1960年頃までの船場地区は、本町通りに面して丸紅や伊藤忠など大企業のビル、本町通りから3ブロック南側の唐物町1~4丁目、北久太郎町1~4丁目は、小さな繊維問屋が千数百軒も並ぶ雑然とした場所であった。
御堂筋に面した9号館
その場所を区画整理し地下に地下鉄、地上に中央大通りと長大ビル、ビルの屋上に高速道路を建設する大計画が1963年頃から持ち上がっている。
ビルの横断面図
その経緯は、御堂筋に面した9号館の西面の壁にある「中央大通船場地区貫通の記」というプレートに中馬馨元市長(市長在任1963~1971年)の筆で明記されている。
プレート
その船場センタービルは、10分割されて建設されることになり、2~6号館が1967年~1969年、1号館と7~10号館が1968年~1970年に建築され、地下鉄中央線本町駅と堺筋本町駅も1969年に完成している。
ビルの縦断面図
地下鉄本町駅と堺筋本町駅間、全長930メートルもあるとされる船場センタービルは、幅58mの御堂筋と38mの堺筋によって分断されているので、その部分を差し引くと合計の長さは834mである。
10号館を西から見る
3ブロックのうち、堺筋の東側にある船場センタービル1~3号館は、長さ226m、堺筋から御堂筋までの間にある4~9号館は513m、御堂筋の西にある10号館が95mという。
9号館から4号館は513mの連続した建物である
従って船場センタービル3ブロックを、仮に垂直に建てれば高さ834mの超高層ビルに相当するが、この巨大ビルが1970年大阪万博の前には既に完成していたというのでビックリする。
長さ834mもある建物の1階部分は、7箇所に渡って道路が貫通しているので、1階を通行する人は、建物の中から一旦外に出て信号のある横断歩道を渡る必要がある。
御堂筋で分断された9号館と10号館
しかし地下1,2階と地上2,3階にある通路は、道路で切断されていないので本町界隈における東西の移動には非常に便利なアクセス通路となっている。
地下の問屋街
現在1~3号館は世界のブランド品を取り扱う「舶来マート」、4~10号館の地下階と地上1,2階は繊維問屋やファッション関係のショップが並び、地下の一部は庶民的な飲食店街となっている。
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