この月のルーマニアの田舎で、クリスマスまでに伝統的に行われるのが豚の解体。もちろん年中を通して豚を普通に食べているので、食するためには解体が必要。でも、12月のこのクリスマス時期、長いあいだしっかり世話をして太らせた豚を、生命に感謝しつつ人々の食用にするのは、特別な行事なのです。
生前の姿。
昇天した豚にバーナーの火を吹きつけ、体毛をきれいに焼き取ります。
ここから、解体が始まります。
雪寒いの中だから出来る時間のかかる作業。命あっての豚からもらったこの素材、小さな部位をも無駄にしないよう、家族の保存食として、大切に手作業で行われます。
この伝統行事としての解体、EU加盟に際して「残酷だからやめろ=。」という批判もありました。とはいえ、豚を食するのは、イスラム教徒以外、世界のあちこちで。豚の命をもらいながらの、人間の営みなのです。
豚の皮はソリチ(sorici)、しっかり燻したものをそのまま細長く切ってオードブルに。コリコリとした食感、脂っぽくもなく美味しくいただけます。そして油身はスラリナ(slănină)、これはすこし火であぶって口に含むと、トロ~リ、脂本来の甘みを味わえます。そして肉の部分は燻製やソーセージ・サラミにしたりして、長持ちさせる工夫を。ソーセージの皮に臓物の皮が使われたりします。塩味が効いた豚肉のハムはşuncă(シュンカ)、スーパーなどでも手軽に入手できるもの。
大切にいただくからこそ、豚の命も成仏します~こちらの写真は、那覇の市場にて(2006年)。豚料理の伝統といえば沖縄にも。
記事中の写真(ハイビスカスで飾られた豚以外)は、マイダーリンより。友人の田舎での解体作業。
関連記事:
「まだまだ続く、豚一頭のご馳走」は、こちらから。
ランニング部門⇔⇔⇔
↑↑関連ブログがいっぱい↑↑
↑↑いつもご声援ありがとうございますm(__)m↑↑
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昇天した豚にバーナーの火を吹きつけ、体毛をきれいに焼き取ります。
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この伝統行事としての解体、EU加盟に際して「残酷だからやめろ=。」という批判もありました。とはいえ、豚を食するのは、イスラム教徒以外、世界のあちこちで。豚の命をもらいながらの、人間の営みなのです。
豚の皮はソリチ(sorici)、しっかり燻したものをそのまま細長く切ってオードブルに。コリコリとした食感、脂っぽくもなく美味しくいただけます。そして油身はスラリナ(slănină)、これはすこし火であぶって口に含むと、トロ~リ、脂本来の甘みを味わえます。そして肉の部分は燻製やソーセージ・サラミにしたりして、長持ちさせる工夫を。ソーセージの皮に臓物の皮が使われたりします。塩味が効いた豚肉のハムはşuncă(シュンカ)、スーパーなどでも手軽に入手できるもの。
大切にいただくからこそ、豚の命も成仏します~こちらの写真は、那覇の市場にて(2006年)。豚料理の伝統といえば沖縄にも。
記事中の写真(ハイビスカスで飾られた豚以外)は、マイダーリンより。友人の田舎での解体作業。
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見るに堪えず足早に走り過ぎましたけどね
マドモワゼル・ヒロコさん☆
日本のマリータです。
豚の解体!
そうですね。
人々の華やかなクリスマスの裏では、
失われてる命もあるということを、
忘れてはいけないですよね。
こういう記事も大切だと思います。
食卓は動物の死体だらけだ。
食べられるって事は、
感謝しなきゃいけないですね。
そうなんですけど・・
ちょっと
よわいんです・・
メリークリスマス
>見るに堪えず
だと思います。
ほら、アイロンマンさんに案内してもらった香港の市場、鶏が首を握られて今にもかっ切られるその瞬間、わたしは目を閉じてしまいました。
豚も鳥も牛も、みんなこうして命を人間に捧げてくれているのですね。
わたしもこんなふうに思ったりすること、あります。食卓に上がるのは、死んだ動物の肉だ、もっと的確にいうと、人間が殺した動物の肉だ、と。
食べる、ということに感謝です。
その気持ちが大切なのですね。
そしてその大変な作業をしてくれる人たちにも。
日々の食卓に感謝です。
でも、そのうち、またおいしい豚肉を食べたくなって、命を落とした豚さんに感謝しつつ、大切に一切れ残さず、食べるだろうと思います。