たにしのアブク 風綴り

86歳・たにしの爺。独り徘徊と追慕の日々は永い。

落葉松林、天空の露天に吹く、浅間展望の風

2006-05-08 12:51:48 | Lyricism

郷里に慶事があり軽井沢、小諸をまわった。
一夜、浅間高原山ろくの温泉宿に泊まった。
蓼科連峰を望む天空の露天風呂を満喫した。

ウン十年か前になる、高校一年の最初の国語の授業。
担任教師が島崎藤村の「落梅集」冒頭の自序を黒板に書付け、
新体詩の曙を謳う藤村詩集から授業が始まったことを、覚えている。

「遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。
 そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の預言者の如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばゝり、いづれも明光と新聲と空想とに醉へるがごとくなりき。
 うらわかき想像は長き眠りより覺めて、民俗の言葉を飾れり。
 傳説はふたゝびよみがへりぬ。自然はふたゝび新しき色を帶びぬ。」
(以下略)





千曲川旅情の歌 
      島崎 藤村

小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る

あたたかき光はあれど
野に満つる香りも知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色はつかに青し
旅人の群はいくつか
畑中の道を急ぎぬ

暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む