9月20日、「闇の北九州市方式」なる言葉をTV(pm2:30、4ch放送)で初めて知った。生活保護を受けていた男性(享年52歳)が保護を打ち切られ『オニギリが食べたい』という日記を残して餓死した事件を取材したものだ。
【いま、生活保護は増加の一途をたどり、受給世帯数がこの10年で1.7倍に増加した。それにもかかわらず、大都市の中で唯一、生活保護の受給率を減少させている都市がある。北九州市だ。なぜなのか。取材で明らかになった、
生活困窮者になかなか申請書を渡そうとしない、受給者に半ば強制的に受給辞退をさせるという市の「水際作戦」。それを裏付ける内部の「数値目標」。】
(【 】内いは gmtul at hotmail.co.jp より一部転載)
私の身近な自治体も昨年度から、かなり妖しい「成果主義」なるものを導入した。詰まる話しが職員個々は1年ごとの「数値目標」を担当する業務に持たされるのである。そしてその達成度で評価され、昇給・昇任・昇進に反映されるのである。
従って職員の目は、行政コスト縮減=予算削減に否応なく向かわざるを得なくなる。事実、当局・管理職者は年度始めにその種の計画書の提出を求める。5年~10年の大計に立った公務行政のビジョンに基づいた計画書を提出した職員に向かって『きみの計画書は理想論、年度末にはマイナス評価をせざるを得ない』と管理職者は言った。
そもそも公共の福祉という公務に成果主義(=数値目標)は馴染まないのではなかろうか。即ち、北九州市のように役所にとっては、仕事をしない(=予算を使わない)ことが”成果”になるからである。