古事記には、イザナギノミコト、イザナミノミコトが天の浮き橋に立って天の沼矛で(海の)漂える国を集めようとして、その矛の先から滴り落ちた塩が積もってできたのが「おのごろ島」とあります。・・・百段苑から見た奇跡の星の植物館の全景
イザナギノミコト、イザナミノミコトは、おのごろ島に天降って順に淡路、伊予(四国)、隠岐、筑紫(九州)、壱岐、対馬、佐渡島、最後に秋津島(本州)の大八島(おおやしま=日本)を生んだとあります。・・・奇跡の星の植物館へのアプローチ
つまり国の始まりが淡路島と言われる由縁です。・・・トロピカルガーデンのヘゴシダ
この古事記の記述は、大和朝廷が河内へ進出したとき、すぐ目に付いたのが西の海の先に横たわる淡路島だったからではないでしょうか。・・・ジャングルの中に迷い込んだようなトロピカルガーデンの展示
古事記には「おしてるや 難波の崎よ 出で立ちて わが国見れば 淡島 自凝(おのごろ)島 檳榔(あじまさ)の島も見ゆ さけつ島見ゆ」という仁徳天皇の国見歌があります。・・・ひっそりと咲いているランの花
その意味は、「押すように眩しく太陽が照る難波から船を出し、当時の日本の国を見ると、淡島(淡路島)、自凝島(おのごろ島)、ビロウの生えている島が見える、また一つぽつんと離れた島も見える」ということでしょうか。・・・トロピカルガーデンのラン
河内王朝初代とされる応神天皇にも淡路島に関連する和歌が残されています。・・・とフラワーショースペース。この区域が最も天井が高いのでダイナミックな作品の展示が可能です。
日本書紀には、反正天皇が淡路宮で生まれたという記述もあります。・・・フラワーショースペースでは、空宙百華園「豊饒の大地」と呼ぶ展示がしてありました。辻本智子さんと向山潔さんとのコラボレーションとか。
河内王朝の応神、仁徳、履中、反正、允恭天皇の五代は、淡路島と特別な関係にあったのではないでしょうか。・・・出口へのアトリウム
参考文献:淡路地方史 大江 恒雄著