最近読んだ「評伝・笹川良一」の中からA州戦犯として収容された巣鴨プリズンの中での笹川良一(1899~1995年)を、近所のチュウヒの写真と一緒に紹介しましょう。
国粋大衆党総裁として日本の侵略戦争と国家主義を推進したことからA級戦犯となり、巣鴨に収容された笹川は当時46歳の若さでした。
一方、笹川が居住する棟には、元帥陸軍大将梨本宮(63歳)、陸軍大将東条英機(61歳)、陸軍大将真崎甚三郎(69歳)、司法大臣岩村通世(62歳)、同松坂広政(61歳)、内務大臣後藤文夫(61歳)などの大将大臣その他の大物が60人近くいたそうです。
笹川の巣鴨日記には<猫(?)にも衣装という諺のごとく、大将・大臣の金ぴか(衣装)を着せれば偉いように見えるが、獄にぶちこんで裸にすれば大した人はいない>
<今日は東条さんが(給食の)飯の盛役だ。70歳以下(の入獄者)は皆、掃除に至るまで回り番ですることになっていた>が、笹川良一は巣鴨プリズンの主任者と交渉して
<一切僕(笹川)の他、50歳以下の者でやる事にした。(本来70歳以下全員が持ち回りでやる)風呂、廊下の掃除からドアの金物磨きもやった。>
(かつては高位高官だった老人を惨めな仕事から解放したあげられたという)<徳を積むことができて何より嬉しい。老人に仕事をさせては我々若い者の恥辱である>
46歳という若い笹川良一がA級戦犯に指名されたことで、交流のあった外務大臣重光葵(58歳)は、「今回の御遭難は同情に堪えません。但しいよいよ帝国最高指導者の仲間入りをし、金看板を揚げられたること、何となく賑やかにも感ぜられ」という笹川宛の手紙を書いています。
笹川良一は、巣鴨プリズンで多くの大物政治家と知り合い、その人脈を活用しながら戦後モーターボート競走会・日本船舶振興会(現日本財団)等を設立、海外では社会奉仕活動家として高く評価される人物にのし上がったのです。<徳を積むことができて何より嬉しい。老人に仕事をさせては我々若い者の恥辱である>この行動が大物達の琴線に触れ、その成功の要因となったのかも知れません。
参考文献:評伝 笹川良一 伊藤 隆著