イワン・アサノヴィッチの一日  畑と映画の好きな卒サラ男。

政官業癒着体質の某公共事業職場を定年退職。鞍馬天狗・鉄腕アトムの人類愛に未だに影響を受けっ放し。孫には目がない。(笑い)

台車亀裂は事業の危機 JR西・社長が訓示

2018-01-27 18:10:35 | 社会・経済
 昨年の12月、新幹線のぞみの台車に破断寸前の亀裂が生じるトラブルが発生した。現場社員や司令員が多くの異変を認識していたものの、運行停止の判断を他人まかせにしていた実態が浮き彫りとなった。(東京新聞 2018年1月4日報)

 イワン・アサノヴィッチはJR西日本の来島達夫社長の訓示の言葉に感動した。(イワン・アサノヴィッチが大企業の社長の訓示などに感動するなんて超めずらしい!なんて茶化す人も居るだろう。・・が暫し待たれん!)
 4日、JR西日本の社長の来島達夫氏は幹部社員(430名)を集めて年頭の訓示を述べた。来島氏は 『お客様の命を預かる鉄道事業者として引き続き認めて貰えるかどうか、今その瀬戸際にある。きわめて大きな危機に直面している。』 と述べたのである。そしてJR尼崎線脱線事故の後に策定した 「判断に迷った時は、最も安全と認められる行動を執らなければならない。」 とする安全憲章を全員で唱和したとのこと。
聴かせる一方ではなく、頭に入れたものを自身で口頭の音声で反復させて、認識の度合いを深めさせているのだろうか。唱和させることも名案だと思った。
そして、来島達夫氏の締めくくりの言葉が光っていた。即ち
『現場の判断を最優先し、その判断は社長である私の判断であるという価値観を共有したい 』 と力を込めたとのことである。
イワン・アサノヴィッチは関東の某県庁職員だった。
37年間、公共事業の業務に携わった技術系職員で、県内の広範な出先・地域で様ざまな事業業務を担当し、9年前に定年退職した者である。
現場ではマニュアル化された「指針」や「基準」では全く通用しない事案が日々に且つ幾多も現出するのである。

 原発のフクイチ事故の記憶は未だ真新しく残っているかと思うが当時、東電本社は判断指揮能力を喪失し、現場・福島第一原発の所長判断で、失われた真水の冷却水に代えて海水を利用して炉の冷却を達成し、原発の二次被害の発生を防いだ話はつとに有名なことである。海水注入をすると炉が再利用できなくなる事に本社は躊躇していた。
 現今の日本の社会は役所のみならず民間企業に至るまでが、いわゆる「官僚主義化」してしまっている。いざと言う時に機能不全となる「本庁主義・本社主義」が横行し、現地・現場・前線の自主的な判断を禁止あるいは疎外をしているのである。
 来島達夫氏の訓示は見事に、いま日本中の官民の組織が陥っている本社・本庁主義の打破を具体的な事例で説明し、現場・前線の自主的判断を優先するという意識の変革を訓示したものであると言える。

歌謡曲は畑の労働歌 山の吊橋

2018-01-07 00:21:55 | 日記・エッセイ・コラム
 山の吊橋ア どなたが通る 
せがれ亡くした 鉄砲撃ちが
話し相手の 犬連れて
熊のオヤジを 土産にすると
鉄砲ひと撫で して通る
ホレ ユーラユラ

山の吊橋ア どなたが通る
遠い都へ 離れた人を
そっと忍びに むら娘
谷の瀬音が 心にしむか
涙ひとふき して通る
ホレ ユーラユラ

山の吊橋ア どなたが通る
酒が切れたか 背中を丸め
のんべエ炭焼き 急ぎ足
月をたよりに 枯れ葉のように
くしゃみ続けて して通る
ホレ ユーラユラ
 
 この歌詞は1959年発表された春日八郎のヒット曲 「山の吊橋」である。
イワン・アサノヴィッチが中学2年生の時の頃である。あれから60年が経過しようとしているが、未だに歌の人気には根強いものがある。
このころの歌謡曲・演歌は抒情的なものが多く、世相はと言えば終戦後まもない社会は、貧しい中にも明日を信じて庶民国民が手を携え共に頑張って生きて行こう!とするスタンスが在り、そんな歌謡曲が流行っていたように思える。
そして、歌の内容はと言えばご覧のとおり短い誌ではあるが、猟師・村娘・炭焼きらがそれぞれの人生を生きていく過程の中で、山の吊り橋というワンシーンではあるが、倅を亡くした・恋人と会えない・酒を切らした者たちが、満たされない情況の中で垣間見せる喜怒哀楽を端的に捉えて歌いあげている曲である。
想像力豊かな脚本家であれば、韻を捉えたオムニバス風のドラマをこの一曲の歌で創り上げることが出来るのではないか・・・などと要らぬ事を考えたりしてしまった。