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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



昨日に続き、唯川 恵さんの小説から、あまり知られていなかったエベレスト女子登山隊のエピソードを、満開の時期に靭公園で撮影した桜の写真と一緒に紹介しましょう。

<その夜、明子(隊長)と淳子(副隊長)は(二人だけの)テントに入った。「田名部(淳子)さん、勝手をして本当にごめんなさい。田名部さんが納得していないのはよくわかっている。あなたを裏切るようなことをして、本当に悪かったと思っている」謝る明子に、淳子は膝をすすめ>

<「隊長を信じてここまできました。でも、今回の件だけは納得することができません。せめて、先に私にだけでも打ち明けて欲しかった。そうすれば隊員達にもうまく説明できて、動揺も少しは鎮められたはずです」>

<「みんなには話せなかったけど、実は子供たちなの。個人的なことだから言い訳にはならないけれど、子供たちはまだ小6と小3と小さくて、父親の事故に精神的に追い詰められてしまってね、家の近くに頼れる親戚もなくて切羽詰まった手紙が届いたの>

<子供たちというのは明子が結婚した相手の先妻の子だ。「電話だけしておこうと思ってカトマンズまで下りて電話したら、電話口で泣かれちゃって、とても普通の状態じゃなかった。そんな子供たちの様子に帰れないとはどうしても言えなくて>

<帰国の理由が淳子はようやく理解できた。なさぬなかの子供たちだからこそ、明子は放っておけなかったのだ。「ちゃんと事情を手紙にして田名部さんに渡してもらおうとも考えたの。でも理由を知れば田名部さんは、私を守ろうとする発言をするかも知れない。そこで話がこじれて、副隊長と隊員との対立に繋がるかも知れない。それだけは避けたかった。隊員達の信頼を失うのは私一人でいい。だから何も言わずに帰国したの」・・明子らしい判断だった>

小説の前段には3年前のエピソードが描写されていました。明子がためらいがちに切り出した。「実はね、私・・・結婚しようと思っているんだ。相手は以前所属していた山岳会の先輩で、数年前に奥さんを病気で亡くされて、小学校のお子さんが二人いるの」40歳、結婚は明子にとって人生の大きな決断に違いない。淳子は「おめでとうございます。素敵じゃあないですか」「ただ彼は奈良に住んでいるの。だから結婚したらそっちに引っ越さなくちゃあならないのよ」・「えっ!」>

1975年エベレスト登頂に成功した女子登山隊は、副隊長の田部井淳子さんばかりが目立って、隊長の影が薄いと思っていましたが、やっとその理由が判りました。隊長はこのエピソードに触れられたくなかったのでしょうね。

しかし、1975年当時、エベレスト近くの標高3860mの場所から日本の奈良まで、たった5日間で往復した行動力、そのあとも隊をまとめ、最後にエベレスト登頂を果たした明子隊長は凄いですね。エベレスト女性初登頂成功は、この隊長がいたからでしょう。エベレスト日本女子登山隊記録「私たちのエベレスト」に同じエピソードが記載されているので、小説はほぼ事実でしょう。

参考文献:淳子のてっぺん 唯川 恵 著  「私たちのエベレスト 女子初登頂の全記録」日本女子登山隊著 読売新聞社

 



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