毎日が夏休み

LEAVES THAT ARE GREEN TURN TO BROWN

現地入り 新たなジャンプ台

2010-03-30 23:55:55 | ジャンプ台放浪記関連





がらがらごごごごごっ…

今まで築き上げてきたシャンツェと自信と確信が惨くも崩れる音。





のっしのっしどすんどすんっ…

歩くジャンプ台の音。





しゅっしゅっしゃきんしゃっき~んっ。

己の再構築の音。



昨日は激しく物事が動いた一日でした。
もう投げ出しちゃおうかなとね。
そこまで参りました状態に。


でもね、
不屈のおっばはぁ~んですから(笑)。






さて。
ここには書いてませんでしたけど、
私の元にありがたいメールが届いていたのです。
それは昔三角山のジャンプ台を飛んだことがあるという方からで。
正確にはジャンパーの息子さんのお嫁さんからです。



もうご厚意にどっぷり甘えさせていただきまして、
記憶の場所とその年代を教えてくださいとメールいたしましたら、
詳しく場所を示した地図と詳細を送ってくださいまして。


で。


その場所と呼ばれていたジャンプ台の名前は初めてでして。
検索かけたら数件ヒットいたしまして。


北大シャンツェ。


ヒットした記事も、
情報提供してくださった地図も、
大倉山の駐車場付近と共通しておりまして。


これは行くしかないっ。
駐車場近辺山肌谷沢探るしかないっ。


でもね、
ちょいと冷静でもまぁないのですが、
この時期いきなり現地入りしてもとね。
その前に大倉山に聞いてみましょうかと。
本当に駐車場に何か昔の形跡が残っているのなら、
天下の大倉山さんですもの、
把握しているに違いないとね。



で、
大倉山に電話いたしまして。
ってお山にもちもちではありませんから←わかってるよってね。


ここから私の持つ星の運でしょか(爆)。
いえ、
メールをいただいた、
あるいは三角山のジャンプ台が気になった、
もっと言えば三角山の近くに居を構えたとこから始まっていたのかもね。


ズレましたが、
電話は思いがけぬ方向に人物に回されまして。
最後に繋がったのは、
大倉山の研究員の方でして。
(私は正直駐車場に繋がると思っておりました)



事情を説明すると、
ありますと。
この研究員さんも昔のジャンプ台を追っていると。
資料を見せてくださると。


…興奮のあまり私得意の勘違いの思い込みをいたしまして。
もうここで私のジャンプ台放浪記にピリオドが打てる、
ついに最終章&完だぜっとね。


もう鼻息荒荒意気揚々でして。
大倉山行くのに三角山の下コースを突っ切りまして、
まぁ慌てて出かけていったのです。


で。


私の早とちりでして。
資料や書物は山ほどあるのですが、
三角山の幻のジャンプ台は幻のままで。
これだけある書物に目を通している研究員さんでさえ、
正しい位置・場所は把握していないと。


さらに「北大シャンツェ」は初めて聞く名前だと…
アルファシャンツェか札幌シャンツェかもしれませんと。
これは私が地図を持参しなかったのがいけなかったのですが、
解決するはずのジャンプ台がさらに謎となりまして…


でもね、
ここはひょっとしたら札幌で一番ジャンプ関連の資料があるかも知れません。
研究員さんもそう言っておりましたし、
北大や中央図書館に無い本も揃っていると。
そして、
いつでもお見せしますよと。


うわぁぁぁぃっ。


おまけで三角山&なまこ山近辺の昔のスキー場の映像、
動く古~い映像を見せてもらいまして。
いやぁ、びっくり。
牧場だったこともあるのでしょうけど、
なだらかな丘陵地帯で周りに何も無いっ。
のどかでした~。



さらにっ。


前から引っかかっていたシルバースロープ、
ここのことを聞いてみましたら…
ごそごそ資料を出してくださいまして。
初めて地図上にシルバースロープと書き込まれているコピーをいただきました。
残念ながらこれは公開禁止となっております。



予定外の情報をいただけたのは嬉しくって嬉しくってなんですけどね。
肝心のジャンプ台、
シルバーシャンツェはまた崩れたし、
札幌・アルファも違う場所、
あるいは北大シャンツェなのかもしれないし…


どうして場所が変わるんだい?
飽きて歩いて移動しているのかい??


結構放心状態に陥りまして。









さすが大倉山は歩いたり動いたりしないっ。


あ、
今日も画像の色へんです。
ご了承くださいっ。







大野精七さんっ。
よみがえってご教示して下されっ。
…あとでまた出てきますからぁ。









放心ながらも調査じゃ、調査っ。

左手端が大倉山。
小さく大なまこと小なまこ。
ピンクのバスが駐車場。
右手が荒井山。







送ってくださった地図には、
この駐車場右半分あたりから下の沢にかけて印がついておりまして。
記入してくださった川は現在はありませんが、
○印、
つまりジャンプ台があった位置は現在ある川の上に印がついておりまして。


…送っていただいた地図を載せれば、
リアリティ&とってもわかりやすいし説明しやすいのですが、
載せてもいいですか?と聞き忘れてしまいましたので…
私の説明で脳をフル回転させてください。



駐車場到着。
係員さんに崖の端まで行くけど心配するなと声をかけ(笑)、
いやだってね、
こりゃ怪しいし心配しますってね。







かなりの急勾配っ。
確かに下に川の気配がするっ。







もっとバスよりから一枚。



でね。
『北大シャンツェのてっぺんから、
荒井山にあるジャンプ台のてっぺんが見えたことを覚えている』


確かにそうなんです。
証言のとおり立っている位置から荒井山ジャンプ台のてっぺんがぽこっと見えている。
地図と証言が合致するんですわ。
削られて地形は変わっているけれど、
きっとここに間違いないっ。



下りよう。
川まで下りて斜面を見上げようっ。
ご安心を。
無茶いたしません。
ちゃんと車道を歩きましたから(笑)。







????。
これだいぶ前に載せたことが。
あの時も???でしたけど現在も???。
ご存知の方教えてください。
遊具?
それともロープのリフトみたいなやつ??







印で示された一番端まで下りてきました。
地図のとおり、川が流れております。







道路(おそらく雪でみえないけど橋)の向こう側、
私の背中側。
地図でいうなら宮の森4条13ー5エリア。








斜面を見上げてみる。








少し宮の森4条12側に移動。

…ここだ。
きっとここだ。
画面左に写っている先ほどのピンクのバス、
あそこの駐車場が削られる前の斜面のもっと上のほうから、
この急勾配を滑り踏み切り飛んでいたに違いない。

ここが、
『北大生がよく飛んでいた』北大シャンツェでは。
昭和26~27年に飛んだ記憶だそうです。


しっかりとした裏付けをとりたいのですけどね、
それを調べるとなるとまたかなりの時間と資料が必要となります。
これだけの記憶と現地の一致ですから、
私はここが北大シャンツェ跡なのだと思います。


後日、
何か違う資料が出てきたならその時にまた訂正なり加筆なりいたします。









でたっ、見つけたっ、12軒の文字。
ただし電信柱はコンクリート製。
となると、
そこまで古くないのかな??
S59?あ、これか。
1984年だから26年前。
なんだ、娘と歳近いってね(笑)。








でたっ、宮の森4条12丁目。
これもあとで出ますので。









嬉しいのと感激感動と、
それとはまるっきり逆方向の気持ちも動きましてね。
北大シャンツェ=札幌orアルファシャンツェだったとしたら…
今まで調べたのが音を立てて崩れてきましてね。


放心の余り何度ずぼぼしたことか…
まさに荒野を彷徨う図でして(笑)。








おまけにここを渡れとな。
プチ渡渉っ。
キーンは滲みないっ。ワンダホーっ。








waters of March
明日のあちらはこれだな。








踏んだっ。











花よりもりもと。
空腹過ぎて直行してしまいましたわ(笑)。
もうね、
歩きながら放心しているくせに『ちくわパン食べたい…』でして(笑)。
それも『ちくわパン2本並列一気食いしたい…』でして。
すっごい空腹でしたわ(笑)。
ザックから何か出すよりちくわパンっ。



でね…


帰宅して空腹を満たしてもね…
なんだか崩れたまんまの状態でして…
札幌シャンツェは何処行った?
アルファシャンツェは何処行った??
研究員さんはなんて言った??


シルバーは違うのは納得したけれど…


ここで協力要請を強制的にかけまして。
先ほどの4条12丁目。
以前ここが怪しいと言っていた人がいる…


さて名前を出してもいいのかな?
出さなくてもきっとみなさんご存知だと。


ほんと、
地形とか地質のプロでスーパーマンで私尊敬しているんです。
意外といい人だし。
いえ、
真面目に私は何度救ってもらっていることか。


まさに急襲なのに快く応じてくれまして。
集めた資料を持ち込み、
今日の経緯を説明し、
まぁプロですわ…

私が見てもちんぷんかんなやつをスラスラ解いてくれまして。
おまけに集めた資料から、
北大シャンツェは、
古い3つのジャンプ台とは別で、新たにできていたジャンプ台だろうと。
確かに時代が違いすぎるし、
木のやぐらのジャンプ台が30年近く残っていて使用可とは考え難いわよね。



これってね、
誰か他の人にうんと言ってもらえると、
すっごく自信が湧くんですわ。
やっぱり正しかったんだとね。








この大学シャンツェは北大シャンツェと同じでは。
ちなみにジルバシャンツェも出てきまして。
シルバーシャンツェと同じものだと思いたいのですけど(笑)。








深田久弥著 わが山山 雪の札幌付近

この中にちらっと三角山という言葉でてきます。
もちろん目の前の三角山ね。
で、
北大のシャンツェで飛ぶのを見たという一文が載っております。
昭和9年発行ですから、
北大シャンツェと決め付けるのは無茶かな(笑)。
「その次に大倉シャンツェに行ってみて驚いた。」と。
深田久弥さんの驚く姿、見てみたかったです(笑)。







先ほどのよみがえれの大野精七さんの本。
「北海道のスキーと共に」
これがいろいろと言葉が出てきております。
【スキー部大会、三角山頂上往復ディスタンスレースを行なう。
 スタート、ゴール共にシルバースロープでコースは自由であった】
大正10年のようです。
なんだかロマンだなぁ…


北大の本はこれから。
新しい本はもう同じことしか出てこないんですわ。
この2冊と今日借りてきた数冊。
これで区切りとしましょかなと。
あとは地図と古い新聞でしょね。



そこまで私の気力とモチベーションを維持できるかが問題なんですけど(笑)。


とことん長くなりました。
お付き合いくださりありがとうございます。


情報提供してくださったKさんとお嫁さん、
ありがとうございました。
あの画像見てもらえたら嬉しいのですけど。
場所、記憶と一致するでしょか。
今はこんな風になっております。
当時の面影は…いかがでしょうか。


それから緊急協力お願いした尊敬する私の友人。
昨夜はあのままだと潰れましたね、私。
何度救ってもらっていることか。
ありがとうございます。
その後も三日間頑張ってみるをおでこに貼ってます(笑)。