たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

戦後70年目、ヒロシマ、ナガサキの原爆の日

2015-08-10 17:08:25 | Nationalism

鎌ケ谷市役所に集い黙祷と献花で平和を祈念

鎌ケ谷市役所には「非核・非戦」の思いが込められた記念像と祈念碑があります。
市庁舎前広場に立つ平和記念像「かたぐるま」。写真右
「広島市庁舎の敷石・信用金庫敷石」の被爆石をはめ込んだ「平和祈念碑」。写真左



1984(昭和59)年7月2日、鎌ヶ谷市は核兵器の廃絶と軍備縮小を訴え、
さらに世界の恒久平和を実現していくため、「非核平和都市宣言」をしました。
平和を願う市民の声を背景に市議会で採択されたものです。
核兵器廃絶を求める平和宣言都市としては、
千葉県では習志野市、四街道市に次いで3番目でした。



その翌年に母子が安らぐ平和な社会を願い、
平和記念像「かたぐるま」を市役所庁舎前広場に建立しました。
1991(平成3)年には、広島市から寄贈を受けた、
「広島市庁舎の敷石・信用金庫敷石」の被爆石をはめ込んだ「平和祈念碑」が設置されました。



6日のヒロシマ原爆の日、9日長崎原爆の日には、
「非核・平和を祈念する市民の集い」の呼びかけによる黙祷・献花が行われました。
たにしの爺も参加して黙祷・献花をして「非戦の誓い」をしてきました。



6日朝、原爆投下の時刻8時15分に合わせ「平和祈念碑」の前で黙祷と献花、
世界で初めて核兵器の惨禍に見舞われた犠牲者に、
「非核・平和」の誓いを捧げました。



黙祷に先立ち、呼びかけ人の一人が「鎌ケ谷市・非核平和歳宣言」を朗読しました。
広島での被爆体験を持つ「鎌ケ谷市原爆被爆者折鶴会」の小中武志会長(84歳)から、
身近な人々の苦悶の死、被爆者の苦しみを語り、
「二度と絶対に戦争はしてはならない」と話されました。



長崎被爆の9日は11時2分の長崎被爆時刻に、
「平和祈念像・かたぐるま」の前で黙祷・献花を行ない、
猛暑の中、「非核・平和」を祷りました。



6日と同様、「非核平和歳宣言」「原爆詩集」朗読のあと、
小中武志さんの被爆体験と長崎医大で被爆した永井隆博士の業績を紹介し、
モデルとなった歌「長崎の鐘」の2番を歌唱しました。
炎暑の市役所前の広場に小中さんの大きな歌声が流れ、
辺りが静まり返りました。



「長崎の鐘」(サトウハチロー作詞)2、召されて妻は天国へ/別れてひとり旅立ちぬ
/かたみに残るロザリオの/鎖に白きわが涙
/なぐさめ はげまし 長崎の/ああ 長崎の鐘が鳴る

筆者が3年前に長崎を訪れた際、
案内してくれた若いバスガイドさんが、
永井博士の「この子残して」の抜粋朗読と、
この歌の2番を透明感のある声で静に歌唱したシーンが思い出され、
鎌ケ谷市役所から長崎原爆の「平和祈念像」が浮かびました。

■ 非核平和都市宣言
世界の恒久平和と安全は、人類共通の念願であり、
人類が尊重しなければならない普遍的な理念である。
この崇高な目的の達成なくして、
鎌ケ谷市のめざしている「自然と調和した住みよい街づくり」の実現もあり得ない。
わが国は世界唯一の核被爆国として被爆の恐ろしさ、被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、
再びこの地球上に核兵器による惨禍を繰り返させてはならない。
私たち鎌ケ谷市民は、生命の尊厳を深く認識し非核三原則が完全実施されることを願い、
平和を愛する世界の人々とともに核兵器の廃絶と軍縮を訴え、
世界の恒久平和を実現することを決意する。
ここに鎌ケ谷市を非核平和都市とすることを宣言する。
1984年7月2日 千葉県鎌ケ谷市

戦後70年、2015年の祷りの八月、
安倍政権が進める一連の「安全保障法制」による「平和の危機」に対し、
国民の「非戦」の思いが強く広がる夏になりました。