未熟なカメラマン さてものひとりごと

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倉敷市児島を訪ねました。

2013-02-08 22:22:17 | 旅行

旧野崎家住宅で見た、大変めずらしい明治天皇の男雛です。
詳細な画像と説明はこちらでどうぞ! 未熟なカメラマン・日帰り旅日記

2月3日(日)節分の日。天気が良かったので、撮影にどこか出かけたいと思いました。北方面は冬タイヤを履いていないのでダメ、四国方面も考えましたが、瀬戸大橋の利用料金と、どうせ行くなら栗林公園の梅園の見ごろの時期に、などといろいろ考えたあげく、そうそう、そろそろ野崎家旧宅でひな祭りが開かれているのではと、倉敷の児島方面に行ってみることにしました。時刻は、10時半頃でした。最寄りの笠岡ICでETCレーンに入ると、なんとゲートが上がりません。マイクから「お客様のETCカードは期限切れのようです。」というアナウンスが流れてきました。そういえば新しいカードがきていたのにすっかり忘れていました。情けない、今日はすっかりついていないようです。到着ICの児島で降りるとき、「お客様、ETCカードはお持ちでないですか?」と聞かれ、事情を話しましたが、案の上,割引は効かず、1,650円を請求されました。もったいないことでした。

最初に訪ねたのが野崎家旧宅です。パンフレットを見ると、旧野崎家住宅(国指定重要文化財)となっていました。塩田王と云われた野崎家、公園のような前庭があり歩道の向こうに立派な長屋門が見えてきます。その隣には御成門もありました。入口の横に赤い字で「野崎家お雛様展」と書かれた看板が架けられていました。入館料を払う際、お茶席もあるというので、お願いしました。(入館料500円、抹茶御菓子付400円)実は個人的にこちらは、3回目の訪問でした。受付を過ぎると白い土蔵群が青空に映えとても美しく見えます。まずは、順路に従って歩くことに。お雛様展とあるだけあって、各お部屋の床には、それぞれにお雛様が飾られていました。春は表書院の庭先のサツキが美しく咲くのですが、この時季は瑞々しい苔ばかりが目立ちます。それにしても草1本生えていないとてもきれいに管理されている日本庭園は見事です。そして庭園内には、贅沢にも3つの茶室がありました。  

圧巻は、中座敷。野崎家が住まいの中心とした母屋で、天保4年頃の建築と云われていますが、一番奥の向座敷まで23間(42m)、9つの座敷が連続しています。そして向座敷の床には、お雛様が見えました。昔そのままの広い台所、土間にかまどが並び壮観です。風呂や漬物小屋、防空壕もあります。屋敷の裏口から回り込むと5棟の土蔵の前に出てきました。ひとつにひな人形が飾られた資料館、池田家から野崎家に送られたという享保雛が印象的でした。もうひとつの土蔵には家業の塩業の資料館がありました。

最後の最後で指定されたお茶席が向座敷にありました。靴を脱いであがると、床を挟んで部屋の両側に毛氈が敷かれていました。まず、名物の塩饅頭が出て、そのあとに抹茶をいただきました。お茶碗は、虫明焼でお雛様が描かれていました。係の方の説明でいろいろお話を聞くことができました。今も7代目が塩を造っていて、味の素を通じて販売していることや、お風呂は実は3つもあるということ、使用人は、一番の最盛期に80人もいたことなどです。庭の管理は専属の人が3名いて、苔の中の草は、ピンセットで抜いているとか。
ここからは、庭園側から見た座敷の続く様子が、逆の方向から見ることができます。通常、畳の部屋にはあがれないので、お茶席を利用される方だけの特典とのことでした。

野崎家を見学したあとは、「ジーンズストリート」と書かれたいかにも日本のジーンズのふるさとらしい景観の通りを、散策してみることにしました。その昔、「ボブソン」「ビッグジョン」などナショナルブランドで名を馳せた児島ですが、現在は、その勢いはありません。この通りは、地元メーカーや商工会議所が、児島のPRと商店街の再生を目指して空き店舗などへの誘致活動の一環としておこなっているものです。おもしろいのは通りを挟んで頭上にロープが張られジーンズが洗濯物のようにぶらさがっている光景でした。これもいわゆる野外ディスプレイ?の一つなのでしょうか。メーカーの直営店や小物の店、カフェなどもあり、ジーンズ好きの若者には堪えられないでしょう。
児島は、古くから(主に江戸時代)干拓で知られていますが、干拓地は塩分を含んでいるため作物はなかなか育ちませんでした。そこで登場したのが、水分と肥料さえあれば育つといわれる綿花の栽培です。北海道からの北前船で下津井港にニシン粕が大量に届き、このニシン粕を肥料に栽培が盛んに行われ、これが、児島の繊維産業のもとになったといわれています。

次の目的地は鷲羽山ですが、その前に腹ごしらえです。下津井でよく行く店が「ふく仙」です。下津井港で水揚げされた新鮮な魚介類で人気のお店です。お腹が膨れたところで、鷲羽山に向かいました。日曜日なのに、広い駐車場に停まっている車の数はわずか。観光船の呼び込みがどこかむなしさを感じさせます。ここから展望台を目指しますが、この石段が堪えました。瀬戸内海、春霞がかかって視界は今一つでしたが、雄大な瀬戸大橋は絶好の被写体です。ただ時刻も午後2時ごろを過ぎると、海も逆光気味となります。海面は反射して、ぎらぎら輝いて見えます。せっかくなので、ビジターセンターから頂上を目指しました。天気がよいのでこの散策はとてもさわやかな気分でした。いつのまにか汗が出てきます。石を積み上げた感じの頂上ですが、眼下に瀬戸大橋はもちろん、児島ボートのエンジンの爆音までも聞こえてきます。まさに絶景かな、というところです。

鷲羽山を堪能したあと、最後に下津井の町並みと祇園神社を見て帰ることにしました。瀬戸大橋の橋脚の真下にある下津井漁港ですが、不思議と違和感はありません。観光駐車場に車を停めると、目の前に、最近有名になった「ところてん」の店がありました。そういえば、NHKの人気番組「鶴瓶の家族に乾杯」でこの店が映っていましたね。店先で、100円、200円とナイロン袋に入った干物を売っているおばあちゃん。そのときの様子をきいてみると、「いつのまにか来ていてね・・・」との返事。しかし有難いことにこのことが大いに宣伝になって、お客も随分増えたようです。あとから来たお客さんも同じように話しかけていました。じっと椅子に座って、自ら動くことはあまりありませんが、高齢なのに計算もさっとできて、これならボケ封じと店番、一挙両得・一石二鳥ですね。

このあと、祇園神社に向かいました。駐車場からは、かなりの急こう配の石段を登らなくてはなりません。そして大きな石灯籠があり、その先に、こじんまりとした境内があります。前回来たときは、紅梅、白梅が満開でメジロが何匹も来て花の蜜を吸っていました。縁台も用意されていて、梅の香りが漂う高台から望む瀬戸内海や瀬戸大橋もなかなかいいものでした。当日は、紅梅、白梅とも咲いていたのはほんの数輪。もちろんメジロもいませんでした。
10分ほど滞在のあと、最後の目的地、下津井の古い町並みを少しだけ散策することにしました。保存地区には、出格子、虫籠窓、なまこ壁を持つ民家をたくさん見ることができますが、その町並みの中で、中心となるのが、むかし下津井回船問屋です。前半でも書きましたが、北前船が北の海産物を運んで寄港したことや、瀬戸内海でも四国と距離的に近いことから、四国・金毘羅さんへの玄関口として繁栄を極めたそうです。朝鮮通信使の寄港地は、鞆の浦の次は牛窓となっており、下津井は、非常時・臨時のときのみ利用となっていたようですが、記録によると第7回のとき1回だけ寄港したようです。

むかし下津井回船問屋、入館料は無料ですが、受付に記帳してくださいとありました。母屋から入ると、店の間、座敷、茶の間、台所と当時の佇まいをみることができます。また北前船の模型もありました。この母屋を抜けると広い中庭に出ることができます。ここには、今はレストランにも使用されている昔のニシン蔵や下津井の歴史を紹介した、いんふぉめーしょん館などがありました。

本日のコースは、ごく一般的なものですが、まだご覧になっていない方は是非、足を運ばれてはいかがでしょう。他にはない発見があるかもしれませんよ。



島ひとつお土産に欲しい鷲羽山
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