百済寺の北に位置する金剛輪寺は、奈良時代の僧行基(668~749年)の開創と伝えられていて、行基のことは以前久米田池の開削のことで紹介したことがある。
行基がこの地に寺を建立したのは、東大寺大仏造営の勧進事業の直前、737年から741年頃のこととされているので、金剛輪寺は建立以来1260年以上の歴史を有していることとなる。
創建から100年以上を経た851年頃、天台宗の高僧・慈覚大師、円仁によって再興されたと伝えられ、金剛輪寺では円仁を中興の祖としているという。
またこの地区は、かつて秦川村と呼ばれていたことから、湖東を開墾に来た渡来系氏族である秦氏と関係があるとみられている。
1183年には、源義経が木曽義仲追討に際して金剛輪寺に武運必勝を祈願して太刀を寄進しているので当時も湖東を代表する大寺院であったようである。
鎌倉幕府を震撼させた元寇の際には、近江守護の佐々木頼綱が元軍降伏の祈祷をあげ、元軍が大敗したお礼にと1288年に荒れた本堂を再興したという。
今も本堂内にある須弥壇の金具に弘安11年(1288年)の銘が残り、築後719年を経た本堂は国宝に指定されている。
1573年、織田信長の兵火で百済寺が全焼したときに金剛輪寺も被害を受けているが、現存の本堂、三重塔は寺僧の懸命の尽力で焼失をまぬがれたらしい。
聖観音という大きな提灯がある黒門から参道に入り、少し歩いた左側が金剛輪寺の本坊明寿院である。
明寿院の中には桃山時代から江戸時代にかけて整備された池泉回遊式庭園があり、各種のモミジがさまざまな色に紅葉していて綺麗である。
明寿院から両側に小さな地蔵の置かれた参道を数百メートル上った地点に重要文化財の二天門、国宝の本堂、重要文化財の三重塔がある。
本堂前のモミジ
二天門は、建築様式から室町時代末期(16世紀初頭)の建築と推定され、元来は2階建て門だったが、近世に2階部分が取り払われたようである。
三重塔は、本堂の北側の一段高い場所に建っていて、寺伝では1246年の建立というが、様式的には南北朝時代~室町時代の建築とみられ、現在の塔は1975年~1978年に復元されたものである。
それにしても晩秋の湖東三山は、晴れていたかと思うとすぐ雨という実に不安定な天候であったので、折角撮った写真が醜いものとなってしまった。
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殆ど雨でしたが、西明寺、百済寺の紅葉もこのブログで紹介していますので、覗いてみて下さい。
また、湖東三山に縁の深い近江守護の佐々木氏についてもちょっと調べてみましたのでブログに書くつもりです。
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