たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

初めて、信濃國一之宮「諏訪大社」に参詣してきました

2020-02-21 13:58:00 | 国内旅行

たにしの爺、生国は信濃國で、信濃国分寺の近くでした。
昨秋の台風19号で氾濫した千曲川も近くに流れています。

JRでのアクセスは上野駅から信越線で碓氷峠越えです。
軽井沢、小諸、上田、長野・善光寺、志賀高原方面です
今では東京駅から上越新幹線であっという間に着きます。

信濃國に入るには、もう一つJR中央線があります。
諏訪、岡谷、松本・上高地、大町、穂高方面です。

♪♪「8時ちょうどのあずさ2号で」
私は、私は、あなたから旅立ちます♪♪
狩人の歌で知られる新宿発「あずさ」で行く信濃路です。

東京、京浜、京葉地区に出た長野県人には、
信越線派と中央線派に分かれます。
高速道路でも上信越道と中央道派に分かれます。

信越線派だった「たにしの爺」には、
諏訪、岡谷方面には縁が少ないです。
はじめて上諏訪駅に降り立ちました。
駅隣りにある「観光案内所」に伺い、
「諏訪大社」参詣案内を乞いました。

神社は4カ所、離れた場所にあります。
全部回りますか、と聞かれ、
「歩いて行けますか」
行けないことはありませんが、遠いですという。

明日帰る予定の高速バスの時間など勘案して、
下諏訪にある「下社春宮」と「下社秋宮」の二社を回り、
茅野市方面にある「上社本宮」と「上社前宮」は、
いつかの機会にしようということになりました。

「御柱祭の神事」で全国に知られている「諏訪大社」について、
諏訪湖の周辺にあって4箇所の境内地をもつ神社で、
信濃國一之宮。全国にある諏訪神社総本社でもあり、
国内にある最も古い神社の一つ、だという。

諏訪大社には本殿とされる建物はなく、
代りに「秋宮」は一位の木を「春宮」は杉の木を御神木とし、
「上社」は御山を御神体として拝して居ることを知りました。


下諏訪駅前

翌朝、上諏訪駅から下諏訪駅に移動して、
駅構内の案内所の街歩きガイドに従って、
まず、「下社春宮」への道を辿りました。



駅前通りから「中山道」に出て左折し「相楽塚(魁塚)」。
維新の魁となった赤報隊の隊長、相楽総三を祀っている。
続いて「大灯篭」、大門通りに入る「春宮大門」の鳥居。





800mほど歩くと道の中央に「下馬橋」がデーンとあります。
「下社」最古の木造建築物で、屋根付きの太鼓橋です。



「諏訪大社下社・春宮」の大鳥居が目の前に立っていました。
境内に入りますとまず、「神楽殿」そして祭礼を行う「幣拝殿」





右側に一の柱、左側に二の柱の御柱が屹立しています。
さらに奥には御神木の杉の古木と二つの宝殿、左右に三の柱、四の柱。
この辺は神域で入ることも見えることありません。
四社のひとつ「春宮」を拝しました。



神社の裏手に岡本太郎画伯が知らしめた石仏として、
評判になっている「万治の石仏」を見に行きました。
赤い橋を渡ると岡本画伯の書による石碑もあります。



この「万治の石仏」さまざまな謎を生ずる石仏だという。
胸には逆卍や雷・太陽、雲、月など曼荼羅が彫られている。
お参りについての指標がありました。

「正面で一礼する」→「よろずおさまりますように」心で念ずる。
石仏の周りを、願い事を心で唱えながら、時計回りに3周する。
正面に戻り「よろずおさまりました」と唱え一礼する。

たにしの爺も指標通りに念じました。
「よろずおさまりました」と一礼しましたが、
何が収まったのか、まったく実感がありません。
まあ、何かが「収まって」安定したのだと思っています。



この後、中山道を20分ほど歩き「秋宮」に向かいました。
諏訪宿本陣や幕末に皇女和宮が泊ったという宿屋や、
甲州道中と中山道の合流地点の先に「秋宮」がありました。
「春宮」に比して境内の規模が大きいです。





神域への門、大きな鳥居を潜ると、
青銅製では日本一の大きさと言われる「狛犬」が鎮座し、
出雲大社型の太い注連縄の飾られた神楽殿がありました。



その奥には荘厳な見事な彫刻に彩られた幣拝殿があり、
両脇に一の柱、二の柱。さらに奥には対の宝殿、ご神木、
三の柱、四の柱と御柱が建っています。(よく見えません)
「春宮」と同じ配列ですが規模が大きいです。



「総本社諏訪大社神符」を買い求めました。
門前にある「山猫亭本店」でそばランチを摂りました。
その後、新宿行き、高速バスのバス停に向かいました。