものでした。
『その背広、それオレのだよ!』
集金人は最初から盗む悪意が在った訳では無いけれど、所有関係をちょっと曖昧にしていたが為に、最悪の事態では無いが、心理的には芳しくない事態を招いてしまう。こんなことって仕事上の事でも、生活上の事でもよくあることですよね。
ちょっと冷や汗をかいちゃったけれど、いま思えば自分のものでもない背広なんか着て来なければよかった、と内心反省するのですね。

その意味では、この芝居は決して数奇な「集金旅行」ではなく、日常の中で湧いては消え起きては消える、フツーの人たちの「人生営為」への見つめ直しなのです。
そうですね!我々も自分探しなんて言う重い言葉では表現仕切れない、謂わば、自分の人生の中にある借金を集金でも良いし返金でも良いからしてみたい。
そんな気持ちにさせられた芝居でした。
樫山文枝が好演していました。

ハイ!奥田製作所です。を観て

2015-04-22 13:31:24 | 演劇
 イワン・アサノヴィッチは演劇サークル「おきく」の発会当時からの古参会員です。
昨夜、観た「ハイ!奥田製作所です。」の感想文を劇団の関係者のHPにコメントしました。以下、お読みください。

拝啓、劇団銅鑼さま。
大して期待をしていなかった出し物だったのですが、いまは観て良かったと思っています。
期待して居なかった理由は、どうせベタベタした人情モノだろうという予断があったからです。
私も小学生時代は江戸川で暮らしていました。そこには、今では無くなってしまった、無い者どうしの助け合いの精神・人情がありました。
ある日、学校の父兄参観に現れた母がシャナリと和服でめかし込んでいたのです。小学生と言へど、そんなよそ行きの服など家にはある筈も無いと識っていた私は仰天しました。母の後日談で、羽織から草履に至るまで隣近所から借り集めて急遽のめかし込みだったのです。

登場人物が大勢だったのも良かったです。お陰で役名も役柄も混同して覚え切れませんでしたが。(笑い) 
いろんな人間がぶつかり合い、仲直りし、喧嘩をしながら相互の理解を深め合う。これは人間社会の当たり前の営為だと思うからです。いまは、喧嘩になったら直ぐに出刃包丁になってしまう情況です。
成果主義だ!競争社会だ!と言って、今の社会は過剰な人間社会の分断と信頼関係の崩壊現象が進められています。そして、敗者は「自己責任」として処理されてしまう。
過日も「幸せそうで癪に障った」と言って、歩道に居た親子を車ではねた男が居ました。一度、敗者になったら浮かび上がれない社会。これが”竹中小僧”の言う「新自由主義社会」の本質なのかも知れません。
文芸が古来より為政者に嫌われた理由も、こんな社会のシステムに抗して啓発行脚に勤しむからだったのでしょう。
説教臭くない芝居を今後も続けてください。期待しています。
昨夜、千葉で観劇した者です。

宝塚BOYS 熱き夢・儚い夢

2013-10-26 02:02:40 | 演劇
  

 9月18日は、千葉の演劇鑑賞会の例会日でした。

今日の演目は「宝塚BOYS」です。上演時間は3時間だと聞いてイワン・アサノヴィッチは少しウンザリしました。

と言うのは、イワン・アサノヴィッチはミュージカルの類いは余り好きでありません。
上演終了後にサークル仲間と一杯やるのが楽しみで、半ばイヤイヤ観劇しました。

よく言われる、余談・偏見・先入観というものです。観る前にウンザリしてしまうのですから。

演目プログラムには「かって宝塚歌劇団に男子部が存在した! 懸命に頑張った男達の実話を基にした青春グラフィテイ!!」という言葉が踊っていました。

終戦直後の昭和20年秋、幼い頃から宝塚の舞台に憧れていた青年が、宝塚歌劇団創始者の小林一三に直訴し宝塚に男性登用を訴えました。

小林一三自身も、宝塚に男子部を編成して国民劇にして行く考えがあり、早速に第一期生が創設されましたが、劇団内や観客からは反対の声が強く前途多難な出発となった訳です。

男子部担当の教官・池田和也が面白い。じつはイワン・アサノヴィッチの現役時代の上司にそっくりな人物で優柔不断、お人好し、決められないという人間なのです。
心なしか顔や声まで似ているようにも思えました。

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 『宝塚は“清く正しく美しく”がモットーだ。女子生徒と口を効いてはいかん!』
『訓練期間は2年だが実力が認められれば仕事を与える。』
と池田教官は発破を掛けるのです。

男子部のメンバーはいつの日か大舞台に立てることを信じ、厳しいレッスンに励む。
しかし、月日は流れても男子部反対の声は強くなりこそすれ弱まることはなかった。

そんなある日、宝塚男女合同公演の計画が持ち上がった。喜びに沸く彼らだったがぬか喜び、結局はご破算の憂き目にあってしまう。

劇団と男子部の間に挟まったお人好しの池田教官が男子部メンバーの熱い夢と劇団の固く冷たい対応に翻弄される姿が哀しくもあり滑稽でもありました。

イワン・アサノヴィッチは、とある昔の上司を想い浮かべながら観劇していました。
男子部解散が決定され、メンバーの夢は儚(はかな)く消えました。儚い夢ほど、じつは熱い夢だったのです。

ラスト、男子部メンバーのレヴィユー“リラの花咲くころ”は艶やかな中にも哀調切々とした心の訴えがありました。

イワン・アサノヴィッチは3時間前の「余談・偏見・先入観」そっちのけで、男子部の”熱くも儚い夢”の饗宴に大きな拍手をしていました。


芝居「天切り松」・振り袖お紺の不思議

2013-03-07 11:10:13 | 演劇

  原作は浅田次郎の「天切り松 闇がたり」で、今回はすまけいが演じた。以前に左とんぺいがミュージカルで演じたがイワン・アサノヴィッチは観そこなった。
 

物語は大正時代の帝都東京を舞台にした義賊・天切り松が語る、山県有朋の最晩年に起きた、義賊一味・振り袖おこんとの縁話しとでも言うのだろうか。

 

観劇の後は観賞サークル仲間と一杯やりながら蘊蓄(うんちく)を重ねるのが定番だ。 この日は古くからの会員カズさんと二人だけの一杯会だが、それだけにアレコレと濃い話しとなる。

開口一番カズさんは『やっぱり人間の最後は地位やカネじゃないってことだね。』とタメ息まじりで改めて納得した口調で切り出した。イワン・アサノヴィッチも全く同感だと相槌を打った。
 

山県有朋は長州藩の下級武士でありながら、“槍の小輔“と異名をとる武勲を立てつつ、明治維新の時代の流れの中で大出世。内閣総理大臣・元帥陸軍大将・枢密院議長・貴族院議員と政治・軍・議会のトップを総なめにした人物だ。

文字通り富と地位は十分に手に入れた筈の人間でありながら、有朋の晩年は或る迷いが頭をよぎって離れない。

東京の花火が涼気を漂わす夏の夜、形の綺麗な白い顎が夜陰に浮かぶ女がひとり、モサ(スリ)こと振り袖おこんだ。有朋は恩寵の金時計をおこんのゲンマエ(正面から懐の金品を堂々と抜き取る)で盗まれた挙げ句に河に投げ込まれてしまう。

おこんを捉えて詰問をして行く中で、義賊・おこんの気っ風と有朋が忘れ去った価値観の突きつけに圧倒される。

『おまえに惚れた』と言って、渡したくはなかった家宝の槍をおこんに持たせる。

厳かな有朋の葬儀の列の前に突然おこんが現れる。有朋から頂いた家宝の槍を納棺してくれと懇願する。棺に納められた槍と有朋を見送るおこんは激しく感涙する。
 

晩年の有朋が最後まで家宝と称し、手放さなかった”槍の小輔“を渋々ながらおこんに渡すのだが、おこんにとっては何の価値も無い槍の一本が謎の行動。

栄達を極めた有朋は地位や富が必ずしも人間を幸福にしてはくれないことを識り、槍とともに夢と希望に燃えながら精進・鍛錬した頃の心の充実が至福の宝と認識していた。

有朋にとって一本の槍は若かりし頃の心の充実を果たした情操であると同時に、世の栄達を欲しいままにしたツールでもあったのである。

おこんは有朋から槍を強引に貰い受けると同時に”栄達“に汚れた有朋の身体を一旦は丸裸にする。しかし、出棺の折には”情操“としての槍を有朋に還す。

おこんは、有朋の分身だったのだろうか。