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鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

雨期の美術館(笠間日動美術館)

2023-06-09 23:59:30 | 藝術

深夜から本降りの雨。

明け方前から激しい土砂降り。

梅雨らしいと言えば、梅雨らしい週末。

 

こんな雨の中、早朝より、相方と笠間市へ。

北大路魯山人生誕140年と題した展覧会の催されている笠間日動美術館を訪れました。

雨だし、平日だし・・・お客さんは、数名程。

各展示室には、監視員さんの姿もなく・・・独り占め状態で、鑑賞することができました。

 

魯山人は、書画、骨董、美食など多彩な才能をもった芸術家ではありますが、こと陶芸に関しては、窯を極める・・・例えば、九谷焼きなら、九谷、有田焼なら有田・・・という決まった作風で作り続ける・・・ということもなく、九谷焼風、有田焼風、伊万里焼風、益子焼風・・・といった制作年代によって、作風を変える・・・陶芸家のようにみえました。

あくまで・・・風というか。

何でも、幅広く取り入れて、自分の作品とする・・・???(違うかもしれませんが・・・)。

或る意味、守破離・・・を繰り返した作家でもあるようです。

 

日動美術館は、個人の収蔵品では、そのへんの県立、市立といった自治体で作った美術館など足元にも及ばぬ収蔵品も目玉で、初代オーナー(日動画廊の長谷川仁・のコレクションは、豊かな財を美術品収集につぎ込んだ歴史をみることができる美術館でもあるようです。

特に、近代西洋美術においてのコレクションは・・・ああ、ここの収蔵品だったのか・・・とあちこちの美術館に貸出ししているものも多くて、美術誌や画集で一度はみたことのある作品があるのでした。

シャガール、ピカソ、ルノワール、ドガ、モネ、セザンヌ、マティスなど、一度に見られるあたり、画商業ならでは?のコレクションといえるのかもしれません。

 

 


霜月・初冬の美術館の思い出~母の好きだった画家

2022-11-23 23:29:33 | 藝術

終日の雨。

冷たい祝日の雨・・・。

 

勤労感謝の日。 祝日。

11月の下旬で、こんなふうに寒い祝日の日は、もう数十年前に、隣市の里山にある美術館を訪れたことを思い出しました。

母と一緒に訪れた美術館。

マリー・ローランサン展を見に行きました。

あの頃は、まだ運転免許を取り立てで、父の車を借りて、出向きました。

とても寒い真冬のような曇りの日でも、美術館は、混雑していたのを覚えています。

今にして思えば・・・カーナビもなく、地図だけで、よく辿り着いたなぁ・・・って、道順は、簡単で、国道から、右折する場所さえ間違わなければ、だいたい普通に到着できる場所で、右折する場所も、稲荷神社の門前町で、大きな赤い鳥居をくぐれば、間違えようがない場所なんですけれどね。 

母は、マリー・ローランサンが大好きでした。

画風が似ているいわさきちひろの絵も好みだったようです。

いわさきちひろは、優しい画風ですが、初婚で迎えた養子の夫を愛することができず、結局のところ、自殺してしまった・・・というエピソードを聞いて、たぶん、画風と人格は一致しないのかも・・・とか、思ったりしました。再婚の相手は、共産党の方でしたかね?あとから知って、驚きでしたが。

ローランサンも同性が好きだったとか・・・まあ、どうでもいい話です・・・。

母の影響で、ローランサン、いわさきちひろ・・・といった淡い色の柔らかな線の画家が好きでしたが、まだ若かりし頃、こういう絵は、嫌い・・・という友達が居て、嫌いなひとも居るんだな・・・と思った次第で。

まあ、合わなかったですかね? 性格的に。

女流画家では、日本画の上村松園なんかも、母は好きでした。 

美人画でも、母親がテーマの作品が多いですかね。

 

 


美術館➁

2022-10-05 22:25:25 | 藝術

正午から本降りの雨。

 

都内には、数多の美術館があって、国家が運営するもの、自治体が運営するもの・・・そして、巨額を投じて、国家の運営によるものと遜色のない個人が運営する美術館も存在する。

美術館には、学芸員という職員さんが居て、最近では、学芸員よりも処遇が、上位のキュレーターという職業があるらしい。

ちょうど一年前になるだろうか。

国民にケンカを売って、ニュー・ヨークに行った本邦の皇族の女性が、世界最大と言われるメトロポリタン・ミュージアムの職員として、働いているとか、いないとか・・・(真偽はしりません)。

ボランティア?ということらしいけれど、皇(王)族特権として、本邦から、かの美術館へなんらかの理由で、資金提供し、その一部を報酬として、皇籍を離脱した元・内親王への報酬として支払われているらしく・・・???(そういうカラクリなのかね???よくわかんないけれど)。

生まれながらの特権階級をフルに使いこなし、自由奔放に過ごしていらっしゃるようで、何より。

 

国民のせいで、『複雑性PTSD』になったので、ニューヨークへ行きます・・・って言われてもなぁ・・・と1年前に国民はそう思っただろう。

ニューヨークだろうが、ロンドンだろうが、モスクワだろうが・・・何処へでも行ってくれ・・・ただし、自分のカネでな・・・。

夫君は、これ以上ない事故物件。

 

・・・そんなこんなで、一年経って。

あの御方は、メトロポリタンミュージアムで、労働?されているんだろうか。

肩書は・・・もしかして、キュレーターなのかな・・・とか。

フト・・・思ったりして。

特に、美術とか、芸術が好きで、そういう作品に囲まれて過ごしたい・・・とか、そんなんでは、無さげ・・・。

キュレーターと言われる自分になりたいだけ・・・なのかもしれない。

メトロポリタンミュージアムのキュレーターだと、年収数千万(←真偽は知らねど)だとかで、なかなか成れるものでもなさそうだし。

 

別に、ステータスなら、キュレーターよりも、内親王さんの方が、上でしょ。生まれながらに、特別で、本邦下民達が、わずかな労働の中から、厳しく徴収される税金で、暮らせるのだから。

結局のところ、あの御方は、何がしたいんだろう・・・???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


美術館

2022-10-04 22:04:44 | 藝術

良く晴れた真夏日。残暑続く・・・。

 

秋の訪れは、少し遅れているようだけれど、明日(5日)から、気温が一気に下がっていき、週末は、11月並み・・・で、最低気温も10℃前後を推移するという現在の予報。

 

2週間連続で、美術館巡りをしたけれど、いつも思うのは、展示室の監視員さん。

展示室の片隅の椅子に座り(或いは、立って)、来館者が、作品に危害を及ぼさないか、或いは、マナー違反をしないか・・・などと、監視するお仕事。

誰もいなければ、アクビのひとつもいいけれど、押すな押すな黒山の人だかり・・・なんてときは、神経を使うし、ひとりかふたりの来館者のときは、なんだか、こちらも気を使ってしまう。

飴やガムなど食べていると、ティッシュペーパーを差し出され、館内は飲食禁止ですの旨を伝えねばならない。

 

私は、たぶん・・・5分座っているのも苦痛だと思う。何もせず、ただ、ヒトの動向を注視する・・・ということが、出来ないから。

この件(くだり)は、以前の拙なこのブロク内でも既出なんだけれど、美術館を訪れるたびに、監視員には、絶対になれない・・・と思ってしまう。

 

宇都宮美術館最大の目玉・・・ルネ・マグリットの大家族・・・(使いまわしですみません)

 

この絵のすぐ隣に監視員さんが、イスに座っていた。

私が絵の前に立ち、絵に挨拶(心の中で)して、暫く、じっと眺めていたのだけれど、やはり人の気配って、凄く気になる。

だって、私と監視員さんの間は、1mないんだもの・・・。

もう少し真ん中に展示してくれるか、監視場所を変えてほしい・・・と思って、心行くまで、再会を楽しめなかった。

 

この『大家族』、25年前のオープン前(1996年)に、6億円で、購入ということだけれど、1963年製作の比較的新しい絵画で、この6億円って、高いのか安いのか・・・私にはわからない。税金なんだよな・・・コレ。

因みに、フェルメールは、1630年から1675年の作品の落札価格は、10億円前後・・・。

まあ、絵画の価値は、買う人が、決めるのだろうけれど、現代アートというか、イラストというか・・・かのFF(ファイナルファンタジー)の天野喜孝のリトグラフでも、数千万円するものもあるそうで、原画だとやはり億?という話(真偽は知らない)を聞いたこともあるので、ルネ・マグリットが、6億でも不思議はないか・・・今は円安だから、もっと値も上がっているのだろうか・・・。

あり得ない話だけれど、もし、美術館が、私にこの『大家族』をプレゼント?してくれると言っても、私は、受け取らない。

飾る場所、管理が、まず無理。温度・湿度調整の失敗で、カビは免れないだろうし、退色やシミなどの発生、絵具のひび割れ・・・様々なメンテナンスは、専門家でないと出来ようはずがない。

かの日本画の上村松園などは、あの透明感のある画面を構築するのに、通常より薄塗りとなり、すぐに劣化する・・・という記述を読んだことがある。

美術修復家泣かせの画家のひとりなのかも・・・。

 

亡き母は、元気な頃、美術館巡りをしていた。

バス・ツアーなどにもよく参加していて、ミュージアム・ショップで、よく絵葉書なんか、買ってきた。

筆まめで、字の上手い母から、絵葉書を貰ったひとは、嬉しかったんじゃないかな・・・と思うけれど、受け取った方は、迷惑だったかも。

母が亡くなって、私は、親戚や知人に葉書や手紙を書いたけれど、存外、手紙などは、迷惑なんだろう電話で、御礼が来るだけだった。

母が筆まめ過ぎたんだね。

ミュージアム・ショップで母が買ってきた絵葉書は、僅かに残ってるだけで、絵の趣味は、合わないから、捨ててしまうかな・・・と思いつつ1年以上過ぎてしまった。

 


宇都宮美術館・開館25周年記念 全館コレクション展・これからの時間についての夢

2022-10-03 22:52:10 | 藝術

終日、薄曇りの夏日。

 

 

9月29日・午後3時

午前中、映画を見て、ランチ。そして、美術館へ。

ずっと休館中で、館内の設備改修?をしていたかの美術館の収蔵品の公開展。

大好きなルネ・マグリットの『大家族』の展示も(この作品は、他の美術館への貸出しも多くて、運が悪いとお留守のときもあって、常設って訳じゃないようです・・・)。

(↓使いまわしですが・・・)

久々の『大家族』の前で、(お久しぶりですね)としみじみ。

 

他の収蔵品には、シャガールなんかも結構、コレクションしているけれど、シャガールは、あまり好きではないので。

パウル・クレーの小作品数点。

 

それにつけても・・・この収蔵品って、ダレの趣味なんだろう???

市の経営なんだろうけれど、財政が豊かなんだねぇ・・・。そして、この美術品って、どれくらいの市民が見に来るのか・・・(たぶん、大多数は、縁がないでしょ・・・と市民の相方曰く・・・)

 

企画展では、高橋銑氏のブロンズ像の展示と劣化のスライドの上映。

(↓バリー・フラナガン/ホスピタリティ)

この美術館の広い永遠には、2体のブロンズ像の展示があって、そのひとつは、バリー・フラナガンのウサギの彫像。ホスピタリティ(歓迎)と言う作品で、遊具化されて、最低2年に一度の補修も・・・(たぶん)行われていない。

子ども達は、この美術品によじのぼり(じっさい、美術館を出た後、このブロンズ像が設置してある広場に見に行ったけれど、子供たちがよじ登っていた)、手垢や汚れ、傷、劣化が、激しい。

同じ作者によるブロンズ像は、館林美術館にも設置があるけれど、子供たちが、遊べないように、接地する部分に生垣のように植物が植えられて、どちらの保存状態がよいのか・・・と疑問を投げかけていた。

作者は、美術品か遊具か・・・どういう保管方法を望んでいるんだろう・・・とか。

 

たしかに、ブロンズではあるけれど、うさぎさんで、手が届けは、乗りたくもなるフォルムだよな(ちょっと見・・・なんだか、イロっぽいウサギさんかも・・・?)

この美術館には、何度か来ているけれど、あのウサギさんが、著名な作家の作品で、しかも遊具化されて、そこに存在している・・・ということにも気が付かなかった。

このウサギさんが、歓迎してくれているプレート表示側から、入場したことがなくて、そもそもこのウサギさんだってことも知らなかったね。

 

秋の日暮れは、早くて・・・もうすぐ17時にかかろうか・・・と言う時間。

数時間前は、秋のうろこぐも一杯の晴天だったというのに・・・。

 

 


ファンタジーアート展

2022-08-19 23:39:06 | 藝術

朝から、すっきりと晴れて、乾いた暑さの週末。

 

一昨日から、少し腰痛で、同じ姿勢で座っていると、立ち上がるときに、痛みが出るので、寝たり起きたり。

それでも、絶好の洗濯日和なので、午前中は、洗濯に勤しむ。

天気の良い日に、体調が悪いのは、ちょっと、辛いかも。

 

 

昨日(18日)。

県央にて開催中の天野喜孝・ファンタジーアート展を訪れた。

(↓ 入場時にいただいた葉書大のイラスト)

 

天野氏のイラストのリトグラフ販売を目的とした展示会なのだけれど、初日開催時間ぴったりに訪れた会場は、既に、長蛇の列。

展示室への入室迄、1時間以上の時間を要した。

これで、あの流行病に感染でもしたら、目も当てられまい・・・などと、考えていたけれど。

なかには、乳幼児をお連れのご夫妻もいたけれど・・・(乳幼児を人混みに連れてきて大丈夫なのだろうか・・・しかも、抱っこした子供の足が、私のリュックに何度も当たり、非常に不愉快也・・・だったりで。偏見だけれど、自分の趣味で、まだ理解できない乳幼児をこういう展示会に連れてくる親御さんって、もしかしてバカ?なの???とか・・・)。

 

ファイナル・ファンタジーのキャラクター設計、書籍の装丁、イラストなどで、知られる天野喜孝。

ビアズリーやクリムト、ミュシャの活躍したアール・デコ、アールヌーボーの装飾的な美しさを彷彿させる神秘的で繊細な画風。

お値段は、数十万円から、数百万円がつけられていて、この販売会社と取引のあるお客さんは、列に並ばずとも、VIP待遇で、受付して、秒?で、入場できる・・・仕組みのようだった。

お金に余裕があれば、欲しい作品もあったりで(しかし、私は、綺麗に飾って鑑賞することができぬ人間で、たとえ購入したとしても、勿体無くて、飾れず、押入れとかに隠し持っていて、イザ取り出してみたら、カビとか、紙魚とかになっていた・・・なんてことになるんだろうなぁ・・・。管理・手入れなど不得手中の不得手)。

 

殆どのお客さんのお目当ては、絵画鑑賞と、天野氏のイラストを用いたグッズ、ポストカード、ポスター・・・などのようで、入り口隣には、こうした少額のお金で、買えるようなグッズも販売している。

原画だと、数千万円といったところだけれど、シルクスクリーンの複製リトグラフだと、数百万というのは、妥当ではないか・・・と相方は言っていた。

全国で、数か所の同時開催のようで、流石に、県央のこの会場には、原画は、なかった・・・(ように思う)。

 

(↓ 会場で、頂いたクリア・ファイルこれでもう充分デス!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『バンクシーって誰?展』・ふくしまビッグパレット

2022-06-30 23:50:33 | 藝術

猛暑日続く・・・。

 

本日は、早朝より、相方と福島県郡山市・ふくしまビッグパレットで開催中の『バンクシーって誰?展』へ。

片道約150km前後の道のり。

往路は、一般道、復路は、高速道路で。

 

バンクシー。

その正体を知るひとは、たぶん・・・少ない。

謎のゲリラ画家。

路地裏の古びたビルの壁面などに、反権力、反戦、反資本主義などのメッセージ性の強い作品を、スプレーペンキ、ステンシルなどを活用して、独創的な作風の画家。

 

幾重にも交えられたアイロニー。

 

↓ 狙われた鳩(2007)

 

物質文明をあざ笑い、人種差別を嫌い、巨大企業により奴隷化する下層市民への憐れみ。

弱き者、弱者から搾取する社会構造を描きだす。

 

展覧会は、映画のセットのような街並みにバンクシーの作品の写しを配し、路地裏や古いビルの中の・・・バンクシーの作品の雰囲気を満喫できる構造。

影絵のネズミが、現れては消え・・・。

 

入口は、トリックアートのような傾斜の建物・・・正直、この演出は、平衡感覚を失い、気持ちが悪くなった。コレは、ちょっと・・・止めてもらいたかったな・・・(私は特に、起立性調節障害っぽいし、迷走神経反射もあるんで、傾斜のあるとこは、苦手なのかも)。

 

薄暗い展示場と皮肉に満ちた作品群。

 

かの都知事のみどりのたぬきのオバさんも、バンクシー作???と思われる傘のネズミの絵で、自らの知名度、好感度?などをあげることに活用していたけれど、もし、本当にあの絵が、バンクシーの作品であるならば、バンクシー自身、あの絵を描いたことを後悔しているのかも・・・と思ったり。

権力増強に利用されてしまったんだから・・・(ただし、本物ならば・・・のハナシだけれど)。

 

 


ひとり遊び

2021-05-22 23:07:07 | 藝術

雨降ったり止んだり・・・。

昨日の天気予報では、今日は、晴れ間も・・・だったのだけれど、全くのハズレ。

気温も20℃を下回り、寒いくらいで・・・。

 

母の残した遺品が、全く、片付かない。

各年代ごとの日記や家計簿、健康や料理の記事をスクラップしたものが、いろいろな場所から出現する。

記事のスクラップや、雑誌の切り抜きなどは、最初の頃は、ノートに貼りつけていたものもあるけれど、貼るのが面倒になったのか、切るだけ切って、封筒の中に入っていたり・・・。

また・・・同じようなものが・・・と、一つの抽斗を片付けても、次の抽斗、その次の抽斗・・・無限ループだ。

そんなものは、一気に纏めて捨ててしまえ!と思うけれど、住所氏名の記載のある封筒の裏に、そのとき、考え付いたこと、テレビの情報、電話番号なども書いてあったりで、一応、もう此の世のひとではないけれど、やはり個人情報などもあり、住所、氏名、電話番号などのメモ書きは、シュレッダーをかけることにしているから、一向に片付かない。

主に、健康情報、料理レシピなどが多いのだけれど、気に入った絵画やイラスト、絵はがきなどもあって、一番好きな画家は、ルノアールのようである。

マリー・ローランサン、小倉亀遊など、女流作家も好きだったようだ。

その雑多なスクラップ記事や絵画の切り抜きで、誰の作品だろう???・・・と思うものがあった。

女性が、下着姿で、ロング・パールのネックレスを、目の前に垂らしている絵葉書大の大きさの絵である。

『ひとり遊び』というタイトルがついている。作家の名前は、よくわからない。左下にナンバーがはいっているから、原本は、リトグラフかなにか?だろうか?

私もこの絵が好きで、ちょっと自分を重ねてしまったりする。

(下着姿ではやらないけれど、よく寝床で、パールを弄んだりしている。体形もこんな感じだし、髪型も・・・。もしかして、母は、私を重ねていたのかも・・・って、こんなに繊細な姿じゃないけどね。ジャージとか、毛玉ニットとか着てるし・・・)

 

母の遺品・・・あとどれくらいで、片付くのか見当もつかない。

 

 


宇都宮美術館/ルネ・マグリット・大家族

2019-09-09 23:23:23 | 藝術

明け方に台風が、接近。

風雨共に強くなるも、台風の進路の西側だったので、無事に通過を、お見送り・・・。

 

(昨日の続き・・・)

この美術館は、比較的、新しい美術館で、県央にあるもうひとつの県立美術館の方が、歴史が旧い。

県立美術館は、(私が知らないダケかもしれないが)ロクな収蔵品がない(過去のおハナシで、現在は、有るのかも知れないが・・・)。

それに比べて、宇都宮美術館は開館時に、6憶円かけて、ルネ・マグリットの『大家族』を購入した。6憶円の価値があるのかどうか?私にはわからないけれど。

 

この作品好きなんですよね。

嵐が来るのか、鉛色の雲が、上空を覆いつくしているのだけれど、水平線は、薄紅色で、切り取られたような鳩(鳩なのか別の鳥なのか?)の空間には、青空。

不安と安心が同居したような・・・不思議な空気感があって・・・。

この原画を最初にみたのは、もう6年前だろうか。

始めて、相方に連れてきてもらった美術館で、この絵の展示があって、驚いた・・・市立の美術館の収蔵品であることにも・・・。

そのあと、数回見ることができたけれど、常設展示と言いながら、展示していないときもあるし、他美術館への貸出しなどで、お留守の時も多い(らしい)。

・・・何故、作品タイトルが、『大家族』なのかも、さまざまに議論されているけれど、ホントウのところは、作者のマグリットに聞くしかないのだろうし、ソレは、既に叶わぬ事。

奇人変人の部類に入るのだろうマグリットの胸中は、わからねど・・・とにかく、この空気感が、好きで。

 

この美術館は、相方の好きな場所のひとつらしく、煮詰まったり、悩んだりしたときは、よく来ていたと言っていた。

 

(↑展示室に向かう開放的なエントランス。大谷石づくりの柱と壁が、象徴的)

 

広大なよくお手入れされた里山が隣接されていて、ハイキングや散策にもよいところで、古墳群なども点在する。

市内の高台にある高級住宅地のどん詰まりに位置する・・・JRの駅からは・・・むろん・・・遠い。

  


宇都宮美術館・水木しげる 魂の漫画展~量産を拒む世界観???

2019-09-08 13:50:20 | 藝術

台風15号接近中。深夜あたり関東に最も接近、上陸の可能性とニュースは、お昼のニュースで伝えておりました。

厳しい残暑が続いております。

 

昨日、映画のあとで、県央の美術館へ。

『水木しげる 魂の漫画展』へ。

鬼太郎さんと妖怪の仲間のオブジェがお出迎えです。

 

太平洋戦争で、南方へ従軍。爆撃で、片腕を失い、マラリアを患い、九死に一生を得て、帰還。

代表作『ゲゲゲの鬼太郎』を始め、様々な作品の生原稿、原画を始め、妖怪オブジェなどの展示も。

土曜日だけあって、盛況な美術館でした。

 

テレビアニメでしか知らなかった『ゲゲゲの鬼太郎』の原稿のなんと緻密で、精緻さに驚きでした。

展示室の外には、漫画の読めるコーナーも。

・・・最近の『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメーション化で、鬼太郎さん、猫娘さんも、そこらに転がっているようなつまらない美少年・美少女化されて、味がなくなったように思うけれど、やっぱ・・・オリジナルの奇ッ怪さ、オドロオドロシさ・・・やはり、『ゲゲゲ・・・』は、この昭和感があってこそ・・・。

(なんでもかんでも、今はやりの特徴のない小奇麗なキャラクターにすればいいってもんじゃないね。ワタシ的に、水木しげるキャラって、好みじゃないんだけどさ・・・)

水木しげるの生原稿をみて、感じたのだけれど、背景を細かく書き込む手作業なんて、たぶん、今の漫画家さんは、やらないと思うし、締切の短い中で、或る程度のデジタル化は、仕方のないことなんだと思うし、量産しないと、すぐ飽きられてしまう現代の消費的構造が、作品を薄っぺらなものにしているんだろうなぁ・・・と思います。

誰にでも出来る、誰にでも書ける作品は、才能を消費されて、すぐ使い捨てされてしまう・・・

才能のカタマリの手塚治虫さんあたりが、パソコンで、機械的にサクサク作画していたら、もっともっと凄い作品を量産出来たりしたのかも・・・なんて思うけれど、水木ワールドに限っては、緻密で地道な手作業が、作品に命を与えているのかもしれないな。

良いか、悪いか、好みか、嫌いか・・・。

現代の画一的で、個性のない作品群のなかでも、名を馳せるものは、やはり、機械では唯一叶わぬ・・・魂を削って作り出す作品なのだろうと改めて思った次第で。