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映画:家族の肖像

2022-10-17 22:23:24 | 演劇・映画

断続的な雨の週明け。

 

昨日(10月16日)は、早朝から、県央。

移転先の家に、エアコン2台の設置工事。

移転先は、リフォーム中なので、家に居ても仕方が無いので、工事の間、近くのシネマコンプレックスで、映画を見て時間を潰すことに。

 

4Kリマスター版:家族の肖像(1974年)

70年代ヴィスコンティ監督の作品は、日本(たぶん女性層中心なんだろうけれど)でブレイク。

百年に一度の美少年 ビヨルン・アンドレセンを始め、美しい青年が主人公の映画で、退廃的で、耽美的な青年がテーマとなったようで、特に、女性漫画家さんによる2次元世界に多大な影響を与えたのだと思う。

最近は、BLブームで、こういう類の本は、どちらかっていうと、隠れキリシタンのように、他人様の前で、おおぴっらに、言えるようなものでもなかったような気がする。

雑誌『ジュネ』なんか(今思えば、可愛いくらいだけれど)、ドキドキの背徳感が何とも言えず・・・。

 

その所謂、綺麗な青年同志の禁断の恋愛を、実生活で体現していたのが、ルキノ・ヴィスコンティとヘルムート・バーガーだった訳で。

やっとこ、時代が追い付いたってトコかもな・・・。

当時(70年代)は、美形男優、中性的な男優が、主役になる時代で、前述の『家族の肖像』のヘルムート・バーガー、アラン・ドロン、デビット・ボウイといった2次元から抜け出してきた絵のようなおにいさんが、スクリーンに大写し。

(最も、随筆家・森茉莉にいわせりゃ、アラン・ドロンは、口元が下品だとか・・・)

時代がもう少し進んで・・・1980年代になると、英国映画の『モーリス』とか・・・『アナザー・カントリー』とか、男子寄宿舎での・・・みたいな感じで、背徳的なこちらも(英国)貴族趣味的映画に続いていくようだ。

日本なら萩尾望都の『トーマの心臓』とか、竹宮恵子の『風と木の詩』とか・・・BLの原点のような作品は、1970年だったか。

 

・・・で、『家族の肖像』。

この映画公開当時、私はまだ中学生だったんで、特に興味もなかったんだけれど、漫画家・大島弓子の作品(さよならヘルムート)のタイトルロールに、使われていて、ちょっと興味があるにはあった。

でも、こんなにトシをとる迄、見る機会がなく、今回、リバイバル上映ってことで、『午前十時の映画祭』のプログラムに入ったときから、観に行こうと決めていた。

予定としては、上映終了の今週にいづれか・・・と思っていたのだけれど、昨日、県央迄、行かねばならなかったし、朝9時から、夕方迄、ソコに居ても何もすることもない・・・という状況に陥ったので、念願叶って、鑑賞できた訳で。

若い頃、この映画を見ても、たぶん分からなかっただろう。今見ても・・・。

あの『ベニスに死す』を、ただ美少年・タッジオをスクリーンで、眺めるように・・・重厚なカビ臭い貴族趣味の老教授の居宅で起こる一連の事件を、なんの感情もなく、ヘルムート・バーガーの美しさを眺めるだけなら、それはそれで、いい時間潰しになった(ような気がする)。

よく意味がわからないし、お決まりの政治的要素(ファシズムとか、右翼左翼)も、その思想とか、信念とか・・・やはりヨーロッパって、なんだかよくわからないな的な・・・。

『ベニスに死す』も『家族の肖像』も、棺桶に足を突っ込んだようなインテリ老人の前を、美し過ぎる若者が、通り抜けていく・・・晩年のヴィスコンティ監督が、ヘルムート・バーガーを愛人にしたように・・・その世界の投影でもある・・・と言われている。

やはり、ヴィスコンティの世界は、美術品と宝飾品と日常使いの食器類、調度類に至る迄、それはそれは、本当に美しく、そして黴臭い一種の陰湿さを秘めた映像で、物語云々・・・よりも、只、日常を忘れて、18世紀だか19世紀だかの・・・所謂、日用品にも気の遠くなるような時間と財力をかける貴族の神髄を眼福として、眺めるに限る。

・・・というわけで、TOHOさん、次は、ヴィスコンティの『ルートヴィッヒ・神々の黄昏』をお願いします。

移転先から映画館も近くなるので・・・。

 

 



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