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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



織田作之助の小説、夫婦善哉は、貧しい天婦羅屋の娘、蝶子が曽根崎新地のお茶屋におちょぼ(芸者の下地ツ子)となり、持ち前の陽気好きの気性が環境に染まって芸者になったとこから始まります。・・・法善寺境内

一方、安化粧品問屋の息子で妻子のある柳吉は、蝶子の馴染みとなったことで実家を勘当され、蝶子と一緒に生活を始めますが、ぼんぼん育ちのためか全く生活力の無い人物でした。・・・水掛け不動

二人はさんざん苦労した挙句、最後に柳吉の父親の葬式という展開となります。その最後の部分に法善寺の夫婦善哉が出てくるので紹介しましょう。・・・法善寺の提灯

 

<十日経ち、柳吉はひょっこり「サロン蝶柳」(注:主人公蝶子と柳吉が始めた店)に戻ってきた。行方を晦ましたには作戦や、養子(注:柳吉の父親の始めた問屋を継ぐこととなった柳吉の妹婿)に蝶子と別れたと見せかけて金を取る肚やった、親父が死ねば当然遺産の分け前に与らねば損や、そう思うて、わざと(注:柳吉の父親の)葬式にも呼ばなかったと言った。>・・・水掛け不動参拝者の行列

 

<蝶子は本当だと思った。柳吉は、「どや、なんぞ、う、う、うまいもん食いに行こか」(注:柳吉には軽い吃音障害がある)と蝶子を誘った。>・・・今もある夫婦善哉

 

<法善寺境内の「めおとぜんざい」に行った。道頓堀からの通路と千日前からの通路の角に当たっているところに古びたお多福人形が据えられ、その前に「めおとぜんざい」と書いた赤い大提灯がぶら下がっているのを見ると、しみじみと夫婦で行く店らしかった。>・・・夫婦善哉の内部

 

<おまけに、ぜんざいを注文すると、女夫(めおと)の意味で一人に二杯ずつ持ってきた。碁盤の目の敷畳に腰をかけ、スウスウと高い音を立てて啜りながら柳吉は言った。「こ、こ、ここの善哉はなんで、二、二、二杯ずつ持って来るか知ってるか、知らんやろ」>・・・夫婦善哉800円

 

<「こら昔なんとか大夫ちゅう浄瑠璃のお師匠はんがひらいた店でな、一杯山盛にするより、ちょっとずつ二杯にする方が沢山(ぎょうさん)入っているように見えるやろ、そこをうまいこと考えよったのや」>(注:明治16年竹本琴太夫が創業)・・・おたふく人形

 

<蝶子は「一人より女夫(めおと)の方が良えいうことでっしゃろ」ぽんと襟を突き上げると肩が大きく揺れた。蝶子はめっきり肥えて、そこの座布団が尻にかくれるくらいであった。>・・・おたふく人形拡大

経営者は変わったようですが、昭和14年(1939年)に発表した織田作之助の小説にあるぜんざい屋が今も大阪に残っているのは素晴らしいと思います。



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