鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

たれゆくままに:未政ひかる・著

2009-12-19 21:03:17 | Weblog
よく晴れて、氷のように冷たい風が吹く土曜日。


昨日の夜から、何をするのでもないのだけれど、早く寝なくては・・・なんて思いながら、それでも、だらだらしてしまい、寝ついたのが午前3時をすぎてしまいました。

今週は、なんだか、よく眠れず・・・というよりは、就寝時間が、ずるずるとズレ込んで、下手すると深夜の2時だの3時だのになっていて、昼間(ワタシの場合、もう午前11時くらいから)眠気に襲われ、生彩の欠いた1週間となってしまいました。

少し寝ておくか・・・と思い、今日は一日中・・・床の中で、だらだら・・・(週末は、大抵、このパターンですが・・・)。

隣に住む姪どもが、ワタシを指差し、
『たれぱんだ・・・。』
と言うようになってしまいました。

きっかけは、1冊の絵本。
未政ひかるさんが、お描きになって、一世を風靡したあのキャラクター『たれぱんだ』。
奥付けをみると2001年の発行。もう8年以上も前に上梓された本のようです。

淡い色彩で、精密な画風の中に、何故か、単純な曲線で構成された『たれぱんだ』。
優しい色使いと美しい風景。
いつものように、部屋で、たれまくっているうちに、外の世界へ転がりおちて、たれゆくままに、いろいろな場所へ、流されていく一大スペクタクル???さすらいの旅路ロマン????
・・・行き倒れ寸前に、もとの同居人のもとへ、戻ることができて、また日常のたれまくり・・・が始まるという目出度い?ラスト。

たれぱんだには、ひとことのセリフもありません。
表情も変わらない・・・
なのに、物語の展開は、スピーディ。

・・・これは、一種、能楽的な何かに通じるものがあるような・・・ないような・・・。

こういうキャラクターだと思っていなかったし、知らない世界でした。

以前、この手のキャラクターは、苦手(詳細は、拙ブログ2008年11月4日『鞄の中にリラックマ』などご参照くださいませ)だと書きましたが、奥が深いですね。

これを姪どもから読まされた家人一言。

『アンタ(わたくし、三毛猫堂のことです)を彷彿とさせる。未来は、行き倒れだね・・・!』

ワタクシ・・・この先、行き倒れでしょうか・・・???

『非』日常③

2009-12-17 21:02:11 | Weblog
穏やかに晴れた一日。風は、冷たい・・・。

一昨日から続いております。

お役所なのに、あまりに簡単すぎるくらい簡単すぎた納税証明書の発行手続きにメン喰らいながらも、まぁ・・・取りあえず、コレで車検は、通せるし・・・と、安堵しながら、来た道を戻りながら、今日のもうひとつのお仕事・・・コート4枚とジャケット2枚、カーディガン1枚をクリーニング店に持ち込むという『ミッション???』が、残されております。

今年の春頃から、早く、クリーニングに出さねば・・・と思っていた冬モノが、とうとう冬を迎えてしまい、やっぱり・・・一度、洗っとかんと・・・と思いつつ、暖冬に流されておりました。

去年は、10月の中頃、クリーニング店に行ったきりだから・・・(詳細は、2008年10月23日の拙ブログ『水くぐる衣②』をご参照下さい)。

激安クリーニング店の仕上がりに問題は、なかったものの・・・なんだか、一部、色落ちしたような気がして(・・・あくまでも、そんな気がする訳です)。

それなので、去年は、改装中だった某ショッピングセンターの入口付近にある自動ドアが開いて、お客さんが入ってくるたびに、隙間風ビュービューのいつもの店舗へ出すことにしました。

私は、クリーニング店が苦手です・・・。
なぜかというと、ワタシが持ち込む洋服は、大抵、埃まみれになって、何シーズンか越しているので、恥ずかしいからです。そんなことになる前に、きちんとしておこうと思うのですが、どうも、上手くいきません。
せめて、来年は、春が終わるまでに、一応、冬物をきちんと手入れできるようにしたいと・・・切に願っているのですが・・・。

・・・とまぁ・・・結構、大変な一日でした。

このあと、更に、歯科医院へ歯の治療ってことで、一度、自宅に戻り、運転して疲れたので、ケーキを買って帰って(歯科医院へ行くと、帰りが遅くなるので、夕方に少し食べておけば、多少、夕食が遅れても、お腹は、もつだろうと思ったのです)、歯科医院へ行く時間まで、平日では、考えられない時間に、ケーキを食べて、ゆるゆる・だらだらと『非』日常を過ごした訳です。

でも・・・案外、疲れるものですね・・・『非』日常って。

『非』日常②

2009-12-16 21:03:10 | Weblog
くもりがちで、寒い一日。

昨日は、平日の15日だったので、所謂、五十日(ごとうび)で、道路も結構混雑していました。
おまけに、官公庁は、ボーナス支給日だから、銀行のATMの前は、長蛇の列。

明るい光の中、平日、昼間のドライヴ。
事務職の会社員にとっては、本当に、『非』日常的な行動。

このところ、コレばっかり・・・のCDをかけ流し、山?に向うカンジで、ドライヴ。
平日、こういうドライヴもいいもんだな・・・。

山と言っても、標高はそれ程じゃないので、雪は、まだだけれど、遠くの高い山は、もう山頂が雪。

納税事務所のあるT市は、所謂、城下町だったようで、道路が極端に狭く、曲がりくねっていて、走りづらいったらありゃしない・・・。

この辺は、以前、講習で、週2日、3ヶ月ほど、通った道なのだけれども・・・。
納税事務所は、記憶にない・・・。
税務署は、わかるんだけれども。
一応、地図をプリントしてきたから、多分、税務署の近所というか、並びだったと思うけれど。

一度、看板を見逃して、向かいの建物は、第二庁舎って案内を発見。
通り過ぎてしまった・・・!第二庁舎の駐車場で、Uターンして、目的の第一庁舎(・・・ってことで、いいのか?)へ。

お役所って、いろいろ手続きが面倒だし、きっと待たされるね・・・。
そう見越して、カバンの中には、ウォークマンを装備して、イザ、納税証明書の再交付・・・。
入口の業務レイアウト図を見ると、玄関を入って、少し行ったところみたい・・・。

(およよっ!・・・何故か、誰もいない・・・?)

受付の小柄なマスクのお兄さんに、
『納税証明書を失くしてしまったので・・・』
と言ったら、即
『車検ですか~?ご自身の車ですか?』
と聞かれ、用紙に、住所と名前を書いて、免許証を見せて、待つこと2分。

レシートみたいな紙を渡され、
『これで、車検通せますからね。』

はい・・・。コレでお終い・・・。

こんなに簡単に発行してくれるのって、やっぱ、納税者だから・・・???

(明日につづきます)

『非』日常

2009-12-15 21:03:17 | Weblog
晴れたり、曇ったり、寒い一日。

自動車の車検が今月で切れる・・・という訳で、一昨日の日曜日、ディーラーまで、足を運んだのだけども・・・。
車検証と一緒に入れておいた(・・・つもり)の納税証明書が、ない・・・!!!
去年のは、しっかり、あるのに・・・?何故にない・・・。

ディーラの受付おねえさん:『納税証明書がないと車検できないんですよね~。』

ワタシ:『そうですよね~~~・・・。後日、改めて、車検の予約の電話いれさせてもらいます。』

はぁ・・・(ため息)。

家人から、
『アンタが、公的書類を紛失するって、珍しいね・・・。こんなこと今までなかったのにね・・・。』
と言われ・・・。

インターネットで、県庁の出先機関の納税事務所を調べるものの・・・。

『人口は、我が居住地の方が、大多数なのに、何故に、隣の市にしか納税事務所がないんでしょうかねぇ・・・。』

仕方がない・・・これも、きちんと保管しておかなかった我が身が悪い・・・。

そんなこんなで、本日は、半休を取って、隣街の納税事務所まで、昼間のドライヴ・・・。

そう言えば・・・このところ、昼間から、遠出(・・・っていっても片道30分前後ですが・・・日頃、半径4キロ前後の会社周辺とスーパーと銀行くらいしか行かないので・・・)ってしていなかったな・・・。

ドライブすると言えば、会社が終わってからだもんなぁ・・・。
真っ暗だし・・・。
昼間見る光景は、まるで違います。

この時間だと今頃、会社で、あの仕事やってる頃だな・・・。

ホント・・・ワタシ、会社中心に生きているのだと改めて認識した『非』日常的な今日でした。

(明日に続きます)

『ガングリオン』発生・・・。

2009-12-14 21:09:13 | Weblog
くもりがち。寒い月曜日。


右手・人差し指・第二関節付近に、ヤツは発生した。
名前だけ聞くと、かなりビビる。

今日の画像:『ガングリオン』

もしかすると、悪性腫瘍の一種か・・・と思わせるくらいインパクトのある名前だが、名前だけである。
圧迫すると少し痛みがあるが、自分から、痛みを発することはないので、大人しいといえば、大人しいヤツなのである。

コイツは、不意に発生する。
寝る前には、気がつかなかったのに、よく朝、ぽっこり顔を出す。
しかも、静脈と同じ色だから、不気味だ・・・。

コイツを動かすと関節付近を上下左右360度・・・結構、自由自在に動くので、面白い。
モトの場所から、10mmくらいは、軽く移動できる。

意外と固くて、軟骨っぽいが、中は、ゼリー状の液体ということらしい。
注射器で、中の液体を吸引するか、軽い外科手術で、取り出す治療があるということだけれど、ワタシの
ガングリオンは、大人しいから、そのうち、なくなってくれるだろうと思う。

しかし・・・久々に来たね。
何を伝えにきてくれたんだろう?

コイツは、無口なんで、わかりません。

栄養がかたよってきているのか・・・。
特定のモノを摂取しすぎたのか・・・。
或いは、特定のモノだけが不足しているのか・・・。
それとも、運命の変わり目???にさしかかったシグナルなのか・・・???

いくら大人しいとはいえ、やっぱ・・・あると気になるので、できれば、早めにお引取りいただきたものである。

苦しみを選ぶ「勇敢な魂」:ロバート・シュワルツ・著②

2009-12-13 21:04:48 | Weblog
くもりがち。寒さが戻りつつあるよう・・・。

昨日から続いております。

この本に興味を持つひとは、たぶん、今、あまり幸福だとは、思えない状況にいるひとなんだろうな・・・と思います。
幸福なひとは、多分、読まないんじゃないかなと思います。

人生に関わる自分では、どうにもできない壁にブチあたったひとだとか、それ程でなくても、何らかの理由で、自分の思い通りに人生が展開していかないひと・・・。
運に見放されたような出来事に遭遇している人・・・。

そんな人が選ぶ本なのではないかと思います。

かく言う私もそのひとりです(このブログ内でもグチってますが・・・)。

・・・不治の病気、障害を伴う事故、愛する人との離別・・・幸福とは、程遠い境遇に置かれたひと・・・。

読み方によっては、物凄く救われた気持ちになる本です。

現在、目の前にあるどうしようもない障害は、今の自分自身の責任ではなくて、霊界?というところからの計画だというのが主旨だから・・・。

だから、あなたが、こういう状態なのは、あなたの責任ではないのです・・・ってことらしいから。

意地悪な上司は、憎まれ役を演じるために、あなたに用意されたひと。
ムカつく同僚もそう・・・。
足を引っ張る後輩も・・・。
全てが、アナタの魂を成長させるために、協力して、お互いの霊性をより、高いところへ導くもの・・・。

・・・ほんとにそうだったら、どんなによいでしょう・・・。

でも、検証の仕様がない。
未知の世界は、わからない。
あるのか、ないのかさえ・・・。

ワタシごとき、小者の試練は、この本に登場する『勇敢なスピリット』を持つ人たちの何百・・・何千・・・何万・・・いや・・何億分の一程度の微々たる悩みにすぎないのかもしれない・・・。

けれども・・・、明日、会社へ行くのが、ワタシは、すごく・・・イヤだ・・・。

苦しみを選ぶ「勇敢な魂」:ロバート・シュワルツ著

2009-12-12 21:09:27 | Weblog
昨日の雨とは打って変わって、暖かい土曜日。


人が生きてゆく上で、どうしてこんなことがこの身に起こるんだろう・・・?
というような自分では、どうしても納得できない出来事にぶつかる場合があります。
それは、些細な出来事かもしれないし、或いは、もっともっと重大な出来事・・・事故、不治と思われる病気、或いは、先天的な障害を持って生まれてくる場合・・・。
自分では、どうしてそうなるのか、納得する答えが、わからないから苦悩が常につきまとうのでしょう。

この本は、こういった一見、理不尽に思えることにも意味がある・・・といった主旨の本です。
わからないことは、スピリチュアルな世界で聞け!ってとこでしょうか?

正直、私は、この本について、どう評価していいのか、わかりません。

読んでいて、そう思えれば心がラクになるのかな・・・と思うし、その反面、前世とか来世とか、生まれてくる前に魂同士(ソウルメイトのグループ内)で、プランニングされているため、現状は、試練にあっている・・・合意の上での事象なんだから・・・って言われても・・・と思うこともありました。
あの世のことで相談されたプログラムを、現実・今の世界で実現しているから、これは『試練』では、なくて、魂の成長する過程なんですよ!って説明されも・・・。
そうなのかもしれないし・・・。違うかもしれないし・・・。結局のところ、わかりません。

スピリチュアルな世界を生半可な知識と好奇心で、覗き込むと、抜き差しならないことになるのかも知れません。

だって、爆弾を仕掛けて人を傷つけた犯人にさえ、スピリチュアルな次元からみると深い意味があって、それが、ひとびとの魂の成長に役立っている・・・って説明されても納得いきますか?

このあたりを読んでいて、ふと思いましたが、島根で女子大生が殺害された事件があったけれども、この事件も、この世に誕生する前に魂同士が合意して行われたことだ・・・って言われて、そうですか・・・って納得できるものでしょうか・・・しかも、一部報道によると、筆舌に尽くしがたい程、遺体が損傷されていた・・・猟奇的事件だと聞いています。

なんでもかんでも、スピリチュアルで解決しようとしても、どうしてもワタシには、納得がいかない・・・それが、この本を読んだ感想です。

この本を読んで、障害や病気、そして様々な困難が、人より劣っているから(なんらかの罪悪の償いとして)発生するのではなくて、意味のあることだというのは、本当に救われるような思いがしましたが・・・。

どうなんでしょう・・・所謂『スピ』系って・・・。

ワタシは、スピリチュアルには、生きてないってことでしょうか・・・。

・・・より・・・高みへ・・・

2009-12-11 21:02:22 | Weblog
朝から冷たい本降りの雨・・・。


いまより高い次元から、物事を見下ろすように、できたらいい・・・。
仕事も対人関係も・・・全てにおいて・・・。

より高く、より透明で、より美しく・・・。

本当に澄んだ目線で、真実と嘘を見究められたらいいのに・・・と思う。

より・・・高みへ・・・。

清らかに澄みわたった空気が、山も頂から吹き降りて、澱んだ空気を吹き飛ばすかのように・・・。

高いところから、高いところから、高いところから・・・。

人の真意を見抜き、嘘を許し、他人の幸せを祈れるような・・・。

高いところへ行き着きたい。

哀しみも痛みも妬みも怒りも・・・全てなくなるような清らかな空間へ。


前世的な・・・。

2009-12-10 21:01:33 | Weblog
よく晴れて暖かい冬の日。

どなたかの著書か忘れましたが、時間が経つと本に出来る『紙魚(しみ)』のお話です。

修行中の僧侶がいて、お経を覚えようとしますが、どうしても途中にある言葉が覚えられない。
全巻暗記しているのに、その部分だけ、どうしても覚えられずにいた。
或る日、夢の中で、
『おまえは、前世で、その経典を食った紙魚だ。その部分を喰ってしまったから、現世で、その言葉が覚えられないのだ・・・。』
というお告げ?があった・・・。

まっ、そういうお話です・・・。

至宝ともいうべき経典を喰っちまった紙魚が、現世で修行僧に生まれ変わり、自分自身に一番必要なアイテムであるお経のある一箇所がおぼられない・・・というのは、如何なもんでしょうか?
紙魚にしてみれば、シミを作るのが仕事?だし、それ以外、紙魚の存在意義(・・・もともと紙魚に存在意義なんてあるのかどうか・・・)を根底から覆すお話ですが・・・。

紙魚は、なんで、こんな報いを受けなければならないのでしょうか?

僧侶という道を選ばなければ、こんな報いを受けずにすんだものを・・・。

因果関係だとか、来世だとか・・・今この現世を生きるのに、どうしても納得がいかない、理不尽だ、不条理だ・・・ということがこういう自分のあずかり知らぬ現象を少しでも宥めるのに、必要だから、あえて、前世まで、遡って、その理不尽な現状の理由を求める・・・ってことなんでしょうね。

・・・そうした方が、ラクな場合もありますかね。
なんで、そうなるのか分からないのだから・・・。

真面目にやって、誰に後ろ指差されることなく仕事に従事しているのに、成果を認められず、すべて徒労におわり、虚しく過ぎて行く日々に・・・。
もってうまれた外見だけで(仕事もロクにこなせないくせに、権利だけは主張して・・・)、なんとなく上手くいってしまう同僚を、横目で見ながら・・・そんなことを考えたりします。

それでも、その理不尽さを跳ね除けるような強い信念というか、揺ぎ無い強い心が欲しいと思っています。

幼稚な感情

2009-12-09 21:05:20 | Weblog
曇りがちの一日。

今週月曜日の夕方、歯科医院へ。
以前、治療した歯が痛い・・・。もしかすると治療したところを外さなきゃ治らないかな・・・などと、思いながら・・・。
レントゲンを撮ったところ
『歯本体には、異常はないようなので、歯肉にレーザーあてて様子見ましょう』
っていう見解だったので、レーザー治療へ。
レーザー治療自体は、それ程、痛みを伴うものではなかったのだけれども、終わってから、やや痛みだした。
夕方の治療だったので、空腹は、ピークで、終わって暫く経ってから、コンビニで、購入したカレーの刺激がいけなかったのだろうか・・・。

痛みは大した事ないのだけれども、先週末から、会社でいろいろ(仕事以外)あって、なんだか、もう出社するのも面倒になってしまい、ここ2日ばかり、歯の痛みを理由に休暇を取った。

いろいろなこと・・・と言うのは、『或る人』のことで、私自身には、全く関係のない話なんだけれど、何故か、心にひっかかって、その『或る人』から直接聞いたことでもないし、ましてや事実を知るということでもないのだけれど、どうにもこうにも・・・言いようのない感情が、次から次へ巡っては消え、どうしてよいのやら見当もつかず、ウツウツとした状況にある。
・・・多分、『噂』は、99%事実だろうな・・・。
今までのその『或る人』の行動から検証できる。そのときは、気がつかなかったけれども・・・。

ワタシには、無関係だけれども、社内では、(たぶん・・・)一番仲良くしてくれたひとなので、既に噂になっているのに、どうして、ワタシには、何も言ってくれないだろうか・・・とそんな見くびられたような思いばかり先行する。
ワタシなんて、その『或る人』にとっては、取るに足らない存在だったということなのだろう。
傲慢な言い方だけれど、かなりいろいろ気を使い、出来うる限りのことはしてきたつもりなのに・・・。

いまその『或る人』の顔は、見たくないし、歯も痛い・・・。
幼稚な感情だと思うし、誰が、何を、どうしようと・・・そんなことは、関係ないのである。
そして、実際、何がこんなに、自分を苛立たせているのかよくわからないのである(薄々わかってきたところだけれども・・・)。

誰が、何を、どう思うおうと、何をしようと、それは個人の自由なのだから・・・。
ワタシがどんなに気にいらなくても、それを変える権利はないし、口出しも無用だ。

ひとは、自分が思ったように生きてしかるべきである・・・。

・・・すみません。
事情を説明することができないので、読んでくださった方には、全く意味がわからないと思います。
ほんとうは、こんなこと書くつもりは、なかったんですが、なんとなく、ウツウツした幼稚な感情が消えないので、綴ってみました。