未熟なカメラマン さてものひとりごと

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伊予の小京都・大洲 最終章 ポコペン横丁から大洲城へ

2012-06-16 12:24:21 | 古い町並み

見ているだけで懐かしくなる。(ポコペン横町)

臥龍山荘を堪能したあと、町並みを散策しながら大洲城まで歩いて行くことにしました。まず遭遇したのが、ポコペン横丁なる一角。懐かしい昭和30年代の町並みが少しだけ再現してあります。楽しいお店もいっぱい。子どものころに遊んだ玩具や、琺瑯看板。駄菓子やいろんなこまごましたものが販売されていました。ひときわ目を引くのが、ぺこちゃん人形。ポコペン神社の中にあり、こちらでは、おみくじも引けるようです。この横丁、毎週、日曜日だけの営業です。
そして、その隣にある赤いレンガの建物群が、おおず赤煉瓦館。もと大洲商業銀行です。すでに、百年以上経過しているのに、このようにきれいに残されているのが驚きです。ベンチに座っていると、異国の地に来たような感じです。
このあと、前の通りに出ると、作家司馬良太郎も宿泊したという「油屋」というお店。なかなかの風格です。パンフレットを見ると、地元の食材をたっぷり使った、薬膳スープカレーが売りとか。そして町並みを意識した外観の伊予銀行の前を通り、アーケードのある本町筋の商店街を抜けて大洲城に向かいます。この商店街からは、その姿を望めませんが、しばらく歩くと、これは市民会館でしょうか。斬新な建物ながら、相当、色あせています。そしてその背後にそびえるのが、真っ白い城壁の大洲城です。皮肉なことですが、ここから見ると、市民会館とのコントラストでお城の白壁が際立ってみえます。
 今日は、天気が良いので、のども乾き、石垣のある角のお店の自動販売機で小休止、この石垣もかつてのお城の遺構のようです。
 そして勾配のある坂をゆっくり進むと、やっと天守に着きました。風が吹いてとても心地よい感じがします。このお城、もともと鎌倉末期に築城され、先の天守は慶長年間に建てられたといわれています。
その後、何度か大規模改修されましたが、明治維新の後、場内のほとんどの建築物が破却処分されたそうです。本丸の天守・櫓は一部保存されるも明治21年老朽化により、ついに天守は解体。その後、115年あまりを経て、大洲城を愛する地元住民の寄付により平成16年に復元されたものです。



木造で復元された天守が美しい

一番驚いたのが、木造で復元されていることです。近年のお城の再建というと鉄筋コンクリートしか知りませんが、この大洲城、すべて国産の木材を使用しているそうです。このような太い木材が、現代でもあるのかと、そちらのほうに感心しました。木造でこの高さゆえ、建築基準法にかかったとか。中の階段は、松江城などと同じく、上に行くほど、かなりの急こう配となっています。
天守から見る町並みは爽快です。真下に見える肘川には、鵜飼を見る遊覧船が何艘も係留されていました。大洲は、日本三大鵜飼の町、昼鵜飼もあるそうですので興味も湧きます。ちなみに、日本三大鵜飼とは、1に、岐阜県岐阜市の長良川鵜飼、2.ご当地愛媛県大洲市の肱川鵜飼、3に、大分県日田市の三隅川、といわれていますが、3は諸説あるようです。そしてこの地で最も有名なイベントが、8月下旬から10月下旬の期間、肱川の河原で行われる、いもたきです。その歴史は古く300年の伝統があるそうです。東の空に月が浮かぶ頃、心地よい夜風とともに、鍋を囲んでいただく、さといも、油揚げ、こんにゃく、しいたけ、鶏肉。申し込みは、いもたき登録店で、料金は、1人1500円からで、お酒の持ち込みは自由、となっているようです。各グループ、話は大いに盛り上がり親睦の和がいっそう広がることでしょう。
このあと、まちの駅「あさもや」まで引き返し、大洲をあとにしました。(おわり)



鵜飼と、いもたきは大洲の象徴
コメント
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