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ROSSさんの大阪ハクナマタタ



1614年、二代将軍徳川秀忠と江(浅井長政の三女)とのあいだに生まれた徳川和子(当時8歳)は、後水尾天皇(当時19歳)の女御(後に中宮)として入内することが決定しています。・・・真夏の花といえばサルスベリ

当時の天皇家には、五摂家をはじめとする藤原家からの入内が慣例だったので、徳川家からの公武合体の要求に朝廷内部はかなり紛糾したのではないでしょうか。・・・ピンクのサルスベリ

五摂家とは、朝廷の最高官となる摂政、関白の地位につける近衛、鷹司、九条、一条、二条の五家のことで、後水尾天皇の生母も近衛前久の娘(後陽成天皇の女御、中和門院)でした。・・・白いサルスベリ

1610年の後水尾天皇元服時の関白は、九条幸家(忠栄、当時25歳)で、その妻は、豊臣秀吉の養女の豊臣完子(当時19歳)です。・・・ヒマワリのツボミ

豊臣完子の父は、秀吉の甥に当たる豊臣秀勝(秀次の弟)、完子の母は、後に秀忠と再婚して徳川和子を生んだ江(浅井長政の三女、1610年当時38歳)でした。・・・真夏の花の代表は、やはりヒマワリでしょう。

つまり豊臣完子と徳川和子は、同母、異父の姉妹、義母(江)が徳川秀忠に縁づいていた九条幸家は、徳川の世になってからも公家と武家の貴重な仲介役になっています。・・・アメリカフヨウも真夏に咲く花

入内が決定した1614年当時の九条幸家と豊臣完子との間には、長男二条康道(8歳)と二男九条道房(6歳)など2男、2女があり夫婦仲は円満だったようです。・・・この大きさが魅力です。

九条幸家の長男(二条康道)は、1613年に五摂家の実力者、二条昭実(当時58歳)の養子となっていて、五摂家のうちの2家は、江の孫(豊臣完子の実子)が継いでいます。・・・少し小さいフヨウの花

徳川和子の入内は、大坂夏の陣や家康の死去、後陽成院の崩御、後水尾天皇の女性問題などで延期されますが、1620年に実現、1623年には二人の間に女一宮(後の明正天皇)が生まれています。・・・ヘメロカリスも真夏に咲いています。

信長に滅ぼされた北近江の戦国大名、浅井長政は、天皇(第109代明正天皇)、将軍(第4代徳川家綱)、さらに五摂家の2家(九条家、二条家)の当主が自分のひ孫となったことにさぞ驚いていることでしょうね。



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