今回はあまり読んでません。
結構ばたばたしていたので、思い切りよく、「今回は読まんぞ」と開き直ってた(笑)。
いつものように、17ページの6行目を頭から書き写すのみ。
黄金の丘を君と転げまわりたいのだ ――進め マイワイン道/三浦しをん 岡元麻理恵
飲み物について勉強できません!
星と葬礼/吉村昭
清は、ござの上に靴をぬいで上がりかけたが、右手につかんだ紙幣のはさまった帳面に
鍵・瘋癲老人日記/谷崎潤一郎
ニ「麗しのサブリナ」ヲ見ニ行クト云ッテ、三人デ出カケタ。ソシテ木村ハ六時頃又一緒ニ帰ッ
三浦さんはワインの入門というか、まぁ終始飲んでるわけですが、
やはり彼女の言葉は面白い。
面白いけれど、時間が足りなくて中間から飛ばし読みしてしまいました…。
飛ばし読みしていたくせに、ついつい私もワインを飲もうという気持ちがスパークリング!
家にあったやつを適当に空けてしまった。
一応調べてみたら、
レ・ディフェーザ テヌータ・サン・グイド2009 サッシカイア
という名のワインでした。
吉村さんはそばにあったから。
谷崎さんは…。
いやぁ、驚き。何がって、この本はずっと昔に私が買った文庫なんですけど、
ずぅっとずぅっと、瘋癲=ふうてんと読めてなかった…。ふうてんってフーテン?
瘋癲の寅さん?お、なんだか違うインパクト。あ、ムッシュはつらいよあれ好きよ。
え、じゃなくて、じゃぁなんて読んでいたんだという疑問にお答えすると、
勝手にね、痴呆のなにか難しい漢字表記なのではと。あるいは痛風か癇癪か。
昭和56年の19刷となっているので、そのころから読めてなかったのかなぁ。あははははー。
笑ってごまかしましょう。
で、今回はあまりにも少ないので、
前々回の22で、ネタ枯渇の時にとキープしていたオイアウエ漂流記の話を。
これが荻原浩さんのオイアウエ漂流記。
だいぶ前から読んで見たくて、図書館で探してみても常に誰かが借りていて、書架に在庫がない状況。
あ、この常に誰かがっていうのは、特定の人が延滞延長しているという意味ではありません。
在庫ありのときと、私が図書館に行くときのタイミングがあわないだけということです。
で、5月だったかなぁ、書架にこの本が鎮座しているのを発見。見~つけた。
で、手に取り、どんな内容かなと、ぱらぱらページをめくろうとしたけど、これがめくれないのよ。
本の角の一部が、プレスで圧縮されたように、くっついちゃってるの。
破損とよんでいいのか、傷んでいるわけです。
あぁ、どうしよう…でしょ。
ページの角がくっついていて、そこだけ袋とじみたいになっていて、
これはくっつきをはがさないと読めないしくみになっている。←しくみか?
まるで、週刊誌の袋とじ付録というか、なにかイヤんな内容がつまっていそう。
あれこれその場で考えて、結局借りずに、次の人の対応を待とうと。
しかし、それ以後も図書館に行けども、あの本は角がプレスされたままの状態で棚に鎮座しているわけです。
あぁ、これは、この役割はきっと私に指名されてるんだなと。
この本を私が借りて、私が返却したら、私が本を破損したように疑われそうだとおもいません?
それに、その前に、プレス部分を開こうとして、本当にびりっと破れたりしたら、どうしようでしょ?
で、カウンターにいた職員さん?司書さん?に、プレス部分を見せ、
こんなんなってますけど、これってどうすればいいです?と訊いてみたんです。
すると。
『これはヒドいですねぇ…。(別のきれいな本を)取り寄せましょうか?』
『いいえ、これをこのまま私がはがして読んでもいいものかと思いまして…
(図書館側の処置というものがあるかもしれない)…。』
『それは構いませんが…。しかし、これはひどいですね、犬が噛んだのかもしれませんね』
『い、犬が噛んだですか…?(それを私が指で開くのかい)』
言った以上、犬が噛んだかもといわれても借りてきましたが…。
こんなんなってました。
本当に犬が噛んだのかどうかは、私にはわかりません。
見事に数枚づつ圧力プレスでくっついてて、おそるおそる一枚づつはがし読みしましたわ。
くどいようですが、本当に犬かどうかわかりませんが、
図書館の本や古本って、神経質になっちゃったら最後、もう手に取ることもできなくなっちゃうし。
書店に並べられてる本だって、いろんな人の手が触っているでしょうし。
本以外にも、神経質になったら最後ってのは、身の回りにわんさかありすぎるかも。
ダチョウにも噛まれたし(笑)。
あ、栞の罪と罰はこじつけ面当てではなく、偶然です(笑)。
モラルある人が読んでいるとの前提で借りてますけど、そうでもないのかなぁ。