一夜、浅間高原山ろくの温泉宿に泊まった。
蓼科連峰を望む天空の露天風呂を満喫した。
ウン十年か前になる、高校一年の最初の国語の授業。
担任教師が島崎藤村の「落梅集」冒頭の自序を黒板に書付け、
新体詩の曙を謳う藤村詩集から授業が始まったことを、覚えている。
「遂に、新しき詩歌の時は來りぬ。
そはうつくしき曙のごとくなりき。あるものは古の預言者の如く叫び、あるものは西の詩人のごとくに呼ばゝり、いづれも明光と新聲と空想とに醉へるがごとくなりき。
うらわかき想像は長き眠りより覺めて、民俗の言葉を飾れり。
傳説はふたゝびよみがへりぬ。自然はふたゝび新しき色を帶びぬ。」(以下略)
千曲川旅情の歌
島崎 藤村
小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ
緑なすはこべは萌えず
若草も藉(し)くによしなし
しろがねの衾の岡辺
日に溶けて淡雪流る
あたたかき光はあれど
野に満つる香りも知らず
浅くのみ春は霞みて
麦の色はつかに青し
旅人の群はいくつか
畑中の道を急ぎぬ
暮れ行けば浅間も見えず
歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の
岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて
草枕しばし慰む