写真はテンペレートハウス。ちょうどキューガーデン内をめぐるツアーの人々が到着。歩くのが苦手な人は、ツアーなどを利用するのもおすすめ。
【160年前からあるテンペレートハウス】
パームハウスから道にそって南西へ進むとまたもやガラス張りの巨大な温室がありました。先ほどの丸みを帯びた温室と違って、こちらはカクカクとした宮殿風です。テンペレートハウスです。テンペレートは温帯を指すので、文字通り温帯植物の温室です。一般公開が始まったのがやはりヴィクトリア朝の1863年。その後36年かけて今の形となりました。設計者パームハウスと同じデジマス・バートン。
なかでは野生種の稲や赤米などが見事に実っていました。
ガラスがきらりと光っていて白亜の宮殿のようだ、とその美しさに感嘆していたのですが、私が行った2019年7月14日は大規模な改修作業を終えて再オープンして1年2か月がたったころだとわかりました。100年以上たったこの建物にサッカー場4面を軽く塗れる5280リットルの白ペンキを塗ったりなど5年をかけていたのです。
【西本願寺の勅使門】
さらにずんずん南西へと進むと、高い木々と灌木がうっそうと茂る(けど下草は刈られていて歩きやすい)不思議な空間がありました。案内表示には
「日本庭園(Japanese Landscape at Kew)」
と書かれています。
奥に進むと西本願寺が1910年に出品した勅使門と灯籠がうやうやしくそびえていました(ロンドンで開催された日英展)。あまりの迫力に日本の寺で使われた本物を移築したのではと思っていたのですが、案内板によると1910年に5分の4スケールで新たに造られたものでした。総桧木造りでヒノキ皮拭きの屋根、欄間や羽目板には華麗な彫刻とまことに豪勢です。
この時期の西本願寺の法主は大谷光瑞。シルクロードなどの探検で有名な大谷探検隊を企画し、主導した人物です。世界に日本が負けぬ威光をとどろかせようと、文化的にさかんに活動していた時期なので、そのような歴史的背景に思いを馳せると感慨ぶかいものがあります。
キューガーデンには博覧会終了後すぐに移築されました。1994年から修繕され1996年に再お目見え。周囲には桜やつつじなど日本由来の植物が植えられていました。
【アジアンワールドも】
勅使門からほど近い場所にはさらに中国園。立派な楼閣が聳え立っています。近くの森にはパゴダもありました。ロンドン由来のアジア関連の建築物が一気に置かれている印象です。これらが広い広い森に点在し、小鳥たちが軽やかにあちらこちらへ飛び回っていました。
(つづく)
※次週の更新はお休みします。ぐぐっと日差しが強くなってきました。熱中症には気を付けたいですね。私もスマホをうっかり日差しのある机においたら、熱くなりすぎて、危なくなっておりました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます