瑠璃光寺
(前回のつづき)
翌日の天気予報は、午前中曇りのち雨となっていました。そして翌日の早朝、空を見上げると少し陽も射しているようでしたが、旅館を出る9時頃には、どんよりとした厚い雲に覆われ、今にも雨が降ってきそうな天気に変わってきました。
実は、昨晩から家族の内、1名が嘔吐下痢症となり、トイレから出たり入ったりの繰り返しでした。こうなると、観光どころではありませんが、かねてから楽しみにしていた瑠璃光寺の五重塔だけは、どうしても見ておきたいと思っていました。
数年前、井原市文化協会の旅行で山口市を訪ねた際、不運にも瑠璃光寺は行程に入っていませんでした。遠くに五重塔が見えているのに、とても残念な気がした記憶があります。西の京といわれる山口市、瑠璃光寺五重塔は、一番の観光スポットに間違いありません。
さて、湯田温泉から瑠璃光寺までは、4.4キロ、車で10分少々です。駐車場に着くと、何と雨がぽつぽつと降ってきたではありませんか。駐車場は何か所かあったようですが、結果的に一番遠いところに停めてしまったようです。
毛利家の墓地のある香山公園、途中の石畳で、「うぐいす張りの石畳」と書かれた立て看板を発見しました。大きな足音や、手を叩くと、音が返ってくると書いてありました。手を叩くと、確かに音が共鳴し、あのうぐいす張りの、キュっという音が返ってきます。偶然にそうなったそうですが、不思議ですね。標識を頼りに少し歩くと、やっと五重塔が見えてきました。なんと美しいことでしょう。手前の傾斜地に白やピンクの花が咲く梅林があって、五重塔との取り合わせは実に素晴らしいものでした。これで青空が広がっていれば最高なのですが、こればかりはいたし方ありません。よく紹介されている写真は、池を前景に撮られたものがほとんどですが、梅と五重塔、この時季ならではの組み合わせでしょうか。
資料によりますと、この五重塔は室町時代建立とありました。江戸時代以前に建立された五重塔は全国で22基あるそうです。そのうち国宝に指定されているのは次の9基です。
奈良県 法隆寺五重塔 680年頃 32.45m (飛鳥時代)再建
奈良県 室生寺五重塔 800年前後 16.18m (平安時代)
京都府 醍醐寺五重塔 952年 37.44m (平安時代)
京都府 海住山寺五重塔 1214年 17.70m (鎌倉時代)
広島県 明王院五重塔 1348年 29.14m (室町時代)
山形県 羽黒山五重塔 1377年 29.20m (室町時代)
奈良県 興福寺五重塔 1426年 50.10m (室町時代)再建6代目
山口県 瑠璃光寺五重塔 1442年 31.20m (室町時代)
京都府 東寺五重塔 1644年 54.84m (江戸時代)再建5代目
私が特に印象に残っているのが、室生寺の五重塔でしょうか。一昨年行ったのは5月ごろ、シャクナゲと五重塔を一緒に撮影したかったからです。石段の下から見上げる感じの五重塔、白い縁取りがアクセントになってとてもきれいでした。大きさは、16mほどで、他の塔と比較すると半分程度しかありません。
それから醍醐寺は、桜見物で何回か訪れましたが、枝垂れ桜との組み合わせ、被写体としては最高ですね。明王院の五重塔は、私の住んでいる岡山県井原市の隣、広島県福山市にあります。身近なところに、このような国宝の五重塔があるとは、ただただ驚きです。勾配のきつい石段を登って行き山門を潜ると正面に国宝の本堂、左に五重塔と並んで建っています。ただ、境内がそれほど広くないので、見上げるようにしか撮影できません。興福寺の五重塔は、昨年行ったばかりです。とても大きくてどっしりとしています。東寺の五重塔はさらに大きくて、新幹線や高速バスで京都に行くと、最初に視界に入る五重塔です。京都に来たということを実感させてくれる五重塔です。
ということで、私がまだ見たことのないのは、京都の海住山寺の五重塔と、羽黒山五重塔ですね。いろいろ調べて感心したのが、江戸時代以前に建立された22基の五重塔ですが、何と地震による倒壊の記録は一度もないそうです。そういえば、東京スカイツリーも、このしくみを応用して作られているとか。いずれにしてもすごい技術だと思います。
法隆寺、醍醐寺、そしてこの瑠璃光寺の五重塔は、日本の三名塔と云われているそうですが、その中でも日本庭園の中にある瑠璃光寺五重塔は、春夏秋冬しっとりとした趣があって特に心惹かれるものがあります。
たった10分ほどの滞在でしたが、とりあえずカメラにおさめることができたので、ほっとしました。このあと、SAをはしごして帰ったのはいうまでもありません。
(ちょっぴり山口の旅、おわり)
瑠璃光寺五重塔
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