京都駅からバスに乗って約40分で到着する龍安寺は、世界文化遺産に登録された京都の17寺社の一つである。
バス道から少し入った山門の手前で拝観料を支払い、小さな山門をくぐると寺の南側に広大な鏡容池があり、周囲は回遊式庭園になっている。
本堂に至る参道の左が広い鏡容池、右が衣笠山に続くモミジの庭園で、モミジのグリーンの葉が美しい参道を通って池を半周し、北側に通じる萩の花咲く石畳の参道を奥に進む。
石畳の突き当たりは両側に竹を編んだ手すりがついた広い石段となり、それを登ると正面に庫裏が見えてきた。
下足場で靴を脱ぎ、天井の高い庫裏を左に進むと方丈があり、その廊下の前面が37年前に一度訪れたことのある石庭であった。
龍安寺は、室町幕府の管領、守護大名で、応仁の乱の東軍総帥細川勝元が1450年に創建した禅寺である。
衣笠山麓に位置する龍安寺の所在地は、藤原北家の流れを汲む徳大寺実能以来、徳大寺家の山荘であったところを、細川勝元が譲り受けたものである。
方丈西の庭
創建当初の寺地は現在よりはるかに広く、京福電鉄の線路のあたりまでが境内であったが、細川勝元自身が一方の当事者であった応仁の乱(1467~1477年)で焼失している。
勝元の子の細川政元によって1488年に再興されその後、豊臣秀吉と江戸幕府が寺領を寄付して保護している。
方丈北の庭
近世の地誌類によれば、最盛期の龍安寺には塔頭(たっちゅう、子院)が21か寺も軒を連ねていたという。
江戸期の名所案内を見ると当時、龍安寺の池はオシドリの名所として知られており、石庭よりもむしろ池を中心とした池泉回遊式庭園のほうが著名であったらしい。
1797年の火災で仏殿など主要伽藍を焼失したため、塔頭の1つである西源院の方丈(建築は1609年)を移築して龍安寺の方丈(本堂)としたという。
方丈の内部は立ち入りできなかったが、覗くことはできたので400年前の建物の内部を写真に記録しておいた。
| Trackback ( 0 )
|